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四人の連合艦隊司令長官を読む

2019-10-20 15:01:04 | 日記
 四人の連合艦隊司令長官という本を読みました。四人とは太平洋戦争時に連合艦隊司令長官であった山本五十六、古賀峯一、豊田副武、小沢治三郎のことを指します。それぞれがどのように作戦を展開したのか、そして簡単な人となりを紹介しています。著者は元海軍中佐で大本営参謀も務められた方です。山本五十六のことはご存じの方も多いかもしれませんが、残りの三人はあまり知られていないと思います。

 ここからは私がこの四人に対して感じていることを書いてみたいと思います。

 山本五十六は当時の日本海軍の提督のなかで最も優れた人物だったと思います。将兵からの信頼も篤かったですし、航空のことも理解していました。アメリカ駐在も経験してアメリカの工業力なども良く理解していました。ですからアメリカとの戦争には反対であったのですが、海軍のほぼすべての艦隊を指揮する連合艦隊司令長官となってしまったからにはアメリカと戦わざるをえないことになりました。当時の提督の中で作戦だけではなく国家レベルのことも考慮できるのは山本だけだったのではないかと思います。

 ただ欠点が全くなかったとは言えないと思います。艦隊を指揮する司令官に任せるというのは当然必要なことですが、山本としてここまでは完遂してほしいという点を徹底させるというところには欠ける点があったと思います。例えば真珠湾攻撃に成功しアメリカの戦艦部隊に多大な損害を与えましたが、ドックや石油タンクなどを破壊しないまま帰路についてしまいました。山本は機動部隊を指揮する南雲は攻撃しないだろうということを言って帰路についたことを認めてしまいましたが、ここは攻撃を徹底させるべきでした。どうも最後の詰めが甘いように感じるんですよね。

 日本海軍の悲劇は山本に代わる連合艦隊司令長官になるべき人物がいなかったことですね。ですから山本が長期間にわたり連合艦隊司令長官を務めることとなりましたが、代わりうる人物がいれば山本は海軍大臣になっていてしかるべきだったように思います。人がいるようでいないのが日本の軍隊ですね。

 山本が戦死したあと連合艦隊司令長官になったのが古賀峯一です。ちょうどアメリカ軍の反攻が進んでき始めた時期で、それをどうしのいで守りを固めるかが課題だったわけですが、アメリカに先手先手を打たれて有効な手立てが立てられなかつたという感じがしています。すでに国力的に限界に達していたからだろうと思います。ですから有効な作戦を立てて遂行することができませんでした。そして飛行機で移動中に遭難して行方不明になるという結果で連合艦隊司令長官としての印象は薄いものとなってしまいました。

 古賀の遭難後に連合艦隊司令長官となったのが豊田副武です。もはや戦局は日本が不利な状態はあきらかで、それをひっくり返すことはとてもできないほどに戦力差も開いてしまっていました。ですからマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と大きな海戦を戦いましたがアメリカに敗北。連合艦隊の存在がほぼなくなるという事態となりました。

 そして連合艦隊として司令部を初めて陸上に移しました。それはそれでよいのですが、連合艦隊の残った艦艇をすり減らしてでもやりぬくといったレイテ沖海戦には連合艦隊司令長官自らが指揮してほしかったなと感じるところです。

 最後の連合艦隊司令長官となったのが小沢治三郎です。そのころには油も不足して動ける艦船もない状態でした。ですから名ばかりの連合艦隊司令長官という感じなのですが、本書には書かれていませんでしたが小沢が連合艦隊司令長官であったことで敗戦という混乱の中、海軍の敗戦処理が滞りなく行われたのではないかと思います。

 私は小沢治三郎という提督を非常に高く評価していまして、開戦時の真珠湾攻撃を南雲中将にかわって小沢中将が指揮しいたらその後の戦局は大きくかわっていたのではないかと思います。戦時下にあっても順送り人事であったことの悲劇だと思います。適材適所の人事ができるとしたら小沢提督こそ指揮すべき人間でした。

 ということで、四人の連合艦隊司令長官を読み終えたわけですが、作戦が中心になってしまうのはしかたがないのですが、作戦については色々書かれた本も多いので、人となりについてもっと触れていてくれればよかったなあと感じたところです。







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