「オフェルトリウム」(奉献唱)が典礼の中で占める重要性やその内容については、物語でかなり触れましたし、「深き淵より」との関係についても既に紹介したとおりです。構成についてだけ繰り返すと、前半(3+3)と後半(2+2)からなっていて、その要が6行目のアブラハムとその子孫(つまりユダヤ民族)への神の約束(promisisti)であり、そのことへの捧げ物(いけにえと祈り)というわけで、まあ、神社に鯛を奉納したり、お賽銭を上げてお祈りするのと同じように考えればいいでしょう。そういうどの宗教にもあるような人間の宗教意識の根本のような儀式ですから、極めて重要なわけです。
さて、3行目の「獅子の口から解き放ち給え」は“テモテへの手紙第2”の第4章第17節に、さらには“詩篇”第22章第21節「私を救ってください。獅子の口から、野牛の角から」に由来するようです。5行目の聖ミカエルは天使の代表選手みたいなものらしく、ユダヤ民族を守ってくれて、画像のように龍や悪魔を退治してくれる勇敢な存在らしいです。天使の階級とか役割とかはいろんな説というかお話があるみたいで、ファンタジーやゲームの世界では重要なことなのかもしれませんが、私はさまざまな願望や自然への畏怖のシンボルとか異教の神々の取り込み、つまり仏教での菩薩や神と同じようなもんだろうとしか思っていません。
6行目というか、神がアブラハムに何を約束したかは創世記の第15章を見ていただければいいんですが、簡単に列挙すれば、数えきれない星ほどの子孫、苦難の後の多くの財産、エジプトの川からユーフラテス川までの領土(!)といった大盤振る舞いで、それに対してアブラハムは雌牛や雌やぎや雄羊をいけにえとして切り裂いて捧げたのでした。これはどう読んでも神とユダヤ民族との契約で、なんでキリスト教徒が自分たちと神との契約だと考えられるのか不思議ですし、この部分をイラクで朗読したら命がいくつあっても足りないでしょう。