フォルクス・オーパーはオペレッタを中心とした大衆向けのオペラ劇場で、日本でもしばしば公演を行っていて、ウィーンの雰囲気が伝わるということなのか人気があるようです。実際の劇場は市の中心から北にはずれた下町の郊外電車の駅の傍にあり、上演中も電車の振動が伝わってくるようなところです。建物もシュターツ・オーパーとは比べものにならないくらい質素なもので、演奏技術も音もウィーン・フィルと比べる方が野暮というものです。
一方、ショスタコーヴィッチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」はロストロポーヴィッチ指揮、奥さんのヴィシネフスカヤ(舌噛みそう)主演での名盤があって、第14シンフォニー「死者の歌」とともに、強烈な印象を私に与えたものでした。若き日のショスタコーヴィッチが書いた文字通りスキャンダラスなオペラがソ連当局の忌諱に触れ、危うく失脚しそうになったというエピソードがありますが、演奏を聴くと当局が見過ごせないのは当然かなとも思いました。日本や欧米諸国から見るとそういうことは表現の自由の弾圧でしかないのですが、全体主義国家としてはすべての事象に責任があるわけで、たとえそれが音楽の分野であろうとイデオロギー的に問題のあるものを放置することは権力の存在基盤に傷をつけてしまいます。彼はその後も抵抗的姿勢と迎合的反応を繰り返していきます。こういう政治権力と一筋縄でいかないような複雑な関係を続けてきたところが20世紀を代表する作曲家たる所以だと思います。
よけいなことかも知れませんが、彼に比べれば今の日本での権力批判なんて大したことではありませんし、そういう人たちの思想的な親たちは社会主義リアリズムの名の下にショスタコーヴィッチの作品をあっけらかんと整理していたわけで、古本屋でそういう本を見つけると、今も変わらぬ単純素朴な物の見方にとても楽しくなりますw。
と言うわけで、実演を見れる期待半分、フォルクス・オーパーだからなぁという不安半分といった感じでした。ところが、始まってみるとこれがすごい。アンサンブルなんかはものかは、粗い音でチェロとコントラバスが唸りを上げます。バーバリズム全開。ヒロインの人妻エカテリーナもいいのか?って言いたくなるほどセクシー。これじゃあ、使用人のセルゲイが迫っちゃうのもよくわかります。って、言うより、彼女が田舎の退屈な日々に何かが起こることを潜在的に期待しているというのがこのオペラのモメンタムなのです。で、結局、第1幕の最後で受け入れるのですが、その音楽もすごいし、二人の演技もすごい。腰動かしてましたw。
筋を追って紹介する気はないのですが、第2幕では舅のボリスが自分の狙っていた息子の嫁を盗られた腹いせにセルゲイを鞭で引っぱたきます。その音が楽器では出ない衝撃音だから、ひりひりと痛みが伝わってきます。エカテリーナは鞭打ちに疲れた舅にきのこ料理を食べさせます、もちろん毒入りの。食欲を満たすその音楽がそのままこの老人のいやらしさ、好色ぶりを現わしています。夫も殺した二人は第3幕で結婚式を挙げますが、酒蔵に隠しておいた死体は披露宴で酔っ払った農民にあっけなく見つけられ、宴会に呼んでもらえず暇を持て余していた警察署長らに通報されてしまいます。事件の発生に大喜び、鬱憤を晴らすことができると大はしゃぎの警官どもの描き方には、ショスタコーヴィッチお得意の皮肉と侮蔑が満ち満ちています。
最終幕は、シベリア流刑囚の悲しみとあきらめの合唱で始まり、終わります。二人とも流刑になったにもかかわらず、エカテリーナは愛する男と一緒にいられるだけで幸福であり、心に沁み入る歌でセルゲイに呼びかけます。これに対し、こんな目にあったのはエカテリーナのせいだと心が離れてしまった男は、彼女の靴下を騙して取り上げ、他の女に与えてしまいます。たかが靴下ですが、酷寒の地では命を与えるようなもの。彼女の転落の激しさを見事に象徴しています。周りの女囚に嘲笑されたエカテリーナが「森の奥に真っ黒な小さな湖がある。私の心はその湖のように黒い……」と人間性の奥底を覗き込むような怖ろしいアリアを歌い、男が心を移した女とともに川に没します。……
幕が下りて、はぁーーと長いため息が出ました。フォルクス・オーパーに打ちのめされ、手が震えていました。私は、不倫と殺人を繰り返したエカテリーナに対して同情を禁じえませんし、誤解を恐れずに言えば彼女の側にいます。世の中の良識や道徳を吹き飛ばしてしまう、それが芸術の力です。しかし、彼女の魂が決して救われることはないだろうとも思います。ムソルグスキーから学んだと思われるごつごつした音楽は耳の奥に残り、ショスタコーヴィッチの毒は今も私の中で作用しているようです。
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ありがとうございました
ウィーンいいですね
僕はバイロイトでワーグナーを聴くのが中学生の時からの夢です。
夢が現実になるようにしたいです。
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よろしくお願いします。
これからもよろしくお願いします。