松島を出て石巻に向かうと次第に冷えてくる。肩が寒いし、暖房を強くすると眠くなってしまう。ふだんはアンダーシャツを着ないが、これで東北の旅を続けるのは無理がある。ヨークベニマルを見つけ、肌着をいろいろ買い込む。
石巻に近づくと東京の郊外でもよく見るような大型店舗が固まっている。駅前商店街から街の中心が移って来たということだ。明治時代に鉄道が整備された時も宿場町が衰微したことはあった。商店街でも大型店舗でも地元の人間が働いているのは変わらない。しかし、この画一化された風景は好きになれない。
市街地に入って泊まるところを探そうと何度も車を走らせるが、駅のそばでもホテルや旅館どころかほとんどの建物に明かりが灯っていない。港の方へ行くと日本製紙の巨大な工場があった。煙突から盛んに湯気が上がっている。そんなことを繰り返しても宿が見つからないので、郊外に戻ってネットカフェに泊まることにした。
近くの居酒屋に入って出された付き出しが酢牡蛎だったのには驚いた。
金目鯛の焼き物と鍋を頼む。一人で鍋ができるのはうれしい。8時近くなって店が混んでくるのを店主が1人で切り回している。
赤霧島をお湯割りと水割りで飲む。
カウンターの隣客がグラタンのパイ包みを食べているのを見て、自分も食べたくなった。ネットカフェに戻ると旅の疲れと酔いですぐに寝てしまう。
1時過ぎに目が覚める。まだ酔っている。寝つけないので記事を書く。それが「日本は衰退しました:経済学的基礎知識」だが、論旨自体はとっくに考えていたことなので書くのは造作もない。ただデータををいろいろ探して、リンクを貼るのが面倒でもあり、時間つぶしにもなった。シャワーを浴びたり、飲み物を取りに行ったりしながら、完成させ、出かけにアップした。
駐車場に行くとフロントグラスが霜で真っ白になっていた。溶けるのを待っている間に空が青くなっていく。
サイボーグ009のステンドグラスのある駅に着く。石ノ森章太郎の故郷がこの辺りでミュージアムがあると聞いたことがある。フィギュアもあちこちにある。
6時半に駅のコンビニが開いて、サンドイッチとヨーグルトと缶コーヒーを手に取る。ここまでは旅の朝食の定番だが、いつお昼を食べられるかわからないのでおにぎりも買う。
結局ぜんぶ食べてしまっているうちに明るくなってくる。昨夜見た衰退した街並みがはっきり見えてくる。
おそらく住民も商店も海から離れ、高台や郊外に移動したのだろう。
石巻を去る国道脇の石ノ森萬画館。スマホのカメラは明るく映りすぎるが、これは逆光なのでかえって見えたとおりに映った。水鳥が飛び立つ瞬間にシャッターが切れなかったのが残念だ。
気仙沼に行く前に牡鹿半島に寄ってみる。入り江が多く、高所を走る車から眺める牡蠣の養殖いかだが美しい。月浦という地名に覚えがあったので停めてみると支倉常長の像が太平洋を見つめている。見下ろすと小さな入り江が見える。彼がヨーロッパを目指して出帆したのが1613年だから400年前のことだ。1582年から1560年の天正遣欧少年使節が往復ともにインド洋経由の西回りであるのに対し、常長は行きは東回りでメキシコを経由している。
1871年から1873年の岩倉使節団は「欧米視察によって日本がいかに遅れた国であるのかを痛感し大きな劣等感に苛まれていたが、このとき250年以上も先立つ昔に日本の外交使節がスペインで外交交渉を行いローマまで派遣されていたという衝撃的な事実を知った。常長達の足跡を目の当たりにして、岩倉たちは大いに勇気づけられたという」とのことだ。
レストハウスが荒れ果てたまま放置されていた。周りには鹿の糞や足跡がたくさんある。
半島の先端に御番所公園があって展望台からの眺めがすばらしい。
まだ8時半。人がほとんどいない中で多島海を愛でる。
去りがたい思いもあるけれど、被災地再訪のはずがまだどこにも行けていない。ただ行きがけに気になった入り江だけは車を停めたい。
海のそばの林と小さな川。道路の向うには小学校がある。荻浜という集落で何もないが、自分にとってこんななつかしさを感じさせる風景はない。箒を立てたような林が朝靄にけぶっているのを車窓からちらっと見ただけできゅんとなった。
うつむくと空と林が見える。浅い水は記憶の深いところを呼び覚ます…
ようやく3年前に訪れた気仙沼に着く。市役所のそばのドラッグストアの駐車場に停めて歩く。
表通りは修復されているけど、脇道には当時のまま放置された家屋がところどころにある。
お昼を食べるところを探して港の方に向かうと仮設店舗があった。
その中の寿司屋に入って復興スペシャルというのを注文する。出前も多いらしくなかなか繁盛している。
だが、他の仮設商店街も含めて人影は少なく、年末休みのお昼時としては寂しい。ちょっと話題になっただけで人が押し寄せる東京との差は大きい。
壊れた家屋とがれきが片付いているだけにしか見えない。
海抜の低いこの辺りに6.3メートルの津波が押し寄せたら、いやそんなことを言ったらここは放棄するしかない、だから…そんな議論があって意見がまとまっていないのだろうか。
晴れあがった海は美しく静かだ。
港町ブルースの碑がぽつんとある。
この木造家屋には見覚えがある。今日は陸前高田を経て釜石まで行きたいから、市役所の方へ戻ることにした。
石巻に近づくと東京の郊外でもよく見るような大型店舗が固まっている。駅前商店街から街の中心が移って来たということだ。明治時代に鉄道が整備された時も宿場町が衰微したことはあった。商店街でも大型店舗でも地元の人間が働いているのは変わらない。しかし、この画一化された風景は好きになれない。
市街地に入って泊まるところを探そうと何度も車を走らせるが、駅のそばでもホテルや旅館どころかほとんどの建物に明かりが灯っていない。港の方へ行くと日本製紙の巨大な工場があった。煙突から盛んに湯気が上がっている。そんなことを繰り返しても宿が見つからないので、郊外に戻ってネットカフェに泊まることにした。
近くの居酒屋に入って出された付き出しが酢牡蛎だったのには驚いた。
金目鯛の焼き物と鍋を頼む。一人で鍋ができるのはうれしい。8時近くなって店が混んでくるのを店主が1人で切り回している。
赤霧島をお湯割りと水割りで飲む。
カウンターの隣客がグラタンのパイ包みを食べているのを見て、自分も食べたくなった。ネットカフェに戻ると旅の疲れと酔いですぐに寝てしまう。
1時過ぎに目が覚める。まだ酔っている。寝つけないので記事を書く。それが「日本は衰退しました:経済学的基礎知識」だが、論旨自体はとっくに考えていたことなので書くのは造作もない。ただデータををいろいろ探して、リンクを貼るのが面倒でもあり、時間つぶしにもなった。シャワーを浴びたり、飲み物を取りに行ったりしながら、完成させ、出かけにアップした。
駐車場に行くとフロントグラスが霜で真っ白になっていた。溶けるのを待っている間に空が青くなっていく。
サイボーグ009のステンドグラスのある駅に着く。石ノ森章太郎の故郷がこの辺りでミュージアムがあると聞いたことがある。フィギュアもあちこちにある。
6時半に駅のコンビニが開いて、サンドイッチとヨーグルトと缶コーヒーを手に取る。ここまでは旅の朝食の定番だが、いつお昼を食べられるかわからないのでおにぎりも買う。
結局ぜんぶ食べてしまっているうちに明るくなってくる。昨夜見た衰退した街並みがはっきり見えてくる。
おそらく住民も商店も海から離れ、高台や郊外に移動したのだろう。
石巻を去る国道脇の石ノ森萬画館。スマホのカメラは明るく映りすぎるが、これは逆光なのでかえって見えたとおりに映った。水鳥が飛び立つ瞬間にシャッターが切れなかったのが残念だ。
気仙沼に行く前に牡鹿半島に寄ってみる。入り江が多く、高所を走る車から眺める牡蠣の養殖いかだが美しい。月浦という地名に覚えがあったので停めてみると支倉常長の像が太平洋を見つめている。見下ろすと小さな入り江が見える。彼がヨーロッパを目指して出帆したのが1613年だから400年前のことだ。1582年から1560年の天正遣欧少年使節が往復ともにインド洋経由の西回りであるのに対し、常長は行きは東回りでメキシコを経由している。
1871年から1873年の岩倉使節団は「欧米視察によって日本がいかに遅れた国であるのかを痛感し大きな劣等感に苛まれていたが、このとき250年以上も先立つ昔に日本の外交使節がスペインで外交交渉を行いローマまで派遣されていたという衝撃的な事実を知った。常長達の足跡を目の当たりにして、岩倉たちは大いに勇気づけられたという」とのことだ。
レストハウスが荒れ果てたまま放置されていた。周りには鹿の糞や足跡がたくさんある。
半島の先端に御番所公園があって展望台からの眺めがすばらしい。
まだ8時半。人がほとんどいない中で多島海を愛でる。
去りがたい思いもあるけれど、被災地再訪のはずがまだどこにも行けていない。ただ行きがけに気になった入り江だけは車を停めたい。
海のそばの林と小さな川。道路の向うには小学校がある。荻浜という集落で何もないが、自分にとってこんななつかしさを感じさせる風景はない。箒を立てたような林が朝靄にけぶっているのを車窓からちらっと見ただけできゅんとなった。
うつむくと空と林が見える。浅い水は記憶の深いところを呼び覚ます…
ようやく3年前に訪れた気仙沼に着く。市役所のそばのドラッグストアの駐車場に停めて歩く。
表通りは修復されているけど、脇道には当時のまま放置された家屋がところどころにある。
お昼を食べるところを探して港の方に向かうと仮設店舗があった。
その中の寿司屋に入って復興スペシャルというのを注文する。出前も多いらしくなかなか繁盛している。
だが、他の仮設商店街も含めて人影は少なく、年末休みのお昼時としては寂しい。ちょっと話題になっただけで人が押し寄せる東京との差は大きい。
壊れた家屋とがれきが片付いているだけにしか見えない。
海抜の低いこの辺りに6.3メートルの津波が押し寄せたら、いやそんなことを言ったらここは放棄するしかない、だから…そんな議論があって意見がまとまっていないのだろうか。
晴れあがった海は美しく静かだ。
港町ブルースの碑がぽつんとある。
この木造家屋には見覚えがある。今日は陸前高田を経て釜石まで行きたいから、市役所の方へ戻ることにした。