夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

私のバッハ体験~ヴェーベルン編曲「6声のリチェルカーレ」

2005-09-05 | music

 シェーンベルク(1874-1951)を師とするいわゆる新ウィーン楽派は、バッハから大きな影響を受けています。シェーンベルクはその著作でしばしばバッハに言及し、前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552を始めとして多くの編曲を行っています。ベルク(1885-1935)は20世紀のヴァイオリン協奏曲の代表作と言える最後の作品の終末部において、カンタータ「おお永遠、いかずちの言葉」BWV60のコラールから“Es ist genug; Herr, wenn es dir gefaellt.”(満足です。主よ、御心にかなうなら)を引用しています。よく知られているようにこのコンチェルトは、アルマ・マーラーの娘マノンの死を悼んで『ある一人の天使の思い出のために』書かれたもので、コラール旋律はこの複雑な情念に満ちた曲に最期の安らぎを与えています。ヴェーベルン(1883-1945)はベルクの作品と同じ頃、「音楽の捧げもの」BWV1079から『6声のリチェルカーレ』を大規模なオーケストラ曲に編曲しています。こうしたことを見ていくと、調性を手放して、12音技法という寄る辺ない航海に出かけた彼らにとって、導きの星ともなり、苦難の時の救いとなったのがバッハのように思えてなりません。

 しかし、その中でも音楽的内容としてバッハに近いと感じさせるのはヴェーベルンの音楽です。最初に彼の音楽を聴いたのは管弦楽曲集で、上掲の曲や「パッサカリア」作品1の題名のせいもあるのでしょうが、その極限まで切り詰めた無駄のない音楽の手触りはバッハのものと近いように思いました。当時の私が「フーガの技法」BWV1080に魅せられていたからかもしれません。あの曲とロ短調ミサ曲BWV232はバッハの曲としては、実際上の使用目的が明らかでない極めて異例の曲であり、前者は楽器の具体的指示もありません。おそらくバッハが一生をかけて徹底的に追及した対位法技法(Kunst、芸術の意味もあります)を思う存分駆使し、やがてその前に行くであろう神への捧げもの(Opfer)として用意したのでしょう。未完に終わりながら、BACHの音型による署名があるのもそういう気がします。いずれにしてもメカニカルな音の展開のように聞こえながら、だんだん引き込まれ胸が熱くなってくるところがヴェーベルンと共通するものがあるように感じます。

 ブーレーズその他による6枚組みのヴェーベルン全集で聴くと、初期の作品はシェーンベルクなどと同じくマーラーなどの後期ロマン派の延長線上にいますが、師と違うのは極端に曲が短く、10分を超えれば長い方です。それで連想されるのはウィーンつながりということもあるのですが、ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)です。この20世紀の哲学を切り拓いたとも、哲学を解体したとも理解できそうな天才の著作は、厳密で切り詰められた短章からなり、かつインスピレーションに満ちていて、そうしたところがヴェーベルンの音楽の肌合いに近いように感じます。例えば「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」といういたずらに有名な彼の言葉がありますが、一面から見れば当たり前の言明ですし、他方から見ればいい曲を聴いて感動したら黙っていなさいなぁんて理解することも可能だと思います。ヴィトゲンシュタインの両親は音楽が好きで、ブラームスやマーラーも訪れたことがあり、彼の兄はけっこう有名なピアニストだったそうです。

 クラシカルな某さんによると、ブーレーズは「シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンを“発見”したのちに、彼らの音楽との連続性からマーラーを発見した」と言っているそうです。ブーレーズの作品は以前(5/17)に採り上げましたが、ああいう曲を書いた作曲家らしい実感だと感じました。もちろん12音技法で書かれた作品を念頭に置いて言ってるわけで(「グレの歌」からマーラーじゃ当たり前すぎますよね)、そういう曲を演奏する時に必要な解析的なアプローチで音楽の構造を見ていくようなスタンスがマーラーを演奏するのに役立ったってところでしょうか。それならいっそ「フーガの技法」を録音してほしいですね。この曲に関してはさっき述べたような理由から、オリジナル楽器による演奏が優位する理由は何もないですし、グールドやリヒテルの演奏はバッハにいちばん近いと思いますから。

 バッハの音楽を聴くのが私のライフワークの一つなんですが、そのためにはすべての音楽を聴くことが必要なことの一つだろうと思っています。もちろん果てしのないことですし、付き合いかねるような音楽も多いのですが。



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4 コメント

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バッハへの思いを (pfaelzerwein)
2005-09-05 15:04:11
こんにちは。作曲家のバッハへの繋がりだけでもライフワークとするほどの事象がある事でしょう。編曲に関しても、ジャズトリオやプレイ・バッハへ連なる伝統は巨大ですね。



さて、良く並び称される新ヴィーン学派の三人のバッハへの思い(BACHの音列のみならず)を簡単に列挙するのも難しい。ヴェーベルンの場合は、寧ろそのまた本元であるイザークなどのルネッサンスに興味の焦点があったと見るほうが良いかと思います。点描音色管弦楽法はマーラー譲りとすべきでしょうか。特に無き子シリーズ以降の交響曲。パッサカリアもブラームスを通して、更に何処へ源を辿るのかは、意見が分かれるかもしれません。



何れにせよ。1935年の編曲はナチの自作演奏禁止と活動の制限から、ロンドンなどでの指揮の為に経済的な理由から編曲した経緯があります。マーラーの七番の指揮と並んで、当時の作曲家の関心が見て取れます。



訂正ですが、作品26は後期の代表作「目の光」です。この間違えが何処から来たのかと考えると、その前の数曲の作品群との関連の示唆もあり興味深かったです。
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いつもお世話になります (夢のもつれ)
2005-09-05 15:25:53
なるほどイザークはヴェーベルンがウィーン大学で研究したそうですね。今度、聴いてみたいと思います。未知の作曲家を知る機会を与えていただきありがとうございます。



マーラーの影響は歌曲などを聴くとそのまんまって感じですね。パッサカリアも通常はブラームスの影響下のものと言われていますね。ヴェーベルンを聴き始めた頃の私がバッハと短絡したというだけのことです。



作品26になったのは何かの見間違えでした。訂正しておきます。



今後ともよろしくお願いします。
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お久しぶりですm(_ _)m (ya-ya-ma)
2005-09-06 19:17:04
こんばんは♪お久しぶりですm(_ _)m

ウェーベルンて編曲うまい人ですよねぇ。この「6声のリチェルカーレ」、ワタシも大好きです。彼が師匠の曲を編曲したもので、「室内交響曲第1番Op.9」のピアノ五重奏版も、その手際のよさに脱帽していしまいます。もちろんシェーンベルクの原曲もいいのですが、ウェーベルンの編曲版の方が実は好きだったりして(苦笑)



師であるシェーンベルクがブラームスのピアノ4重奏をオケ版に編曲したものがありますけど、あれは逆に中音域ばかりゴーゴー鳴っていて、ウェーベルンに比べるとシェーンベルクのオーケストレーションがやたら稚拙に聴こえてしまうのです(苦笑)



それにしてもウェーベルン最高ですね♪第2次ウィーン楽派の中ではワタシは一番好きかな

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ya-ya-maさん、ようこそ (夢のもつれ)
2005-09-07 11:15:07
私もヴェーベルンがいちばん好きですね。何より短くて、禁欲的なのがいいです。そういう気質は編曲にも表れてて、拡張したのも無駄に大規模にしたって感じじゃなくて。



これからもよろしくお願いします。



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