1月にできた国立新美術館は、いずれ何かいいのが来たら混んでなさそうな日にでも行こうかなって思っていたんですが、3月末までのタダ券が手に入ったんで、まあ建物だけでも見れればいいやってことで昨日の日曜日に行きました。六本木というか乃木坂というか、六本木トンネルのすぐ近く、六本木ヒルズやミッドタウンからも近いところにあります。
これは正門の脇から撮ったんですが、波のような外観はいい感じです。
上から見るとこのポスターのようになっていますが、ちょっとやりすぎのような感じもあります。
中はこういう吹き抜けの大空間になっていて、「すごいなー、広いなー、でもこういうのって最近よくあるなー」って思いました。2階と3階に昔のSFに出てきた宇宙ステーションみたいなカフェだかレストランだかがあって、たくさんの人が並んでいました。どうせ高いし、並ぶのやだし、六本木の駅前でラーメン食べたばかりなので、横目で見るだけです。
で、ポンピドー・センター所蔵展「異邦人たちのパリ」を見ました。20世紀のパリの美術ってほとんどが外国人によって担われてたわけですから、こういう括りならなんでもOKってところで、誰でも知ってる名前を挙げただけでもモディリアニ、ピカソ、シャガール、フジタ(藤田嗣治)、カンディンスキー、ミロ、ジャコメッティ、エルンスト、マン・レイって壮々たるものです。
いいなって思ったのはモディリアニの「ロロット」とシャガールの「エッフェル塔の新郎新婦」でしょうか。ピカソはそれほど感心しませんでしたが、ブランクーシの「眠れるミューズ」やザッキンの「扇子を持つ女」、ガルガーリョの「フルートを吹くアルルカン」といったキュビスムの彫像がおもしろかったですね。立体化されたピカソの絵のような彫像をいろんな角度から眺めて、それでピカソの絵を見ると画面に押し込めた感じとやっぱり平面は平面で構成された感じとがあって。
で、キュビスムやシュルレアリスム以降のアートにスペースがかなり割かれていました。それはポンピドー・センター自体がそうですし、ある意味感覚的におもしろいって思うか、しょーもないって思うかで見ていけばいいんですが、総じて言えば作品が巨大化しするのと比例して、どんどんテンションは下がっているように思えました。これは第2次大戦後、アートがもうかるものになったことと無関係ではないでしょう。もちろんそういう傾向への反発から生まれた60年代の具象革命と呼ばれる作品もありますが、現在見ると落ち着きの悪いままに古びてしまったように見えます。
さて、思ったよりは人が多くなく、さっさと見て行く分にはあまり問題はなかったんですが、なんだかデパートの展覧会を見ているような気がしました。外国の美術館とまでは言いませんが、上野のいくつかの美術館でももうちょっと風格と言うか、たたずまいがあるのに。……それはここが所蔵作品を持たない、言わば巨大な貸し画廊だからでしょう。一応、学芸員はいるんでしょうけど、所蔵作品に過剰なまでの思い入れを持つキューレーターは必要ないわけです。簡単に言ってしまえばハコもの予算はつくけど、中身には予算がつかないという我が国の文化行政の縮図ですし、美術館なんて言ってもデート・スポットの一つでしかない人たちにはそれで十分でしょう。
そう思って見るとチケットを買って展示室を回って出てくるだけの美術館とは違って、うろうろ時間を過ごすのにはうってつけです。
で、最初のポスターにもありましたけど、ここを設計した黒川紀章の展覧会もやっていました(「20世紀美術探検―アーティストたちの三つの冒険物語―」っていうのもやってましたが、タダ券では入れなかったのでパスしました)。そこは逆にだだ広い空間を惜しげもなく使ったもので、なんだか自慢たらしい感じでした。疲れていたこともあってマジメに見てないんですが、彼が今度の都知事選に立候補するからってこともありますけど、改めて建築家ってアーティストの側面と政治家の側面の両方が必要なんだなって思いました。……その両方が必要っていうことでは宗教家も同じで、そういう感じが漂っている黒川が政治家になりたがるのは理解しやすいように思いました。
……そんなこんなでまた六本木にふさわしいハコものができたなって、米軍の基地を横目で見ながら西麻布の方へ歩いていったのでした。
これは正門の脇から撮ったんですが、波のような外観はいい感じです。
上から見るとこのポスターのようになっていますが、ちょっとやりすぎのような感じもあります。
中はこういう吹き抜けの大空間になっていて、「すごいなー、広いなー、でもこういうのって最近よくあるなー」って思いました。2階と3階に昔のSFに出てきた宇宙ステーションみたいなカフェだかレストランだかがあって、たくさんの人が並んでいました。どうせ高いし、並ぶのやだし、六本木の駅前でラーメン食べたばかりなので、横目で見るだけです。
で、ポンピドー・センター所蔵展「異邦人たちのパリ」を見ました。20世紀のパリの美術ってほとんどが外国人によって担われてたわけですから、こういう括りならなんでもOKってところで、誰でも知ってる名前を挙げただけでもモディリアニ、ピカソ、シャガール、フジタ(藤田嗣治)、カンディンスキー、ミロ、ジャコメッティ、エルンスト、マン・レイって壮々たるものです。
いいなって思ったのはモディリアニの「ロロット」とシャガールの「エッフェル塔の新郎新婦」でしょうか。ピカソはそれほど感心しませんでしたが、ブランクーシの「眠れるミューズ」やザッキンの「扇子を持つ女」、ガルガーリョの「フルートを吹くアルルカン」といったキュビスムの彫像がおもしろかったですね。立体化されたピカソの絵のような彫像をいろんな角度から眺めて、それでピカソの絵を見ると画面に押し込めた感じとやっぱり平面は平面で構成された感じとがあって。
で、キュビスムやシュルレアリスム以降のアートにスペースがかなり割かれていました。それはポンピドー・センター自体がそうですし、ある意味感覚的におもしろいって思うか、しょーもないって思うかで見ていけばいいんですが、総じて言えば作品が巨大化しするのと比例して、どんどんテンションは下がっているように思えました。これは第2次大戦後、アートがもうかるものになったことと無関係ではないでしょう。もちろんそういう傾向への反発から生まれた60年代の具象革命と呼ばれる作品もありますが、現在見ると落ち着きの悪いままに古びてしまったように見えます。
さて、思ったよりは人が多くなく、さっさと見て行く分にはあまり問題はなかったんですが、なんだかデパートの展覧会を見ているような気がしました。外国の美術館とまでは言いませんが、上野のいくつかの美術館でももうちょっと風格と言うか、たたずまいがあるのに。……それはここが所蔵作品を持たない、言わば巨大な貸し画廊だからでしょう。一応、学芸員はいるんでしょうけど、所蔵作品に過剰なまでの思い入れを持つキューレーターは必要ないわけです。簡単に言ってしまえばハコもの予算はつくけど、中身には予算がつかないという我が国の文化行政の縮図ですし、美術館なんて言ってもデート・スポットの一つでしかない人たちにはそれで十分でしょう。
そう思って見るとチケットを買って展示室を回って出てくるだけの美術館とは違って、うろうろ時間を過ごすのにはうってつけです。
で、最初のポスターにもありましたけど、ここを設計した黒川紀章の展覧会もやっていました(「20世紀美術探検―アーティストたちの三つの冒険物語―」っていうのもやってましたが、タダ券では入れなかったのでパスしました)。そこは逆にだだ広い空間を惜しげもなく使ったもので、なんだか自慢たらしい感じでした。疲れていたこともあってマジメに見てないんですが、彼が今度の都知事選に立候補するからってこともありますけど、改めて建築家ってアーティストの側面と政治家の側面の両方が必要なんだなって思いました。……その両方が必要っていうことでは宗教家も同じで、そういう感じが漂っている黒川が政治家になりたがるのは理解しやすいように思いました。
……そんなこんなでまた六本木にふさわしいハコものができたなって、米軍の基地を横目で見ながら西麻布の方へ歩いていったのでした。
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ルークと帝国の皇帝が戦ってた場所。
ハコだけで中の充実度はいまいちなのですね、よくあるけどそれって悲しい…でもここはハコ自体が見ものなんだから、それでもまあ、いいですね。
六本木は行きにくいし、やっぱり上野が雰囲気あるような気もするし、個人的にはあまりそっちがメインになって欲しくないな、て思ってますw
所蔵作品がないって、パイプオルガンのあるホールをやたら作った以上に恥ずかしいと思いますけど、日本で西洋の美術を見ようとするとそうなっちゃうのかなぁ。
だから、小なりと言えども志のある上野の方がいいと思いますよ。