夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(24)

2005-08-17 | tale

 頬を冷たく切るような寒風の中をアパートに戻ると、仲林欽二が勝手に上がりこんで、ストーブにあたっている。
「やあ、お帰り。部屋暖めておいたぜ」
 宇八は欽二の表情に、おやと思ったが、それには触れずいつもの調子で応えた。
「人の家のストーブを勝手に使って暖めておいたもないもんだ。……それより現われたぜ、時木百合が、教会に。色っぽいぜ」
 そう聞くと、欽二はくるりと90度回って、宇八に向き直って、
「教会は豆まきしないのか?来週節分だろ?」とわけのわからないことを言いだすので、さすがにあきれて、遅れて帰って来た栄子と輪子に、
「おい、このおじさんは神父さんが『鬼は外、福は内』ってやると思ってるぞ」と笑いながら言った。羽部家では輪子が小学校を卒業する前から豆まきはしなくなっていた。

「で、今日はなんの用だ?」
「何ってこともないが。……」
「もうけ話か?」
「それもないことはないが」
「ふうん。……あれか? また狙われているのか?」
 欽二は目を上げて答える。
「……いや、まあそういうことかな。どうしてかはわからんが」
「この部屋の中でもそうなのか? どの辺りが狙われているんだ?」
 のんびりした調子で、しかし嘲笑するような様子はなく訊く。
「この辺りかな」と言って、左のこめかみの後ろを指で突いて見せる。
「だって、そんなの本当だったら頭は始終動いてるから別のところに当たるんじゃないのか?」
「現実はそうかもしれんが」
「じゃあ、妄想に過ぎんだろ?」
「それだけか?……おまえみたいに割り切れればいいよな。だが、おれを狙ってる目は、はっきり見えるんだ」
「もう30年以上経つのにな」
 そのあとの言葉を宇八は飲み込んだ。その狙撃兵だって今はいい年になって目だってしょぼしょぼさせているだろうという軽口だったが、それを言えば欽二は死んだ奴は年を取らないと言うだろう。その狙撃兵が生きているか、死んでいるか知らないのに。その自分の言葉で、欽二は狙撃兵のことなんかではなく、もっと多くの、夥しいと言ってもいいような死体が狙撃兵の幻想を見させていることをはっきり知ってしまうだろう、そしてそのことを宇八に口外してしまったことに気づくだろう。……そこまで一瞬にして考えたわけではないが、言葉を飲み込んだ理由をたどっていくとそういうことになる。その程度のことがすぐに「見えてしまう」のは、この主人公にとってはふつうなのだった。

 輪子が台所で昼食に炒めていたものを持って来る。
「お、ピラフか、おまえいいタイミングで来たな」
「輪子ちゃんのお手製か、ありがと。……おい、ピラフって、炒飯とは違うんだよな?」
「違うよ。決まってるじゃないか」
「どう違うんだ?」
「輪子が作るとピラフ、女房が作ると炒飯さ」
 ピラフをスプーンで頬張りながら答える。
「それだけか? そんなのでいいのか?」
「それ以外にあるかよ。味わかんなくなるだろ、そんなに考えると。……それよりもったいぶらずに教えろよ、もう一つの話。もうけ話」

 仲林があまり乗り気でない様子でしゃべり始めた内容は、次のようなものだった。ニューギニアだか、インドネシアだかに変わった種類のトカゲがいる。これをペットとして輸入して一儲けしようという話を知り合いのブローカーのようなことをやっている男が持ち込んで来た。自分は仕入れや小売店のあやし方ならわかるが、生き物のことなんててんで見当がつかない。知り合いに変わった奴がいるから、そういう変わったトカゲのこともわかるかもしれない、そういうふうにその男には答えた。

「変わった奴とはごあいさつだな。それでそのトカゲはどう変わっているんだ?」
「トカゲの首ってどこだかよくわからんが、その辺に大きな膜みたいなのがあって、興奮したりするとそれを広げて、後ろ足だけで立って走るんだそうだ」
「それだけか?」
「ああ。……やっぱりダメか?」
「よくわからん。……おれは爬虫類のことはよくわからんな。ああいう目をした奴の考えはどうも理解できん」
「別にトカゲの考えがわからなくても商売はできると思うが」
「それが素人の浅はかさ、凡人の悲しさだ。だいいち周りの温度で体温が変化するんだぞ。想像できるか?」
「寒いと動きたくないってことならわかるぞ。暑すぎてもそうなるが」
 欽二が残りのピラフをスプーンですくうのに苦労しながら言うと、とうに食べ終わっている宇八が水を飲みながら、話にケリをつけるように言った。
「まあ、その程度わかれば十分なのかもしれん。おまえがやるなら乗るぞ」
「うーん。おれもおまえがいつもの調子でやるぞって言えば乗ろうと思っていたんだが」
「おれが本気のときは、止めにかかってくるくせに。……まあいいさ、二人とも冷静ならうまくいくんじゃないか」
「そうだな、いつでも引き返せそうだな」

 そういうピラフを食べながらの話し合いで、この後1年あまり二人が散々苦労するタネが蒔かれてしまった。ついでに申し上げておくと、例のトカゲのブームはこの物語の終わりの時期より更に後、1986年のことなので、『二人の友人が協力して成功することはない』というラテン語の格言のような事態が繰り返されることになる。おまけに時木百合をお目当てに、次の日曜のミサに二人とも参列し、話を詰めようということにしたのだが、こんな物欲と色欲の二股膏薬でミサに出るのは、神を畏れざる行いであると力説しておきたい。


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2 コメント

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いえいえw (夢のもつれ)
2005-08-18 23:37:33
私自身は爬虫類はどうも好きではないんですが、あっという間にブームが去ったえりまきトカゲはちょっとかわいそうでした。

主人公とその友人は色と欲の皮が突っ張っているので、しっかりひどい目に会うことになっていますw。
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エリマキトカゲかわいい! (hippocampi)
2005-08-18 21:27:09
それにしても罪深い男たちですねえ(笑)。
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