
先日、タダ券があるというので家人らと連れ立って六本木ヒルズの展望台に行ってきた。いつでも行けるところではあるが、何も1,500円も出すことはないと思って行ったことはなかった。タダ券でも面倒だが、大人二枚分あるから勿体ないという地球環境に配慮した意見に異論は差し挟めなかった。
わりと天気がよかったので、展望台からは23区内の西部がよく見えた。あといろいろな物が見えたが、何だか自慢じみて聞こえそうなのでやめておく。
家人はそのタダ券で美術館にも入れるから行こうと言う。こんなところの展示物など見るだけ無駄だと主張したが、行かないと元が取れないと言う。タダ券の元を取るという発想には畏敬の念すら覚える。
東アジアの美術展という企画展を催していた。入り口を入るといきなり液晶画面に延々と雨が降っているどこかの都市が映っている。これも作品なのかと家人が問う。もちろんとだけ答える。どうせウォーホルのことなんか言ってもかえって嫌がられるだけである。現代美術に何の関心もないのになぜ来たのか、別に家人だけではないようだが。
床から鳥の簡体字の白いオブジェが立ち上がって、天井に向かって、康煕体、隷書体、亀甲文字、最後に鳥そのもののピンクのオブジェに変化するよう吊り下げられている。エッシャーの絵を想起させるものだが、なかなかおもしろいと思って床の中国語を見ると、どうも鳥の定義、辞書の抜書きのようなものらしい。芸のないことだ。
それよりもエメラルドグリーンの薄衣のようなものを空気で膨らませた中国風の門がおもしろかった。ふわふわしたものは人をなごませる。そこからしばらく何があったか、もう忘れている。一瞥してすぐ行くから仕方がない。かわいいアニメふうの映像があったが、一言で要約できない。そういうものが好ましい。
その反対が最後の方にあった。昔のタンスのような取っ手のついた箱に穴が開いて、中にライトが灯っていて何かある。順番に覗き込む人がいる。拙は見ない。隣にもっと大掛かりに8畳ほどの白い確かトイレットと書いた部屋があって、外から見ることができる。中では虫眼鏡を持った入場者が部屋に描かれた小さな絵を探している。何人も入るために並んでいる。拙は並ばない。こうした作品は覗いたり、虫眼鏡を手に持ってうろうろしている人が作品の一部であることぐらい何の予備知識がなくてもわかる。観客を巻き込んで作品にするなんて、音楽で言えばとっくの昔にジョン・ケージがやっていることだ。作者は主人であるはずの観客をテレビで笑われている三流タレントのように扱っているのではないかと感ぜられ、不愉快である。
いちばん感心したのが壁一面にすべて白磁で作った様々な日常生活用品をぶら下げ、床にも雑然と積み重ねたものだった。落下する飛行機が目立たない感じでぶら下がっているので意図は明白だが、丁寧に作られた白磁の肌合いの靴や電話がこちらにいろいろな感慨をもたらす。あたかもmestoの楽章を聴くような気持ちになった。……
六ヒルは好きになれない。建物も、そこにいる人間も。ホリエモンの記事で書いたようなことだが、もちろん貧乏人の僻みである。大層もてはやされている美術家のイラストも、意図的なのかどうなのか、何だか薄気味の悪いものである。彼のロリコン趣味のフィギュアにしても今の時流を反映しているとしか言いようがない。ゴッホやセザンヌの頃、売れていた画家の名前と今の値段を知りたいものだ。
怖い話は好きですが、本当に怖くなるたちなので苦手ですw
隣のホテルがまたサービスが悪いこと。