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トーネードの無職生活

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歴史群像2月号の記事 日本空母論を読む

2020-01-12 09:44:06 | 日記
 歴史群像2月号の記事 日本空母論を読みました。日本海軍の戦艦や巡洋艦、駆逐艦、潜水艦について書かれた本は色々とありますが、表面上のスペックや特徴などは書かれているものの、建造されるにあたっての考え方とか方針などについて書かれたものにはなかなかお目にかかれません。今回の日本空母論という記事は日本海軍の航空母艦の建造にあたっての考え方とか特徴、問題点が書かれていて初めて読む内容でした。

 日本海軍の空母の欠点として言われているのはカタパルトが実用化できなかったこと。これについては色々な本にも書かれています。米海軍と比べて一番大きな欠点であることは確かですから。カタパルトを実用化した米海軍は低速な護衛空母にもカタパルトを搭載して艦上機を運用しましたが、実用化できなかった日本海軍の低速な改造空母はほとんど役に立ちませんでした。このカタパルトの問題以外に日本海軍の空母にはどのような問題があったのか。

 今回この記事を読んでびっくりしたのは赤城と加賀についてでした。軍縮条約で戦艦の保有が制限されたため建造途中だった赤城と加賀が航空母艦として建造されました。当初の三段式飛行甲板はまあしょうがないとしても、ミッドウェー海戦で撃沈されるまで活躍したので性能的にも問題ないものだと思っていました。しかしまず最高速度が赤城で30ノット。加賀だと30ノットに届きません。この速力不足が大きな問題だったということです。確かにその後空母として建造された蒼龍や瑞鶴は34ノットだったはず。この速力の差によって赤城と加賀は中途半端な空母となってしまったということです。

 そして軍縮条約により空母の保有も制限されるようになると赤城と加賀の排水量が大きいため、残った枠で建造できる空母の大きさが制限されてしまったということです。このような視点で日本海軍の空母のことを考えたことがなかったので、そのような影響もあったのかと驚きました。

 それからこれも初めて知ったことですが、赤城と加賀は飛行甲板の下に二段の格納庫を持っていますが、二段目の格納庫から飛行甲板まで艦上機をあげるには、まずエレベーターで二段目の格納庫から一段目の格納庫に持ち上げていったん艦上機をエレベーターからおろし、エレベーターを再度セットして一段目の格納庫に下した艦上機を再びエレベーターに乗せて飛行甲板まで持ち上げるのだということです。一気に二段目の格納庫から飛行甲板まで艦上機を持ち上げることができなかったのです。技術的な問題でそうなったのかどうかまでは書かれていませんでしたが、この手間のかかり方は大きな欠点といえると思います。

 開戦当時の艦上機機は零戦、97艦攻、99艦爆でしたが、その後新規に開発された天山艦攻、彗星艦爆は重量が重くなり、改造空母では運用が困難になってしまったとのことです。さらに流星はさらに重量が重くなったので瑞鶴クラスでも対応できるように改装しなければ運用できなかったということです。艦載機の開発はもちろん大切ですが、せっかく開発しても空母が運用できなければ意味がありません。その点で艦載機の開発と空母の建造とがうまくマッチングしていなかったというわけです。まあ、戦争末期になると実際には雲龍クラスの空母も載せる飛行機がないというか空母を離発着できる操縦者がいなくなってしまって建造しても意味がなかったというのはあるのですけどね。

 このように日本海軍の空母を論じたものを初めて読んだのですが、これは空母に限らず戦艦にも巡洋艦、駆逐艦、潜水艦にも言えることであると思います。このような見方から書かれ記事が今後も出るといいなあと感じたのでした。


この年末年始はお酒を飲んでしまったのか、飲まなかったのか

2020-01-11 01:42:06 | 日記
 令和2年となってすでに11日。はたしてこの年末年始、私はお酒を飲まずに過ごすことができたのか、それとも飲んでしまったのか。はたしてどうなったのでしょうか。うつ病とアルコール依存症で通っている病院で毎週水曜日にアルコール依存症の人を対象としたデイケアがあり参加しています。その中で昨年末に年末年始をお酒を飲まずにどのように過ごしますかというような話もしていたところでした。

 私の考えは、年末年始というとおせち料理、御馳走としてお寿司や刺身、焼き肉とかお肉類などを食べたりしますよね。これってどれも私の中ではお酒と紐づいています。ですからこれらのものを食べるとお酒を飲みたくなる。ですから年末年始も普段の日常の朝昼夕の食事を継続していく、そうすればその食事はお酒とは紐づいていないのでお酒を飲まずに済む、飲酒の欲求を抑えることができるのではないかと考えました。

 私の日常の食生活は朝昼は固定化していて、夕食は三パターンをグルグルしまわしていてほぼ決まったものを食べています。糖尿病もあるので栄養士の先生からも続けてくださいといわれている食生活を回しているという感じです。例えば夕食の献立を色々変えたりしたいところもあるのですが、独身の独り者なので食材を買ってきても一回で使えきれないと思うんですね。余った食材を廃棄する食品ロスの問題もありますが、家計上食費に余裕がないので食品ロスの多い食生活だと家計が回らなくなる恐れもあります。ですんでパターン化した食生活をしていれば食品ロスもないし、健康上も問題ないし、家計にも負担をかけないし、酒に紐づかないしというわけなのです。

 では実際はどうだったかといいますと年末の30日くらいからですかね、変わったものが食いたいという欲求が強くなりました。そして駅にある商業施設にある焼き鳥の持ち帰り店の焼き鳥が食べたくなってその思いが強くなってきてしまいました。そして大晦日の31日、朝、飲まなければいけない抗酒剤を飲まず、昼前に焼き鳥を買いに行き、お寿司とビールのロング缶6缶を買って昼から焼き鳥で酒を飲み始めました。焼き鳥を食べるのもかなり久しぶりですし、ビールを飲むのも同じくかなり久しぶりです。とてもおいしくいただきました。

 ビールはいつも飲んでいる缶チューハイと比べるとアルコール度数が低いのでそれほど酔いませんが、6缶のみ終えて追加のお酒を買いに行ずにすんだのは良かった点ではあるのですが、お酒を飲んだことで睡眠など生活のリズムがぐちゃぐちゃになりました。結局大晦日の31日と三が日、5日の日曜日にビールや発泡酒を飲んでしまいました。6日の月曜日になんとか飲酒をストップさせて7日からはお酒を飲まない生活になんとか戻したところです。

 年が明けて水曜日のアルコール依存症のデイケアのなかで、参加した方たちもやはりお酒を飲んでしまった方がいました。中には親戚との宴席があってもお酒を飲まずに過ごしたという方もおられました。たぶん親戚の方もご家族もご本人がアルコールに問題を抱えているのでお酒を飲ませてはいけないということが理解されているのでしょう。もしご本人がお酒を飲もうとしたら飲んだらダメと制止がはいるのではないかなと思います。

 その点、私は独身独り者なので回りに制止してくれる人間もいませんので、お酒を飲むか飲まないかは結局のところ自分自身の意思にかかっているところがあります。アルコール依存症の方の経験談を聞いてもかなり重症な状態から回復されている方のお話を聞く機会がが多く、私は比較的軽い状態で治療を受けるようになったので、まだ頭の片隅にお酒をコントロールできるという意識が残ってるのですね。ですからお酒を飲むか飲まないかの決断をれたとき飲酒の欲求に負けることが多いのだと思います。ここにどう対処するかがこれから永遠の課題になります。