夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(25)

2005-08-20 | tale


 翌週の日曜日は朝から粉雪がちらつくほどの寒い1日だったが、ミサに参列した二人のにわか信者は、白いハイネックのセーターを着た百合の姿を見た時、同時に「神様のお導き」という言葉を思い浮かべていた。ルーカス神父の言葉など聴いていなくても、斜め後ろから彼女の姿を見ながら、「本当に百合のようだ」などとあらぬことを鼻をうごめかせながら考えているだけで、眠気に襲われる心配はなかった。

 ミサが終わって、またもや百合が神父のところへ行くのを2匹のミツバチのように追いかける。栄子など造花か絵に描いた花のように眼中にない。とはいえ、百合と神父の会話も耳に入っていない。二人とも百合に見とれているだけで、彼女が何を訊いているのかよくわからないのだ。百合の質問に答え終わった神父から、
「羽部さん、すみません。まだ東京へ行っていないのです」と話しかけられながらじっと顔を見つめられて、初めて目が覚めたような顔になった。神父は言葉を続けた。
「あの、このあいだの『オフェルトリウム』について申し上げたいことがありまして、いえ何か導かれるようにわたしのところへやって来まして。まるで……」
「まあまあ、神父さん、落ち着いて」
 そう宇八が鷹揚に笑った時には、百合は香りだけ残して去って行った。
「ああ、すみません。そう『オフェルトリウム』です。これは、offertory、捧げ物なんです。讃美のいけにえと祈りをわたくしどもが主に捧げるのです、ここで」
「ふむ。まあ牛とか羊とかを殺して捧げるようなものですな、元々は。お賽銭てな意味もありますか」
「そうです。もちろん今はいけにえなど捧げたりはしませんが。もう一つは、『信者のすべての魂を深い淵から救い出す』という。ジョスカン・デプレ、いえ違いました。シャルパンティエのレクイエムには『深い淵から』という曲があるのです」
 息せき切ったように語り、テキストのコピーを出して見せる。
「この『主よ、わたしは深い淵からあなたに呼びかけます』、すばらしい言葉、すばらしい音楽です。それからここです。『わたしの魂はお言葉に従い、わたしの魂は主に望みを』……」
 神父は感極まったのか、黒縁の小さなメガネを外して眼をこすった。宇八は神父の視線を避けるように呟いた。
「……なるほど、これは重い宿題のようですな。この『オフェルトリウム』は我々にとって、複雑な性格を持つことになりそうだ」

 神父との話が終わって教会の外に出ると、欽二が寒そうに立っている。
「遅いじゃないか、凍えちゃったよ」
「なんで、外にいるんだ?」
「おまえさんがむずかしそうな話をしているから、百合さんが帰っちゃっただろ? 見送るつもりで外に出たんだ。よかったぜ、おれとは初対面なのに『妹から伺ってますわ。ではご機嫌よろしゅう』なんてさ。それをずうっと見てたんだ」
「じゃあ、おまえの勝手じゃないか」
 そう言いながら、欽二の無邪気な様子を見て、先週言っていた感覚は消えたのかなと思う。
「まあ、そう言うなって。どうする? 鍋焼きうどんでも食いに行くか?」
「いいね。……おまえら、もう帰るのか?」
 傍らの妻子を見遣ると、二人とも肯く。
「じゃあ、行ってくるから。遅くなるかもしらん、仕事の話だから」

 電車で一駅行った少し下卑た感じのターミナルの近くの、欽二によれば小汚い店だがわりとうまいという大衆食堂で、鍋焼きうどんをはふはふ食いながら、トカゲ・ビジネスの今後について検討を行った。その結果、確認できたことの第一は資金不足という厳粛な事実であった。カネがない。原因や理由、経緯、説明、そんなものをいくら積み上げても虚しい。身体は温まったが、ふところは両名とも寒いのである。カモだか、カネづるだか、鍋焼きうどんにちょこっと入っている鶏肉なんかよりもっとヴォリュームのある獲物を捕まえる必要がある。これが確認事項の二である。どこにいる? 心当たりなどない。銀行、信用金庫、金貸し、取引先、そうした連中は、この二人の話に耳を傾けるはずはない。

 この10年(いや15年かもしれないが)、二人は彼らをそのようにしつけてきたと言って差し支えなかろう。すなわち、以上の確認事項が導き出す結論は新たな、つまり当てのないカモを発見すべしということであった。

 なんとムダのない、実り多い会議だろう。世の中の会議すべての手本と言ってよかろう。これ以上、話をしていても意味がないことが理解されるやさっさと別れた。ただ宇八は、駅前のパチンコ屋に独りで入り、5千円少々をすってから帰宅した。まあ、仕事の話らしく見せるための必要経費であり、こんなところで幸運を安く使い果たさずによかったという考え方を我らが主人公は常に取るのであった。


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2 コメント

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天罰 (hippocampi)
2005-08-20 22:11:12
「造花」…笑ってしまいました。百合はかぐわしく美しい花ですね。ブンブンまとわりつく罪深き男どもに夢様からいつ天罰が下るのかハラハラしちゃいました。ひとまず安心。(-.-)
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天罰ですかw (夢のもつれ)
2005-08-21 09:38:00
いやぁこの二人に天罰を下すなんて天に唾するようなものじゃないかなって思いますよw



神様の罰も2階から目薬みたいな感じがありますしね。
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