夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(18)

2005-07-27 | tale


 5 超法規的勝手にしやがれ~DIES IRAE

 羽部宇八は怒っていた。なんに対して? 1977年9月30日のダッカ事件に対する福田内閣の取った『超法規的措置』に対してである。
 
 なぜ? そんなことをすれば砂のような国家はバラバラになり、社会などという観念的な代物は雲散霧消してしまうからである。これは古代ギリシア以来決まっていることではないか。数々の亡国が証していることではないか。泉下のソクラテスが聞けば国家、国民に対する最大の犯罪だと断じるであろう。法の守護者たるべき為政者が法を破壊し、犯罪者を野に放つ、秩序を灰燼に帰し、無政府状態を齎すとは。

 無政府状態! いかにそれを賛美し、あこがれる者がいようと、ホッブズが示したようにそれは人が人を怖れ、憎しみ合う、恐怖が裁き主となる社会、混沌たる沼なのである。よりにもよって、国家の破壊を希求する連中に対して、うやうやしく秩序の根本を差し出すとは。日本政府は、世界中に政治、国家についての無知無能ぶりをさらした。このことの影響は深く、広く、長い。……確実にこの社会の根は蝕まれていくだろう。人びとは法律を軽視するだろう。道徳や倫理は個人のものに極小化されていき、やがて消えていくだろう。子どもたちはそうした“物分りのいい大人たち”を見習い、“束縛”を解き放って、やがて大人たちに襲いかかるだろう。薄ら笑いを浮かべる利己的なニヒリストだけの国になっていくだろう。……

 人は訝しく思うだろう。単なる一市民、それもあまり社会秩序の中にお行儀良くいたとも思えない我らの主人公がこうした怒りを発することを。何か他に理由があるのではないか、欲求不満ではないかと。あの人質を取られ、有効な手段もないままで、他にどういう手立てがあったのかと人はまた問うだろう。人質が殺されるのを見過ごせと言うのか? 人命は地球より重いのではないのか? 

 勝手にしやがれと宇八は思う。勝手にしやがれ。始めからおりてるくせに。ギリギリの選択なんて利いたふうなことを言いやがって。生まれついての腰抜けのくせに。地球の重さが何トンなのか知りもしないで、センチメンタルなことを言う、薄っぺら野郎のくせに。どいつもこいつも聞いたふうなことばかり言いやがって。政治家が国民の生命、安全に関わる発言をする以上、きちんと勉強しろ。あの戦争以来、国家の問題を考えるのを逃げてきたんじゃないのか。国家よりも商売、倫理よりもビジネス、そんなふうに片割れがこの国のことを酷評していたのを思い出して嫌な気になる。……彼は自分自身が根本的な問題をなおざりにしてきたことを思い知らされ、しばらく機嫌が悪かった。

 73年10月の第一次オイルショックとこのダッカ事件を頂点として、この頃に宇八が怒りや嘲笑を浴びせ掛けたくなるような事件が頻発していた。偉そうに日本列島を改造すると言っていた田中角栄の逮捕、すぐに邪魔物になった紅茶キノコ、自分の実家にでも贈ればいい小包爆弾、そういった報道に接するたびに、ジュリーの歌を歌いたくなるのだった。なぜここまで救いようのない奴ばかりになってしまったのかと。

 そんな折、まことに久しぶりに栄子の実家である上川家に親戚縁者が勢ぞろいした。栄子の両親の保や春音が生きていた頃は、長男の正一夫妻が同居しており、盆や正月には羽部栄子、片山達子、鳥海光子、末っ子の上川昭三が夫や妻、子どもを引き連れて実家にやってきていたのだった。これだけでも本家が正一の3人の子を合わせて7人、羽部家が3人、片山家が5人、鳥海家が4人、分家の昭三のところが5人、更に使用人、元使用人などが加わり、総勢30人ほどのまことににぎやかな集まりであった。

 上川保は、雪深い田舎の農家の三男坊で、食えないあまりこの都市に若い頃出てきて、丁稚奉公から始め、刻苦勉励、戦災により一代で築き上げた料理屋を失っても、これからは都市に人が集まると見抜き、アパートをいくつも持ち、昭三にも分与してやるほどの財を成した人物である。

 吾作という本名では田舎者扱いされるので保に変えた弟を田舎に留まった長兄が訪ねて来て、「吾作! おめえのとこの味噌甕のカスまでおらのもんだぞ」と酔ってくだを巻くのを「兄さん、兄さん」と立てるのであった。故郷から追いやったくせに何を言う、弟が出世したのが妬ましいのかと娘たちが腹を立てても、内心を明かしたりはしなかった。宇八が保の墓参りだけは素直に行くのも、義理でも何でもなく、墓に向かって敬慕の念を表すのに気兼ねがないからである。

 色事にも長けていた保を支え、御していたのが春音であり、晩年でさえ保の浮気の情報を入手するや、同居していた正一の子の晃、裕美子、稔を、ふだんの物静かなおばあちゃんぶりはかなぐり捨て、教育的配慮など一切なく動員して、現場の小料理屋兼あいまい宿の玄関口と勝手口を押さえに行ったりした。そうした春音の気質をよく知っている宇八は、いったん春音の血が活動すればと、栄子の監視網についても侮ってはいない。

 この春音が死んだ時の保の悲しみは大きく、その後急速に衰え、一年半ほどで後を追うことになった。今日は、その保が死んでちょうど10年目の命日である11月3日に、春音の12回忌の供養も兼ねて集まったわけである。

 しかし、その10年前の保の葬儀の参列者の多かったこと、口々にこんな盛大な葬儀は見たことがないとの声が聞こえた。それは数だけの問題ではない。お義理で来るような人はいなかった。親戚でもなく、仕事上の関係もほとんどなくても、故人を忘れられない人びとがその記憶に吸い寄せられるようにして、続々とやって来たのだった。温泉旅館のように建て増しを続けたアパートの一角にあまり大きいとは言えない住まいがあり、祭壇が設けられた玄関に近い広間から人があふれた。参列者たちは、省みて自分のときにはこんなふうに来てくれる人は一体何人いるだろうかという想いを抱いたのだった。

 まだ小学生だった鳥海童は、あまりの熱気に辟易して庭の裏口から外へ出た。嘘のように静かだった。きれいに澄みわたった青空の高いところにすじ雲が見える。隣の鋳物工場も今日は休みで、陽が屋根や壁に当たって、ぼんやりした影を作っている。……おばあちゃんが死んで、おとといおじいちゃんが死んで、ママやお姉ちゃんはひどく泣いているし、パパだって時々顔をしかめている。でもぼくはなんだかあまり悲しくない。人が死ぬって、こういうふうになることなのかって、おじいちゃんの土みたいな顔を見ると思う。おじいちゃんがお小遣いをくれたり、お酒をちょっと飲ませてくれたり、瓶詰めのウニをお箸ですくってなめさせてくれたり、そういうことがもうないのは、わかる。おじいちゃんが「おい、おまえは賢いのか、バカなのか、どっちかわからん奴だな」っておもしろそうに言うことは、もうない。ぼくはそう言われると恥ずかしくて、とてもいやだったけど、あの酔っ払った赤い顔を見ることは絶対にない。この後、いつかぼくが同じようになるまでないんだ。ぼくにはそのことしかわからない。……

 一族の主柱がいなくなった後は、いくら本家だと正一が力んでみても仕方がない。保の死の少し後に郊外に大きな家ができた。正一は、両親に楽隠居してもらうために建てたのにと嘆いていたが、彼はそういう時宜に適わないことばかりしてしまう人物なのである。その家に一族郎党を集めて、これまでのようににぎやかにしたいのである。父の座っていたところに自分が座り、みんなにちやほやされたいのである。保の遺産、遺品はすべて自分がまず取り、胸先三寸で恩着せがましく分配したい。こうした発想からして人情の機微もわからない人物だと判断できようというものである。

 これに対し、分家の昭三の家は従わざるを得ないのだが、三姉妹は、紆余曲折はあったものの結局は共同戦線を張って対抗した。てやんでえである。何言ってやがるである。何もやらないって言うならそれでよし、何もくれるな。こちらも付き合いはご免蒙る。絶交だ。この上川一族、特に三姉妹はどうも何かというと絶交という言葉を口走るのだが、それは冷戦というよりも彼女たちの怒りがかっか、かっかと燃え立っているということだった。

 結局、一年ほどうるさい妹たちから干し上げられると正一も弱気になり、三姉妹も軟化し、復交となったが、どうしても昔日のような統一感、熱気というものがない。少し他用があれば欠席する、一族の繁栄の象徴のような多くの孫たちも受験勉強だの、就職だの忙しく数が集まらない。……

 そういうわけでの10年ぶりの結局は両親の権威を借りての今日の法事である。それならいっそのこと、あの思い出深いアパートの一角でやれば良さそうなものだが、あそこは賄いを作る住み込みの使用人に貸し与えているし、そんなみっともないことはしない。現在の広い住まいにごちそうを並べ、愛想笑いを浮かべて歓待した。

 正一の妻の勝子、栄子、達子、光子、昭三の妻の順子らが代わる代わる料理や酒を出す。仏間を兼ねた広間では、正一、宇八、幸三、薫、昭三らに成人している晃も入って、酒を酌み交わしている。続きの洋間には本家の裕美子、稔、片山家の暁子、葉子、攻治、鳥海家の菫、童、分家の高保、月子、保伸らがいて、年長者は酒も飲むが、それよりは食べるのに夢中だった。

 輪子は気分が優れないと言って自宅で留守番していた。鳥海童は現在浪人中で、欠席する理由は十分あったのだが、親や短大を出て就職していた姉の菫が行くのにつられて、なんとなく来てしまっていた。彼より年下の従兄弟は、輪子がいないので、一つ下の月子と三つ下の保伸しかいなかったが、彼らは進学はしないという話が聞こえてきた。


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6 コメント

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読みごたえがありました (hippocampi)
2005-07-28 00:04:55
登場人物が一気に集結してもつれかけましたが、一言加えて下さっている親切なる解説に整理されました。



遺産相続って面倒ですよね。70年代に使用人がいるとはリッチなお宅。現代では、、お手伝いさんとか掃除のおばちゃん、あたりが該当するのでしょうか。



「紅茶きのこ」が非常~に気になるのですが、よろしければ解説を御願い致します。
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ご指摘いただきありがとうございます (夢のもつれ)
2005-07-28 02:02:52
こんなにいっぺんに人物を出すのは、小説としては拙劣ですね。「怒りの日」なので、派手な合唱にしたかったんですよ。



昔のアパートは賄い付きがふつうで、そうした食事や掃除をするお手伝いさんってことですが、確かにわかりにくいので、少し説明を入れました。



紅茶きのこは、この頃ブームになった健康食品?で、紅茶の中に人からタネをもらって入れると、もやもやしたクラゲみたいなのができて、それを飲むと小水の出が良くなる、アザとかニキビが消える、眼底出血、小児喘息が治る、血圧が下がるなどと言われたものです。キノコとは関係ないみたいです。こういうのって、その後も現われては消えていくんですが、うちの親とかがすぐに飛びついては、後で始末に困っているのがとてもおもしろかったです。
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紅茶きのこ (hippocampi)
2005-07-28 21:13:36
派手派手、よく理解できました。ありがとうございます。



紅茶きのこですが、種が液中できのこ状になる…ふやかす?いろいろな効能があるんですね。
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効能ですか。。 (夢のもつれ)
2005-07-28 23:50:54
ないでしょうw。私は健康食品なんておよそ信用していませんね。

薬が効くのは、体に強く作用をするからで、必然的に副作用があります。毒にも薬にもならないっていうのは真理で、血圧でもガンでも、効能があるものが体に悪い作用をしないわけがないのに、それが許されない食品が本当の意味で効くはずはありません。ただの気休めでしょう。

もちろん効いたと思ってる人はいますが、ブラインド・テストのような科学的な検証を経たものではありません。
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ごもっともでござります。 (hippocampi)
2005-07-29 17:39:13
プラシーボ、確かにありますね(笑)。いろいろ今だに流行りの健康食品がありますが、私も全然信用していません。



季節のものを食べて運動してストレスをためないのが一番身体にいいんじゃないかな、なんて思っています。長生きして宇宙へ行くために、健康第一!
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そのとおりです^^ (夢のもつれ)
2005-07-29 17:53:07
私の経験でも運動とストレスをためない、自然な生活がいちばんだと思います。

発がん性物質っていっぱいあって、酸素だってそうなんですがw、私はストレスが最悪の発がん性物質じゃないかって思っています。
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