夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

絵画と音楽のリンク~スーラとマーラー

2005-11-01 | art

 クラシック音楽で歌詞をもたないものは多くの場合、題名がありません。シンフォニー第40番ト短調K.550とか弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132いったもので、味も素っ気もありません。題名がついているものもご存知のようにありますが、「運命」とか「未完成」とか作曲家本人がつけたものでない場合も多く、しばしば評判が悪かったりします。一つには言葉にできないから作曲したんだという考え方があるんでしょう。私もそれはそうだと思いますが、絵画なんかでは抽象画でもついてる方が多いんですが、「ブロードウェイ・ブギウギ」なんてのはイメージを狭めていて、音楽の方から言えばかえって邪魔なのかもしれません。
 
 さて、今さら名曲に題名をつけようとは思いませんが、音楽から絵画を連想することも、逆に絵画から音楽を連想することもあるように思います。それもドビュッシーから北斎では“まんま”すぎておもしろくもなんともなく、ただの知識です。イメージとしてのつながりがありながら、連歌の付け句のように“離れ”というものがあった方がいいでしょう。そこは感覚の問題なのでちがーう!という人がいるのは当たり前で、全員が納得するようなものはかえって失格と考えますw。まあ、CDのジャケットを選んでるようなことにはならないようにしたいなと思いますが、いつまで続くのかわからないのはいつものことです。

 それで第1回としては、スーラの「グランドジャット島の日曜日の午後」とマーラーのシンフォニー第5番を付け合せてみました。どっちもポピュラーで、きれいな作品ですからねw。後期印象派っていう訳語は誤訳に近くて、元々の“Post-Impressionism”は文字通り印象派の後にくるものっていうくらいの意味で、セザンヌやゴッホやゴーギャンのように印象派を超えて絵画自体の組み立てを意識的に考えていた画家たちをいうわけです。共通するのは画面の明るさくらいじゃないかなと思います。その中で、スーラは印象派の目に見えたままに描くという延長線上にあって、点描技法で光としての色を追求したんだろうと思います。効果としてはこの絵のように現実離れした静謐さをたたえたものになって、それが魅力でもあり、その反面、これだけたくさんの人物を描きながらリアリティやダイナミズムはなくなっています。

 こういうふうにスーラについて言ったことがそのままマーラーの作品に当てはまるわけではもちろんありません。アダージェトなんかの印象は近いかも知れませんが、それでこのシンフォニーを代表させてはミーハーすぎますからね。ただ、マーラーの作品も過渡期の音楽であることは事実だろうと思いますし、魅力の多くもその点にあるんだろうと思います。それに部分部分はとても美しいですし、多くの楽器を使って手を変え品を変えてサーヴィスしてくれますが、全体として何か現実から遊離した、作品の外に作曲家の意識があるような気がしてしまうのです。

 最後に、みなさんにはどうでもいいことでしょうけど、この記事のジャンル分けをどうしようかなって。essay:artかessay:musicか……今回はスーラについて書きたいなってのが先だったから。


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2 コメント

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スーラとマーラー (yurikamome122)
2005-11-06 18:04:13
スーラの点描技法とマーラーとはなかなかではないでしょうか?。マーラーの曲は大編成のオーケストラで壁画的世界を表出するという印象があるのですが、実は室内楽的な緻密なパーツの組み合わせだったりしないでしょうか?。若杉さんの演奏を聴くと強くそれを感じます。

あ、話の方角がちがいますね。すみません。
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いえいえ、いいんです^^ (夢のもつれ)
2005-11-06 20:11:33
思いもかけない組み合わせを楽しんでみようっていうのが発想の元にありますから、ご指摘なようなことはとてもいい感じです。



緻密で、きれいで、神経質なほど細部にこだわってるけど、大きなものを作りたいっていう感じですね。少なくともマーラーは。
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