最近(たぶん昨年11月から)アニメをよく見ている。きっかけは友人から「魔法少女まどか☆マギカ」を薦められてからで、2012年6月には既にこんな文章を書いているから、見初めて2年ほどにはなる。読んだ人のどれくらいがまどマギをネタにしているとわかったのかは不明だが。
まあ、それでそれなりにアニメにはくわしくなった。くわしくなると大抵のものはコンセプトやら作画タッチやら声優のキャスティングやらの中の事情もわかるようになってしまう。要はアニオタっぽくなったということで、慶賀だか慙愧だかの念に堪えない。
そういう人間には「てさぐれ!部活もの」は何度も大笑いしてしまうほどおもしろかった。どうおもしろいかを語るのは気が進まないから最低限の紹介に留めるが、4人のJKがどういう部活をするか考えること自体を部活動にする話である。野球部から日常系の雑談だけしている部までいろんな部について語り、それがアニメでどう描かれていたかを語り、その上でどうすれば新しい部になるかアイディアを出し合い、最後に実践してみる。野球部の時のアイディアの1つはチアガールの良し悪しで甲子園のシードが決まるといったものだったし、実際にやったのは目隠し野球だった。アイディアを出す箇所は先にネットラジオのようにアドリブでしゃべったものにポリゴンを当てているような印象だ。
こんなふうに紹介すれば同好の士は純正メタアニメと呼んでも、わかってくれるだろう。日常系部活の名作「ハルヒ」の頃から(だと思うのだが)メタっぽい味つけはあったが、それを正面からやったものは他に知らない。音楽にせよ絵画にせよ小説にせよマンガにせよ進化が極まればメタ的な要素を含んだ作品が生まれる。ただそれでおもしろいかどうかが問題だろう。
テレビはニュースとスポーツ中継とアニメだけ流してればいいんじゃないかと思う。だって、他はたかが知れたありきたりのものしかないから。予定調和なんてもんじゃなく予定不出来だろう。いや、見てるわけではないのだが。
おもしろいと思ったアニメでも原作のマンガやラノベは読まない。マンガはまたネカフェにでも行ったときに読むかもしれないが、ラノベはたぶん読むことはない。どうしても小説として読んでしまうから文章を直したくなったり、プロットの甘さが我慢ならなかったりするだろうから。一度だけラノベ出身の作家の直木賞受賞作を読んだ時の実感で言っている。アニメだってそんな気分になることはあるが、猫の相手でもしていれば問題にゃい。
まあ、それでそれなりにアニメにはくわしくなった。くわしくなると大抵のものはコンセプトやら作画タッチやら声優のキャスティングやらの中の事情もわかるようになってしまう。要はアニオタっぽくなったということで、慶賀だか慙愧だかの念に堪えない。
そういう人間には「てさぐれ!部活もの」は何度も大笑いしてしまうほどおもしろかった。どうおもしろいかを語るのは気が進まないから最低限の紹介に留めるが、4人のJKがどういう部活をするか考えること自体を部活動にする話である。野球部から日常系の雑談だけしている部までいろんな部について語り、それがアニメでどう描かれていたかを語り、その上でどうすれば新しい部になるかアイディアを出し合い、最後に実践してみる。野球部の時のアイディアの1つはチアガールの良し悪しで甲子園のシードが決まるといったものだったし、実際にやったのは目隠し野球だった。アイディアを出す箇所は先にネットラジオのようにアドリブでしゃべったものにポリゴンを当てているような印象だ。
こんなふうに紹介すれば同好の士は純正メタアニメと呼んでも、わかってくれるだろう。日常系部活の名作「ハルヒ」の頃から(だと思うのだが)メタっぽい味つけはあったが、それを正面からやったものは他に知らない。音楽にせよ絵画にせよ小説にせよマンガにせよ進化が極まればメタ的な要素を含んだ作品が生まれる。ただそれでおもしろいかどうかが問題だろう。
テレビはニュースとスポーツ中継とアニメだけ流してればいいんじゃないかと思う。だって、他はたかが知れたありきたりのものしかないから。予定調和なんてもんじゃなく予定不出来だろう。いや、見てるわけではないのだが。
おもしろいと思ったアニメでも原作のマンガやラノベは読まない。マンガはまたネカフェにでも行ったときに読むかもしれないが、ラノベはたぶん読むことはない。どうしても小説として読んでしまうから文章を直したくなったり、プロットの甘さが我慢ならなかったりするだろうから。一度だけラノベ出身の作家の直木賞受賞作を読んだ時の実感で言っている。アニメだってそんな気分になることはあるが、猫の相手でもしていれば問題にゃい。