夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

私のバッハ体験~ブランデンブルク協奏曲

2005-08-28 | music

 ウィーンに住んでいたときに、バッハの生まれ、働き、亡くなったテューリンゲン州を中心とする地域を車で旅行したことがあります。アイゼナハ、ミュールハウゼン、ヴァイマル、ケーテン、ライプツッヒといったところですが、数時間のドライヴで次の町にいくことができるような狭い地域で、バッハが生涯のほとんどを過ごしたことが実感できましたし、自分の好きなペースで回ることができて、とても幸せでした。管弦楽曲、室内楽曲のほとんどが作曲されたケーテンは、野原や畑の中の長くて細い石畳の道の果てにありました。たぶん彼が馬車に揺られてヴァイマルから移ったときもこの道を通ったんだろうなという古い感じの道でした。

 画像に掲げた宮廷には入ることができなかったのが残念ですが、外から見た感じでは、ウィーンやミュンヘンの宮殿はおろか、ハイドンが奉職したエステルハーツィと比べても相当劣るような、田舎のくすんだ小さなお城という印象でした。とてもバッハの華麗なポピュラー作品の多くが生み出された場所には見えませんでした。

 ブランデンブルク協奏曲は、ブランデンブルク辺境伯のクリティアン・ルートヴィヒに1721年に献呈されているためにそのように呼ばれているのですが、その献呈の辞からバッハが職を求めていたことが推測されています。辺境伯の領地はベルリン郊外でしたから、ケーテンから都会に転職したがっていたことは想像に難くないでしょう。しかしながら、このことは6曲が献呈のために新たに書き下ろされたことを意味するわけではなく、少なくとも第1番はヴァイマル時代の1713-16年頃に、第5番はケーテン時代の1718年頃にそれぞれ書かれた初期稿があります。これほど多様な作品がいっぺんに出来上がったと考える方が無理でしょう。他方、全体としての統一感を感じる人は多いでしょう。そこにはバッハの慎重な配慮が張りめぐらされていると思います。

 アーノンクールの演奏のDVD を見るといろいろなことがわかりますが、各曲をかいつまんで順に見ていきましょう。第1番は2本のホルンを初めとして、3本のオーボエ、ファゴット、ヴィオリーノ・ピッコロと呼ばれる小型ヴァイオリンといった独奏楽器を持つ、華やかな曲です。ホルンが活躍するため、ヘンデルを思わせるような君主が主催する狩りをイメージした音楽のような印象があって、辺境伯へのあいさつと宮廷を賛美するような趣があります。とすれば第2楽章のヴィオリーノ・ピッコロのソロは小姓のボーイ・ソプラノの歌のようにも。第4楽章のメヌエットは狩りの後の舞踏で、踊り手を変えながら宴は続くといったところでしょう。

 第2番は、第1番の華やかさを引き継いで、ホルンとオーボエに代わってトランペットとリコーダーの掛け合いが聴きどころになっています。第1番もそうですが、この曲でも金管の出し入れが巧みだと感じます。第2楽章は木管2、弦2(アーノンクールは通奏低音をチェロで弾いています)による室内楽となっていて、4つの楽器が何の無理もなく絡み合いますし、特にヴァイオリンがバッハ独特のパセティックなパッセージを奏でます。

 第3番は、驚くべき音響上の創意と工夫が凝らされた曲です。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが三角形に配置され、楽器群ごとの掛け合いと3人ずつのパート内でのリレーと言った複雑かつ華麗な音楽がエネルギーに満ちて展開されていきます。9人の奏者全員が高いレヴェルを要するのは言うまでもありませんが、バッハの作曲技術の独創性を遺憾なく示すものとなっています。この3×3の曲が第3番に置かれていることは意識的なものなのでしょうが、おもしろいのは3楽章構成でありながら、第2楽章は楽譜上は2つの和音が書かれているだけで、演奏家の即興に委ねられていることです。この曲が演奏できるような演奏家であれば自由に第2楽章を展開して三位一体の音楽を完成することができるでしょう?と問いかけながら、辺境伯に想像させ、興味を惹こうとしたように感じます。

 第4番は、リコーダーを用いている点で、第2番と共通していますが、ヴァイオリンと2本のリコーダーの呼び交わしによって、第3番の緻密な室内楽的なものから再び社交的なものになっています。アーノンクールが第3番と第4番の演奏順を入れ替えているのはそういう理由があるのでしょう。確かに例えば宮廷内のロマンスを想像させるようなところがあって、彼は第2楽章でリコーダーを2階の回廊で演奏させていますが、貴婦人がバルコニーにもたれかかりながら恋を嘆いているような情景を想像させます。第3楽章はヴァイオリンがリードして、バッハらしい目の詰んだフーガを奏でます。

 第5番は、第1楽章でヴァイオリンとフラウト・トラヴェルソ(フルート)に促されてふつうは通奏低音を受け持つチェンバロが独奏楽器となって、長い技巧的なカデンツァを奏でます。古典派からロマン派にかけて協奏曲の中心となったピアノ協奏曲がここに始まると言われるものですが、初期稿はもっと短かったので、バッハ自身のチェンバロ演奏の力を示す意味もあったのだろうと思われます。第2楽章は3つの独奏楽器による室内楽となります。この楽章には初期稿にはなかったアフェットゥオーソ(情愛を込めて)とめずらしく主情的な表示がされていますが、この頃に後妻として娶ったアンナ・マグダレーナに密かに向けられたものと考えるのはロマンティックに過ぎるでしょうか。第3楽章はジーグを用いた軽やかなフーガになっています。

 第6番は、3の倍数ということで第3番と同じく弦楽器だけの編成ですが、ヴァイオリンを欠くというこれまた音楽史上極めて特異な曲です。旋律楽器に対位法をさせるのと同じで、こういうハンディを逆に生かして稠密な音楽を創造するのがバッハらしいところで、第1楽章はふだん内声部を受け持っている、音色としても地味なヴィオラとヴィオラ・ダ・ガンバによる協奏曲のように聞えます。第3楽章は2つのヴィオラとチェロを独奏楽器としながら、協奏曲集の最後を締めくくるのにふさわしく全体でダイナミックに進行していきます。これもバッハが好んだジーグであり、魂の舞踏と呼びたいような名品です。

 さて、全体としてはこれまで見てきたように6曲は、基本的には3+3で構成されていて前半は派手な野外音楽的傾向が強く、後半は内省的な室内楽(chamber music)の方向になっているように思えますが、楽器の構成から見ると2曲ずつのペアのようにも感じられるという工夫がされています。しかし、それ以上にすばらしいのが各楽章ごとに独奏楽器を出し入れしたり、リピエーノ(伴奏部)を休ませて室内楽を繰り広げるなど、独自の性格を与えていることです。つまり、楽団員すべてに陽が当たる個所があり、満足いくような配慮がされているのでしょう。それだけに理想的なメンバーが揃わなければ演奏できないわけで、自分に任せてもらえばそれを作ってみせましょうというアピールだったように感じられますが、それがそのまま、全体の眺望と繊細な各部分が有機的に結びついた世界を展開するという、バッハの作曲家としての比類のない実力を示しています。ブランデブルク協奏曲ほど多様性と統一性を持った曲集は、協奏曲の分野に限らず、空前絶後のものなのですが、その献呈譜は顧みられることなく、しまい込まれてしまったのです。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブランデングルグ (MIHOKO)
2005-08-28 11:35:56
はじめまして。

以前ウェッバーのレクイエムでトラックバックしていただいたようですが、最近まで気付いていませんでした。(ブログに不慣れでごめんなさい)



私はチェンバロ弾きなので、ブランデンブルグ3番は2度やったことがあります。

2楽章は一度は私のソロ、もう一度はヴァイオリン・ソロでやりました。

当時は全くの即興だったのでしょうが、そういうわけにもいかず、一生懸命作曲して臨んだ記憶があります。

とても好きな作品です。



それにしても博学でいらっしゃいますね。

興味深く読ませていただいて勉強になりました!

またうかがいますね。
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ありがとうございます (夢のもつれ)
2005-08-28 11:58:26
専門の方に見ていただくなんて、光栄であり、いい加減な内容なので冷や汗が出ます。



3番の第2楽章を作曲されたんですか?それはすごいですね。バロックはそのときのTPOに合わせて即興的に演奏されてたんでしょうから、分散和音で済ませるのはコンサートとしては違うと思います。



きれいなHP拝見しました。また、訪問させていただきます。今後ともよろしくお願いします。
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