走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

円結びプロジェクト発進!

2007年01月17日 14時29分54秒 | その他
 久しぶりの円(縁)結びプロジェクトの報告です。
 先週13日(土)に今年初めての会議が行われました。
 この会議では、実際の裁断紙が持ち込まれ、どのような商品化があるのか、またそれをどのようにして売るのかというマーケティングチームと雇用や経営方法について協議するマネージメントチームに分かれ、会議が進行しました。
 私の方からは、裁断紙をきちんと格納できる施設の紹介と書道用の和紙作りを薦めました。
書道用和紙の製作を薦めたのは、関西の女流書道家のチームがあり、そことコラボレーションすることで東京やイタリアで商品販売できる可能性が出てきたからであります。
早速、サンプルづくりをお願いしました。
 この日は、本当にたくさんの方に参加いただき、なんだかうれしさがこみ上げてきました。
これもユニクリの代表をつとめる佐伯くんのあきらめない姿勢が、輪を確実に広めていった証なのだろうなと改めて思いました。

 そして、今日、その佐伯くんと一緒にバックヤードの施設を提供してくださる松山市小中学校PTA連合会の角田会長を尋ねました。
場所もよく、また大家の角田会長から即答で許可をいただきました。
本当にありがとうございます。感謝します。
このような協力が、きっとスウェーデンのサムハルのような企業を目指す原動力になるのだろうと思ったのは、私だけでしょうか。

(注釈)
  「円(縁)結びプロジェクト」とは、ハンディキャップ・スーパーマン
  (NPOユニバーサル・クリエート(略して「ユニクリ」という。)の
  メンバーは、身体の不自由でも頑張って自立しようとしている人たちを
  こう呼んでいます。)たちに、日本銀行券のシュレッダーごみをリサイ
  クルし、商品化することで就労機会を増やそうというプロジェクトです。

親子の暗黙の了解

2007年01月17日 14時09分21秒 | その他
 実は、5日にお袋が心不全で病院に運ばれました。
 ひょっとしてと、つい考えてしまいました。
 お袋は、広島出身で原爆被爆者なのです。
そのせいか、身体は決して丈夫とは言えず、私が中学一年の時に、胆嚢(たんのう)を切除するまでは、おそらく私のそれまでの人生の半分くらいは入院していたと思います。
そのため、親父と二人きりの生活を随分長くすごしたような気がします。(現実には、17歳の時に親父は仕事中の事故で死んだため、総合すると他の親子よりは短い付き合いなのですが...)
 また、家にお袋がいた時は、本当に厳しいお袋のイメージしかないのです。
家の掃除から庭掃除、雑巾がけ、洗濯物の取り込みや片付け(当然、折りたたんでです。)を小学校の低学年からさせられました。
その厳しさは半端でなく、掃除の仕方が悪いとほうきで叩かれ、洗濯物のたたみ方が悪いと放り投げられ、最初からやり直しです。
子供心に本当の親ではないと思ったくらいです。
 そして、入院中は家事を親父と担当をわけ、食事係も私がつとめました。
つまり、家事全般のほとんどを私がやるのです。
そのせいか、料理を失敗しても親父は文句を言わず食べてくれていたような気がします。
 その厳しさが役に立つことに気づくのは、親元を離れ一人暮らしをはじめて、生活に不自由を感じない自分がいることではじめて気づくのです。
「なるほど、そういうことか。」と。

 また、お袋は、きっと親父よりに先に逝くと思っていました。
でも、現実は、親父が死んで33年が過ぎてもお袋は元気です。
しかし、今回はひょっとしてと思いつつ、先週の土曜日、病室で親子二人きりになったときに、「検査でバイパス手術をすれば治ると言われたらどうする?」と聞くと、「ほうやなあ、これ以上身体を切り刻むのはなあ...。」
我々親子は、決して仲のいい親子とはいえませんが、それだけでわかります。

 そして、今日、精密検査があり、手術まではしなくていいことがわかりました。
ベットに座っているお袋の背中をさすりながら、痩せた背中の背骨がやけに出ていることに気づきました。