
拙はマンガが好きである。むずかしそうな話を時々は書いているので、意外に思われる向きも、やっぱりそうかという向きもあろう。人の思惑など知ったことではない。いい年をしてマンガなんか読んでと、言われなくなっただけ世の中は良くなっている。そうでも思わないとやってられぬ。
マンガについてもessayを書きたいのだが、むずかしくてできなかった。なぜむずかしいかよく考えたら、マンガには絵があると気づいた。文章だけなら、絵だけなら適当なことを書いてきた。両方あるマンガはやはり絵が主体であり、それがいっぱいある。このコマがいいと言いたくてもうまく伝えられない。てぬき流ならばなんとかなるか。
いわゆる少女マンガも好きである。女性向けマンガ、訳してレディコミと言うものではない。自慢にもならぬが、浦野千賀子のアタックNo.1を連載時から読んでいた。姉のお蔭である。長じてもポーの一族、バナナ・フィッシュ、陰陽師といった名作は一応押さえている。それだけに少女マンガについて不用意な発言をすることの恐ろしさも一応の心得はある。マイナーなジャンルであるクラシックや小説などとはわけが違う。貶したくなるような作品は絶対に取り上げない。したがって、これから「のだめカンタービレ」について仮に批判と理解されるような記述があったとしても、それは誤解であり、それでも許さないと言うなら先に100回でもなんでも任意の自然数回謝っておく。
この作品は先日、マンガ喫茶で10巻まで一気に読んだ。手に取ったのは何となく評判を聞いていたからで、一気に読んだのはおもしろかったからである。飲み会の後だったので、朝になっていた。よって、記憶は曖昧であり、論評は手抜きであるのでご寛恕願いたい。買って読めという意見もあろうが、そういう声はマンガ喫茶の前で聞いたことはない。巻を追うごとに作者がクラシックのことを勉強してきている、よく取材を重ねていることがわかった。巻末にそういうことがごちゃごちゃ書いてあるようだったが、楽屋話に興味はない。
音大生の悲哀がさらっと書かれているのがいい。医学生と同じくらいか、それ以上金がかかって、リターンはほとんどない。不良債権の塊などといった就職の話だけではない。いくら努力しても才能のない者はどうあがいても救われないという方がもっと切ないであろう。それがわかるのは少しは才能がある証拠だから、よけいにそうなのである。ミューズの神は残酷である。
では、職業としてやっていけていて、さらに売れている連中が才能に満ちているかと言えばそんなことはない。有名作家の息子が作曲家として、よけいなエピソードをぶら下げた老女がピアニストとして、売れていたりする。マモンの神は不公平なのである。
そういう観点から言えばSオケとかは、音大生たちの集合的夢なのである。だから、プロのオケとしてまで通用させるのはどうかと思う。少なくとも実際のオケやプロの問題点を示し、そのアンチ・テーゼとしてでないと絵空事に過ぎるだろう。その辺のことは描かれているようには思えなかったし、家元制的な因習なども作者は知っているだろうが、描かないだろう。
ベトベンの第7シンフォニーの出だしの音が出てきたように感じ、後ろにのけぞった。他では音楽が聞こえるような気はしなかったが、一度でもそう感じさせたのは大したものだ。他のマンガは題名のイメージだけで描いているとしか思えないものがほとんどだからだ。ペトルーシュカはマンガ家として絵柄を構成したものだが、うまいものだと感じた。オケの各パートへの指示出しが、なるほどこういうふうにするのかと思った。取材の成果であるが、練習ほどのリアリティが本番にないのは遺憾である。
しかし、以上のようなことはどうでもよろしい。のだめちゃん、かわいいなのである。ゴミ女で、風呂に入らなくて、才能があるのに練習もしないでというマイナス面がかわいい。こういう女が千秋のようなイケ面、非の打ち所なし男に愛されるのは少女マンガの鉄則である。そんなのありえないという奴は、聖書でもコーランでも信者の中で否定してみればよい。こういう男に飛行に乗れないトラウマがあって、家庭的欠損を抱えていて、何より自分の才能に満足していないから、のだめに惹かれるのである。ちゃんと筋が通っている。この意味で、彼女がトラウマを治すところは母性そのものを見るようで感動した。千秋が福岡までのだめを追いかけて抱きしめるのはこれまたお約束だが、そのすぐ後にのだめの家族に囲まれるのも極めて論理的である。作者が意識していなくとも、ストーリーというのはそういうものであり、論理とは主観性を超えたものなのである。
のだめは作者の中で成長しているように思う。最初の頃は変なところ、ダメなところを強調し、その才能はふつうではないというところを表現しかねていたように見受けるが、どこかでその表現方法を見つけたのだろう。なぜわかるのか? フランス語を覚えた個所を見ればその異能振りを表わすのにもう躊躇していないことがわかるではないか。それ以前の演奏の場合(ラフマニノフやペトルーシュカ)の意図的に引いた感じとは違った率直さである。さてこれからどうなるか、楽しみである。
これは!っていうのがあったら、教えてください。
浦澤直樹のプルート第1巻にある戦闘ロボットと音楽(ピアノ)の話が今一番のお気に入りです。闘うことと創造することの似て異なる結果を考えさせられるというか。
私の感想読んでいただき、とても嬉しかったです。
こちらからもトラックバックしたのですが、誤って2度送信されてしまいました…大変失礼いたしました。
のだめがトラウマ治すシーン、私も感動しました。
彼女の成長から、目が離せません!
あのトラウマを治すところは、流行の「癒し」なんかより、ずっと深いところで本質を捉えていると思いました。ああ、作者もいろいろあるんだなあと感じさせるものでした。