シャルパンティエ(1643-1704)はルイ14世、すなわちフランス絶対王政の絶頂期に活躍した作曲家で、華やかながら深さも兼ね備えていて、音楽史全体を見ても極めて高い位置を占める存在ではないかと思います。彼は3つのレクイエムを作曲しているそうですが、そのうちのH.(ヒッチコックによる作品番号)7は、キリエ、怒りの日(最初の2節のみ)、サンクトゥス(前半)、ピエ・イエス(怒りの日の最終節)、ベネディクトゥス(サンクトゥスの後半)、アニュス・デイの後に、有名な「詩篇」130章による「深き淵より」による曲が最後についているという変わった構成を取っています。つまり、イントロイトゥス、グラドゥアーレ、トラクトゥス、オフェルトリウム、コンムニオを欠いているわけですが、これらをグレゴリオ聖歌で補うのではなく、後で述べるような理由からこれで完成したミサ曲と考えられていたと思います。その本来のレクイエムにない「深き淵より」の原文と訳を掲げます。
DE PROFUNDUS
De profundis clamavi, ad te Domine:
Domine, exaudi vocem meam.
Fiant aures tuae intendentes: in vocem deprecationis meae.
Si iniquitates observaveris, Domine;
Domine, quis sustinebit ?
Quia apud te propitatio est:
et propter legem tuam sustinui te Domine.
Sustinuit anima mea in verbo ejus: speravit anima mea in Domino.
A custodia matutina usque ad noctem: speret Israel in Domino.
Quia apud Dominum misericordia: et copiosa apudeum redemption.
Et ipse redimet Israel: ex ominibus iniquitatibus ejus.
Requiem aeternam dona eis Domine,
et lux perpetua luceat eis.
深き淵より
主よ。わたしは深き淵からあなたに呼びかけます。
主よ、わたしの声を聞き入れてください。
わたしの願いの声に耳を傾けてください。
あなたがもし不義に目を留められるなら、主よ
主よ、誰があなたの前に立てるというのでしょう。
しかし、あなたに憐れみがあるので、
また主の戒めのため、わたしは主を頼るのです。
わたしの魂はお言葉に従い、わたしの魂は主に希望をかけています。
朝から夜まで、イスラエルは主に希望をかけています。
それは主のもとに憐れみがあり、また豊かなあがないがあるからです。
主はすべての不義からイスラエルをあがない出されます。
主よ、彼らに永遠の安息を与え、
彼らを絶えざる光で照らしてください。
これは、その内容からオフェルトリウムと共通するものが多いのでその代わりに置かれたのでしょうし、最後の2行はイントロイトゥスの冒頭及び終曲のコンムニオに出てくるレクイエムの看板のような、あるいは額縁の詩句であり、正統的なものですが、シャルパンティエはその額縁構造を崩し、最後に1回だけ出すことで強調しようとしたのだと思えます。
すなわち、この作品は個性を前面に出しながら、レクイエムの典礼をきちんと踏まえたものなのでしょう。それはたぶんフランスのカトリックが偉大な王の下に1682年に「教権についてのガリア教会の聖職者の宣言」(いわゆる「ガリカニスム4条宣言」)を公布し、ローマ教皇からの独立性を強めていった時期の活力を象徴する作品でもあると考えられます。このブログの中で何回か申し上げていることですが、フランスの宗教曲を聴くときにはこのガリカニスムへの理解が、バッハを理解する際のルター派の知識と同様に必要でしょう(ガリアはもちろんカエサルの「ガリア戦記」にも見られるようにフランスの古名であり、やまとって言うのと同じようなものです)。そうでないとフランスの宗教曲には“個性的”なものが多いのですが、それが単に主観的なものなのか、ある意味伝統的なものなのか区別できないだろうと思うからです。
「深き淵より」の特に冒頭の一行は多くの作曲家の胸を打ち、数々の名曲が生まれました。例えばシャルパンティエより200年前に活躍したルネサンス期の大物ジョスカン・デプレ(ca.1440-1521)にもモテット(とりあえず比較的短い宗教的合唱曲と理解してください)があり、これも心に染み入る名作で、物語との関係で少し注釈を付けさせていただきました。余談ながらこうした由来を知ってか知らずか、我が国では「深き淵より」という言葉が安易に使われているように見えるものもあります。