夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

現代音楽の表現力と想像力

2008-05-31 | music
 5/19にサントリーホールで行われた読売日響の定期演奏会に行って来ました。プログラムは下野竜也指揮で、ヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、山根明季子の「オーケストラのための『ヒトガタ』」、後半がコリリアーノの「ザ・マンハイム・ロケット」と「ハーメルンの笛吹き幻想曲」でした。

 各曲について簡単に触れます。マイスタージンガーですが、金管と弦がちぐはぐな感じでした。タイミングがずれているというほどではないけれど、息が合った演奏とは言えないものでしょう。チューバがやたら元気で、下野の学ランのような服装とカクカクした指揮を見てると応援団みたいだなと思いました。

 委嘱作品で当然「世界初演」の山根の作品ですが、木管の「雲」の上をチューブラベルやビブラフォンといった金物がチンチン鳴る、やたらゲネラル・パウゼの多いものです。ブックレットに掲載された作曲家の「私は、そのように音に包まれる感覚が、身の回りに様々な形のオブジェが明滅したり流体として動いたりするのを、空間インスタレーションとして立体的に体験するかのような感覚として実現することを夢見ています」といった文章を読んだ時からしていた悪い予感は的中しました。つまり平凡な発想をありきたりのイディオムで消化不良なまま楽譜にしたものでした。彼女はまだ若いのでこんな言い方は気の毒なのかもしれませんが、音楽と数学において年齢の若さは未熟さの言い訳にはなりません。

 後半の「ザ・マンハイム・ロケット」はマンハイム楽派が用いた常套手法をほら吹き男爵のロケットに擬したものです。こうした子どもっぽいユーモアと風刺は次のハーメルンにも共通しています。大きな下敷きのようなものを揺らしたり、ラップをくしゃくしゃにしたり、ウィンドマシンや金てこやホイッスルやカウベルやノコギリを持ち出して、様々な音楽家の音楽のカケラを散りばめながら演奏していくのを聴いているとどこかアニメの主題曲のような、調子はずれの幻想を呼び起こすようでした。

 「ハーメルンの笛吹き幻想曲」はフルート独奏が瀬尾和紀で、足立区の中学生がフルートと大小太鼓を演奏しました。ホール全体が闇に包まれた中から音楽が浮かび上がり、最後はティン・ホイッスル(音の硬い縦笛型のピッコロのような感じです)に持ち替えたジョーカーのような服の瀬尾に率いられて子どもたちが1階席の後ろから退場し、再び闇に還るという趣向でした。ストーリーを持つフルート協奏曲といったところですが、音楽的イメージの分量からすると7楽章35分は少し長いかなという気がしました。音楽において重要なのは表現力と想像力かな、いや音楽に限らずすべての芸術においてその価値を支えているのはこの2つじゃないのかな、そんなことを考えた夜でした。


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なんかいろんなものがあるサイトです。


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2 コメント

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まずは… (ぽけっと)
2008-06-06 19:40:04
想像力ありきでしょうね。
それが全ての源のように思います。

山根さんの文章は、作曲家や演奏家なら誰でもそう思うけど普通は言わないだろって感じのもので逆に新鮮なくらいですねw
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順番から言うと (夢のもつれ)
2008-06-11 16:23:46
想像力でしょうね。。それなしじゃあ何を表現するのかってことになるんでしょう。

でも、想像力の訓練なんてかえってむずかしいから表現力を磨くところから始めるのかなと思います。

「逆に新鮮」とは辛辣ですね。やっぱり
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