このオペラは上演時間4時間を超え、全5幕、2部からなる大作です。2日に分けて上演されることも多いようですが、内容も第1、2幕の第1部はトロイの予言者カサンドラの物語、第2部はカルタゴの女王ディドーの物語にはっきりと分かれています。グランド・オペラってかえって話の筋が単純だったりしますが、これも割り切って言ってしまうと、第1部は有名なトロイの木馬の話で、祖国の危機をカサンドラが予言しても誰も耳を傾けず、木馬を入れてしまったがためにトロイはギリシアの兵によって滅ぼされますが、カサンドラとトロイの女たちは辱めを受けることを拒んで自決するというものです。
第2部はトロイ滅亡の際にイタリアに行って祖国を再建するよう神託を受けたエネアスがカルタゴに漂着し、ディドーと恋仲になるもののリーダーとしての使命からやはりイタリアを目指して出発し、それに絶望したディドーが自ら命を絶つというものです。古代ローマのウェルギリウスがローマ建国を題材にした叙事詩「アエネイアス」を元にベルリオーズ自らが台本を書いたもので、エネアス(アエネイアス)は全体を通して登場しますが、深い内面は感じられず、印象的なアリアがあるわけでもありません。
2003年10月にパリのシャトレ座での公演で、カサンドラがアンナ・カテリーナ・アントナッチ、ディドーがスーザン・グレイアム、エネアスがグレゴリー・クンデ、ガーディナー指揮、オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークによる演奏をBSでやっていたのを録画しておいたんですが、時間がなかったり、見ても途中で寝ちゃったりで、完食じゃなかった、完視聴するのは大変でした。
舞台はモダンな簡素なものですが、とても凝ったおもしろいものでした。大きな鏡が舞台奥に斜めに置いてあるらしく、多くの群衆が登場する場面で、上から見た動きも見えるのがとてもダイナミックな感じでした。フランスのグランド・オペラは必ずバレエが入るんですが(入らないものはオペラ・コミークということになります)、この上演では内容に合わせたしゃれたデザインの小道具を持ったダンスふうのパントマイムのような感じで、それがベルリオーズの音楽にはよく合っていました。モダンな演出で、兵士たちが持っている武器が自動小銃だったりするのはあまり意味があると思いませんでしたけど。
第1部の衣装は男女とも全員が黒で独りカサンドラだけが白いドレスで、彼女の孤独な予言者の立場をはっきりと示していて、彼女の予言が実現した第2幕では黒のドレスになって、多くの女たちと価値観を共有して、ともに死んでいくのはとても効果的でした。実は元々のギリシア神話ではカサンドラはここで死なず、凌辱された上、ギリシアの総大将アガメムノンによって戦利品として連れていかれ、彼の妻のクリュタイメストラによってアガメムノンともども殺害されます。こうした悲惨な自らの運命をすべて予知しながら……。
第2部のディドーも女王らしく白か黒なんですが、本来はバレエ・パントマイムで演じられる彼女とエネアスが狩りに出て嵐に遭って、洞くつで結ばれる第4幕第1場をもっぱらオケの演奏だけにして、彼女が歓喜の表情を浮かべるところだけ赤いドレスで出てくるのもしゃれた演出でした。……第2部は裏切られたディドーがエネアスの行き先、イタリアに呪詛の言葉を投げかけ、カルタゴの英雄がいつか復讐するだろうと予言します。でも、その者の名前を挙げて「ハンニバル!」とまで言っちゃうのには笑っちゃいました。
さて、肝心の音楽ですが、ベルリオーズらしい劇的でスケールの大きな表現が随所に聴くことができますし、レチタティーヴォ(語りに近い部分)がなく、オケもほとんどノンストップで鳴っているのはヴァーグナーを思わせるものです。この作品は1856-63年のものなので、ヴァーグナーは「ローエングリン」を経て、「ラインの黄金」に取りかかり、「トリスタンとイゾルデ」を完成させた、まさに絶頂期と言っていい頃です。そう考えると幻想交響曲(1830年)や劇的交響曲「ロミオとジュリエット」(1839年)で、前衛そのものだった彼も時代の最先端の地位を譲ったと言わざるをえないような気がします。良かれ悪しかれ強烈な個性というかアクがなく、部分的に聴いただけでは彼の作品とわからないんじゃないでしょうか。
カサンドラの予言はアポロンの呪いで誰も信じないようにさせられていたんですが、そうでなくても人間というのは不吉な予言は信じたがらず、しばしばそういう予言をする者を嫌悪するものだと思いますが、そうした孤独や自らの死さえも予知してしまう彼女の悲劇はとてもよく伝わってきて、作者自身の経験を投影してみたい気にさせられました。そうそう、主人公のエネアスはトロイの王家出身なんで、直系の英雄ヘクトルと結び付けられて何度も「ヘクトルの子」という言い方がでてきますが、Hectorってベルリオーズのファースト・ネームなんですね。幼少期からウェルギリウスには親しんでいたということですが、隠れた作曲動機のような気がします。
このカサンドラの話も時間だとか知識だとかの本質的な怖さを描いたものだと感じます。「知らぬが仏」のさかさまでしょうか。
私がカサンドラだったらですか?……たぶんずっとだらだらしてることが予知できるだけでしょう。いくらその運命に抵抗しても無駄ですしねw。
でも見たくない知りたくないものを予言できるということはとても不自由なことなのでしょうね。
もし自分がそうだとしたら、あまりのつまらなさに絶望してこの世を去るでしょう。
夢のもつれさんだったらどうでしょう?w