
恋愛映画を見ててもあまりそう思うことはないんですが、この映画は「二人で見るべき作品だなぁ」と思いました。素敵な相手と見れば出会いや運命や結婚についておしゃれな会話ができそうですし、それほどでもない相手でも魔法が掛かってしまって「幸福な勘違い」ができるかもしれません。でも、一人で見たって全然とは言いませんが、あまり楽しいものではありません。クリスマス・シーズンに見なかっただけよかったのかもしれませんが、本や紙幣に名前や電話番号書いたら危ないだろとか、婚約相手から訴えられるんじゃないのかとかいろいろ突っ込みたくなってしまいました。
この映画ではありえないような偶然と当然そうするはずの必然とをうまく組み合わせているところがいいなと思いました。あるいは偶然だけじゃ出会えないし、いくら努力してもチャンスを逃してしまうこともあるといった教訓がこめられていると言ってもいいのかもしれません。恋愛映画において教訓はスパイスとして重要です。
偶然で感心したのが本を婚約者から贈られるところで、古典的な運命の描き方を踏まえたものだと思いました。必然では主人公たちが忘れ物をしたところに戻ることによって再会するというのに納得しました。冒頭でも使われたモチーフを意図的になぞっているので、時間の推移が見えるような感じになっています。
努力は親友とのドタバタということになるんでしょうか。男友だちの方にお話がより割かれているのはその方がしっくり来るからでしょう。ユージン・レビイ扮する店員の怪演が期せずして男の友情への皮肉になっているような感じです。
「セレンディピティ」には一時期はまっていろいろ書きましたが、この映画とはなんとなく縁がなく見てませんでした。それが今になって見たのは何か意味があるのかもしれません。もちろん勘違いなのかもしれません。そういう気分自体がこの言葉の指し示していることのような気がします。
前向きな発想と共にある素敵なことばです。