トーネードの無職生活

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遡れば満州事変か

2015-10-11 07:12:36 | 日記
 昨日、仏印進駐について書きましたが、なぜにそこまでしなければならなくなったのかを遡ると、行きつく先は満州事変となるかと思います。日露の戦役に勝利して、ロシアがもっていた権益を日本が引き継ぐことになり、関東州の領有や満鉄といった権益を確保しました。中国にとっては、日本とロシアが勝手に土足で入ってきて戦争をしたわけですから、迷惑この上なかったと思うのですが、当時の世界の趨勢からすると日本の行為も認められていたわけです。

 その後、九か国条約が結ばれて中国の主権の尊重、門戸解放などが定められたのですが、日本、特に陸軍では満州の領有を考える人達がいたわけです。その一つの事件として、張作霖を爆殺した満州某重大事件がありましたが、満州を領有するところまでには至りませんでした。そして機会をうかがっていた関東軍の石原莞爾が起こしたのが満州事変です。

 これは九か国条約にも違反すると思われますし、日本の政府も事変の拡大には反対で陸軍の上層部も反対だったのですが、関東軍が独走したうえ本国の中堅幕僚たちも援助したわけで、政府としても追認せざるを得なくなってしまったというところです。この事例がこの先の陸軍の行動に大きな影響を与えたと思います。

 そして満州国が設立されるわけですが、リットン調査団を派遣した結果、国際連盟では国として認められず日本は国際連盟を脱退して孤立化していくこととなりますが、この時点では、アメリカにしろイギリスにしろ、当の中国にしろ満州を日本が支配するのは表面上は反対していますが、裏から見ればこのくらいは良いだろうという容認の姿勢でもあったわけです。

 ということで、日本は満州国で留めておけばその後の不幸な事態にまで至らなかったと思うのですが、陸軍の中堅幕僚たちは満州だけではあきたらずに、北支、中支へと拡大していこうとしたために、本格的に蒋介石の国民党と戦うことになりました。日本陸軍では蒋介石に一撃を浴びせて降参させるというのが考え方でしたが、蒋介石が日本の考えに沿って動くわけでもないわけで、その後ずるずると戦いが続くことになってしまったのでした。

 降参させることができない日本は、行き当たりばったりに戦いを進めた末に、仏印進駐にまで至ってしまったといえます。満州事変までで抑えておけば、歴史は変わったかもしれません。


 話は変わりますが、プレイしようとしていたローマトータルウォーが起動しなくなってしまいました。以前は問題なく起動できたのに。というわけで、古いXPのパソコンにインストールしてみようかなと思って、XPのパソコンを立ち上げようとしたら、今度はパソコンの電源が入らない。ついにXPのパソコンも壊れたようです。二重にショック。

 しかたがないので、XPのパソコンにインストールしていた主なゲームをWin7のパソコンにインストールしました。OSが違うから動かないゲームも出てくるだろうけど、今更XPの程度の良い中古のパソコンというのもないだろうし、買う金もないしなあというところです。


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