「最後の雷撃機」という本を読み終えました。著者は海軍の艦上攻撃機の操縦員で大戦の中期から後期にかけて何回か米海軍部隊に雷撃を行った方です。著書の中でも三回雷撃に行って生きて帰ってきた者はいないと述べられています。
著者が操縦した雷撃機も雷撃後に撃ち落とされて、陸軍部隊に救出されて復帰したり、雷撃に参加した部隊で著者が操縦した機以外のすべてが未帰還となったりしています。著者が生き残れたのは操縦技量が高かったことと、あとは運が良かったの一言につきるような気がします。
著書の中でも雷撃するために敵艦に向かって突進する時の敵艦からの防御砲火のすさまじさは言葉では言い表せないほどです。そんな中で雷撃するわけですが、著者ほどのベテランであっても落とした魚雷が命中したかどうかはとても確認できるような状態ではなかったようです。回避するのにせいいっぱいという感じです。
当時の米艦隊はレーダーで日本機を発見すると戦闘機で迎撃させます。それを突破して艦隊を攻撃してくる日本機に対してはVT信管のついた砲弾や40mmなどの機銃で迎撃。日本艦隊の防御砲火とは比較にならないほどの命中率を誇っていました。ですからほとんどまともに攻撃ができなかったのが実態だと思います。
そんな戦いを生き残った著者は、運が良かったのだなあと感心するばかりです。しかし、多くの搭乗員が亡くなったわけでなんとも言い表しようがありません。
著者が操縦した雷撃機も雷撃後に撃ち落とされて、陸軍部隊に救出されて復帰したり、雷撃に参加した部隊で著者が操縦した機以外のすべてが未帰還となったりしています。著者が生き残れたのは操縦技量が高かったことと、あとは運が良かったの一言につきるような気がします。
著書の中でも雷撃するために敵艦に向かって突進する時の敵艦からの防御砲火のすさまじさは言葉では言い表せないほどです。そんな中で雷撃するわけですが、著者ほどのベテランであっても落とした魚雷が命中したかどうかはとても確認できるような状態ではなかったようです。回避するのにせいいっぱいという感じです。
当時の米艦隊はレーダーで日本機を発見すると戦闘機で迎撃させます。それを突破して艦隊を攻撃してくる日本機に対してはVT信管のついた砲弾や40mmなどの機銃で迎撃。日本艦隊の防御砲火とは比較にならないほどの命中率を誇っていました。ですからほとんどまともに攻撃ができなかったのが実態だと思います。
そんな戦いを生き残った著者は、運が良かったのだなあと感心するばかりです。しかし、多くの搭乗員が亡くなったわけでなんとも言い表しようがありません。