まず問題です。次の行事や習慣のうちお釈迦様と関係があるものはどれでしょう?
① 通夜・葬式でお坊さんにお経をあげてもらう。
② 戒名をお坊さんからもらう。
③ お墓を建ててお坊さんにお経をあげてもらう。
④ 一周忌に法事(法要)をする。
⑤ お彼岸やお盆に先祖の霊を迎える。
⑥ 朝・晩、仏壇にお線香にあげてお経をよむ。
答はすべて無関係です。何の関係もありません。お釈迦様はそんなことをやれとは言っていません。どっちかって言うと反対だったろうと思います。だってこうしたものって要は呪術、まじないですから。それが「葬式仏教」と呼ばれる日本の仏教の内実です。
こう言うといっぱい反論があるでしょう。それで多くの人が宗教的な癒しを得ているとか、多くのお寺とお坊さんが生計を立ててるとか。でも、お釈迦様はいかに生きるかをまず考えたんで、いかに死ぬかなんてのはその延長線上のことに過ぎないと思います。個別にもいろんな反論があるかもしれません。お経自体がお釈迦様の時代になかったのは当たり前だとか。しかし、マジメに仏教を勉強すればするほどその教えと現在の仏教行事や習慣・しきたりとどういう関係があるんだろうと訝しく思う人が多いはずです。だって、そうしたものはお釈迦様どころか、各宗派の宗祖である最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などが生涯をかけて説こうとしたこととす関係がないんじゃないかと思いますから。……私はすべての宗祖の説いたところすべてを知っているわけではないので、葬式や法要についてうちの宗祖はこう説いているというなら教えていただきたいです。
「ブータン仏教から見た日本仏教」の著者の今枝由郎は、お経(つまり漢訳仏典ですね)にはパーリ語やサンスクリット語で書かれたオリジナルの仏典からの誤訳があるんじゃないかという疑問を高校時代に抱いて、これらの言語だけでなく、大乗仏教の仏典のすべて(大蔵経)の逐語訳を持つチベット語を学び、さらにチベット仏教研究について世界最高のレヴェルにあるフランスに渡ったそうです。なんだかすごいですが、著者も言っているように日本のほとんどのお坊さんは、お経の原典に当たらずに中国語訳(しかもかなり意訳されたもの)ですませています。「ただ呪術的に唱えているのが日本仏教で……仏教を理解するというもっとも初歩的な努力があまりにも欠如している」(p.26)わけです。
こんなことを言うとお坊さんがみんなそんな言語まで学ぶなんて非現実的だという批判があるのかもしれません。でも、そういう勉強をしないで、専門的知識を持たないでなぜ職業としてやっていけるのかさっぱりわかりません。……実際たまに私が浮世の義理で行く葬式で、お坊さんが行う講話を聞いているとその知的レヴェルの低さにはあきれてしまいます。こちらが門外漢でわからないってことで話をやさしくしているのではなく、死や生について、あるいは故人の生涯について何の省察もなく、ありきたりの話をしているだけ、ルーティンワークをこなしているだけというのがわかって嫌な気分になります。宗教においては知識ではなく、著者が養老孟司の文章を引用して書いているように修行したかどうか、その証として「みごとな顔」をしているかどうかなんだろうと思います。しかし、そういった人格による感化力こそが日本のお坊さんたちのほとんどに欠けているものでしょう。こんなやつに自分の葬式でお経をあげられてたまるものかというのが正直な感想です。無宗教による葬式が増えるはずです。
著者によれば歴史的には徳川幕府が始めた檀家制度によって、民衆すべてがなんらかのお寺の信者として登録されたことが堕落、本来のあり方からの逸脱の始まりだったようです。「信者」という言い方自体違和感があるかもしれません。家によって何宗の何派と決まっていて自分で選ぶ自由はないわけですから。臨済宗だったりすると「元はお武家様の家系ですか」なんて会話があったりします。お寺の側から言えば布教する必要も自由もありません。本山・末寺の関係で宗派ごとにピラミッド型の支配システムで非課税の上納金が集まるわけです。そうした特権を享受しながら倫理感は低いのが実情です。
日本は仏教僧侶が妻帯する唯一の国だそうです。妻帯したって宗教的修行はできるという理屈はあるかもしれませんが、ふつうの人間には真似のできない戒律を守るから職業宗教家として尊敬を得られるんだろうと思います。ブータン人からすれば「妻帯せずに僧院に住むのが僧侶であるから、妻帯して家族をもったら僧侶ではない。それはブータンではゴムチェン(在家修行者)でしかなく、ゲロン(出家僧)ではない」(p.86)んだそうです。宗祖自らが妻帯肉食を積極的に行った浄土真宗はともかく、廃仏毀釈運動の中で明治5年に出された太政官布告の「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」によって妻帯するお坊さんが他の宗派にも増えたらしいんですが、そうだとすると宗教的自立も自覚もない情けない話だと思います。
ブータンの高僧が日本に来たときに「日本のお寺にはどうして仏塔がこんなにたくさんあるのか」と質問したそうです(p.92)。その意味を図りかねた著者はやがてどうもその高僧は仏塔とお墓を区別していないことに気づいたんです。ブータンにはお墓はないし、仏教圏広しと言えども仏教としてのお墓があるのは日本だけだそうです。チベット仏教には土葬、水葬、火葬、鳥葬(天葬)と様々な遺体の処理方法があるが、どの場合もお墓はなく、きれいさっぱり人間は自然に回帰する。……有名な作家兼僧侶の人が「今、『千の風になって』という歌が流行っているが、私はお墓にいませんと言われると僧侶はどこに向かって拝めばいいのかわからなくなります」といったことを冗談っぽく言っているそうですが、人生訓めかしたこの人の法話も結局はお墓あっての仏教の味付け・アクセサリーに過ぎないというのが透けて見えるように思います。
戒名は本来「三帰依」すなわち仏(お釈迦様を始めとする諸仏)、法(仏の教え)、僧(出家僧侶の集団)への帰依と不殺生や不邪婬戒といった五戒を誓った者に授けられるもの、いわば洗礼名のようなものだそうです。それを死んでから与え、しかも多額の金銭をふんだくるのは滑稽と言うしかなく、著者は戒律不在の日本仏教で戒名だけは健在だと皮肉っています。
こうした日本仏教の特徴と言うか、ご都合主義的な変形の中でも印象的だったのは回忌法要についてのエピソードでした。日本人でブータンに縁のある人が亡くなり、13回忌に当たる年にブータンでも法要を上げてもらうよう遺族が頼んだところ、ブータンの僧侶の返答は「あの人はそんなに悪い人とは思えなかったが、何か重大な悪業(あくごう)でも犯していたのか。いずれにせよ、すでにどこかに、何らかのかたちで生まれ変わっているから、いまさら追善供養の法要でもないだろう」(p.90)というものだったそうです。補足するとブータンでは一般の場合、死後最長49日間で次の生まれ変わりが決まるから追善供養をするにしてもそれまでの間だというのです。何より手厚く法要を行わなければならないのは罪業が深い人だという発想が我々の追悼の考え方・あり方と大きく違っていて、死に対する考えが根本的に異なっているのではないかと考えさせられました。そして、ブータンの僧侶の考えの方がお釈迦様が言ったことにより近いと私は思います。
では、なぜ日本の仏教は本来の仏教とは別の祖先を拝む宗教になってしまったんでしょうか。それについて著者は回答を用意していません。祖先崇拝の儒教の影響とか古くからの習俗の影響と考えているようですが、明確ではありません。私もこの問題に自信をもって答えることはできなくて、先祖を敬うことで伝統社会を守らせようとしたというイデオロギー装置的なものとか、先祖の霊が祟って害をなすのを防ごうとしたという祟り神を祀る神道と共通性を持つとか、いろいろ考えられるのかなと思います。でも、その解明以前に祖先を敬う・拝むという意識自体が生活形態の変化に伴って薄れる一方のような気がします。
ところが祖先崇拝と表裏一体をなすはずの死んだ後まで自分のことを覚えていてほしいという意識はかえって強まっているんじゃないかって思います。葬式もお墓もどうでもいい、でももしできるなら親しい人には自分という人間が生きていたことを時々でもいいから思い出してほしい。そんな薄っすらとした気分が漂っているんじゃないでしょうか。それはたぶん「自分というものをどこに落ち着かせるか」という問題が未解決だからでしょう。これが宗教的な問題であるのは明らかなはずのに、既存の宗教が受け止めることができずに占い師だのスピリチュアル・カウンセラーだの精神科医だのあるいはさっきの僧体の作家だのといった様々な人たちがその代替をしているのが現状のような気がします。
① 通夜・葬式でお坊さんにお経をあげてもらう。
② 戒名をお坊さんからもらう。
③ お墓を建ててお坊さんにお経をあげてもらう。
④ 一周忌に法事(法要)をする。
⑤ お彼岸やお盆に先祖の霊を迎える。
⑥ 朝・晩、仏壇にお線香にあげてお経をよむ。
答はすべて無関係です。何の関係もありません。お釈迦様はそんなことをやれとは言っていません。どっちかって言うと反対だったろうと思います。だってこうしたものって要は呪術、まじないですから。それが「葬式仏教」と呼ばれる日本の仏教の内実です。
こう言うといっぱい反論があるでしょう。それで多くの人が宗教的な癒しを得ているとか、多くのお寺とお坊さんが生計を立ててるとか。でも、お釈迦様はいかに生きるかをまず考えたんで、いかに死ぬかなんてのはその延長線上のことに過ぎないと思います。個別にもいろんな反論があるかもしれません。お経自体がお釈迦様の時代になかったのは当たり前だとか。しかし、マジメに仏教を勉強すればするほどその教えと現在の仏教行事や習慣・しきたりとどういう関係があるんだろうと訝しく思う人が多いはずです。だって、そうしたものはお釈迦様どころか、各宗派の宗祖である最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などが生涯をかけて説こうとしたこととす関係がないんじゃないかと思いますから。……私はすべての宗祖の説いたところすべてを知っているわけではないので、葬式や法要についてうちの宗祖はこう説いているというなら教えていただきたいです。
「ブータン仏教から見た日本仏教」の著者の今枝由郎は、お経(つまり漢訳仏典ですね)にはパーリ語やサンスクリット語で書かれたオリジナルの仏典からの誤訳があるんじゃないかという疑問を高校時代に抱いて、これらの言語だけでなく、大乗仏教の仏典のすべて(大蔵経)の逐語訳を持つチベット語を学び、さらにチベット仏教研究について世界最高のレヴェルにあるフランスに渡ったそうです。なんだかすごいですが、著者も言っているように日本のほとんどのお坊さんは、お経の原典に当たらずに中国語訳(しかもかなり意訳されたもの)ですませています。「ただ呪術的に唱えているのが日本仏教で……仏教を理解するというもっとも初歩的な努力があまりにも欠如している」(p.26)わけです。
こんなことを言うとお坊さんがみんなそんな言語まで学ぶなんて非現実的だという批判があるのかもしれません。でも、そういう勉強をしないで、専門的知識を持たないでなぜ職業としてやっていけるのかさっぱりわかりません。……実際たまに私が浮世の義理で行く葬式で、お坊さんが行う講話を聞いているとその知的レヴェルの低さにはあきれてしまいます。こちらが門外漢でわからないってことで話をやさしくしているのではなく、死や生について、あるいは故人の生涯について何の省察もなく、ありきたりの話をしているだけ、ルーティンワークをこなしているだけというのがわかって嫌な気分になります。宗教においては知識ではなく、著者が養老孟司の文章を引用して書いているように修行したかどうか、その証として「みごとな顔」をしているかどうかなんだろうと思います。しかし、そういった人格による感化力こそが日本のお坊さんたちのほとんどに欠けているものでしょう。こんなやつに自分の葬式でお経をあげられてたまるものかというのが正直な感想です。無宗教による葬式が増えるはずです。
著者によれば歴史的には徳川幕府が始めた檀家制度によって、民衆すべてがなんらかのお寺の信者として登録されたことが堕落、本来のあり方からの逸脱の始まりだったようです。「信者」という言い方自体違和感があるかもしれません。家によって何宗の何派と決まっていて自分で選ぶ自由はないわけですから。臨済宗だったりすると「元はお武家様の家系ですか」なんて会話があったりします。お寺の側から言えば布教する必要も自由もありません。本山・末寺の関係で宗派ごとにピラミッド型の支配システムで非課税の上納金が集まるわけです。そうした特権を享受しながら倫理感は低いのが実情です。
日本は仏教僧侶が妻帯する唯一の国だそうです。妻帯したって宗教的修行はできるという理屈はあるかもしれませんが、ふつうの人間には真似のできない戒律を守るから職業宗教家として尊敬を得られるんだろうと思います。ブータン人からすれば「妻帯せずに僧院に住むのが僧侶であるから、妻帯して家族をもったら僧侶ではない。それはブータンではゴムチェン(在家修行者)でしかなく、ゲロン(出家僧)ではない」(p.86)んだそうです。宗祖自らが妻帯肉食を積極的に行った浄土真宗はともかく、廃仏毀釈運動の中で明治5年に出された太政官布告の「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」によって妻帯するお坊さんが他の宗派にも増えたらしいんですが、そうだとすると宗教的自立も自覚もない情けない話だと思います。
ブータンの高僧が日本に来たときに「日本のお寺にはどうして仏塔がこんなにたくさんあるのか」と質問したそうです(p.92)。その意味を図りかねた著者はやがてどうもその高僧は仏塔とお墓を区別していないことに気づいたんです。ブータンにはお墓はないし、仏教圏広しと言えども仏教としてのお墓があるのは日本だけだそうです。チベット仏教には土葬、水葬、火葬、鳥葬(天葬)と様々な遺体の処理方法があるが、どの場合もお墓はなく、きれいさっぱり人間は自然に回帰する。……有名な作家兼僧侶の人が「今、『千の風になって』という歌が流行っているが、私はお墓にいませんと言われると僧侶はどこに向かって拝めばいいのかわからなくなります」といったことを冗談っぽく言っているそうですが、人生訓めかしたこの人の法話も結局はお墓あっての仏教の味付け・アクセサリーに過ぎないというのが透けて見えるように思います。
戒名は本来「三帰依」すなわち仏(お釈迦様を始めとする諸仏)、法(仏の教え)、僧(出家僧侶の集団)への帰依と不殺生や不邪婬戒といった五戒を誓った者に授けられるもの、いわば洗礼名のようなものだそうです。それを死んでから与え、しかも多額の金銭をふんだくるのは滑稽と言うしかなく、著者は戒律不在の日本仏教で戒名だけは健在だと皮肉っています。
こうした日本仏教の特徴と言うか、ご都合主義的な変形の中でも印象的だったのは回忌法要についてのエピソードでした。日本人でブータンに縁のある人が亡くなり、13回忌に当たる年にブータンでも法要を上げてもらうよう遺族が頼んだところ、ブータンの僧侶の返答は「あの人はそんなに悪い人とは思えなかったが、何か重大な悪業(あくごう)でも犯していたのか。いずれにせよ、すでにどこかに、何らかのかたちで生まれ変わっているから、いまさら追善供養の法要でもないだろう」(p.90)というものだったそうです。補足するとブータンでは一般の場合、死後最長49日間で次の生まれ変わりが決まるから追善供養をするにしてもそれまでの間だというのです。何より手厚く法要を行わなければならないのは罪業が深い人だという発想が我々の追悼の考え方・あり方と大きく違っていて、死に対する考えが根本的に異なっているのではないかと考えさせられました。そして、ブータンの僧侶の考えの方がお釈迦様が言ったことにより近いと私は思います。
では、なぜ日本の仏教は本来の仏教とは別の祖先を拝む宗教になってしまったんでしょうか。それについて著者は回答を用意していません。祖先崇拝の儒教の影響とか古くからの習俗の影響と考えているようですが、明確ではありません。私もこの問題に自信をもって答えることはできなくて、先祖を敬うことで伝統社会を守らせようとしたというイデオロギー装置的なものとか、先祖の霊が祟って害をなすのを防ごうとしたという祟り神を祀る神道と共通性を持つとか、いろいろ考えられるのかなと思います。でも、その解明以前に祖先を敬う・拝むという意識自体が生活形態の変化に伴って薄れる一方のような気がします。
ところが祖先崇拝と表裏一体をなすはずの死んだ後まで自分のことを覚えていてほしいという意識はかえって強まっているんじゃないかって思います。葬式もお墓もどうでもいい、でももしできるなら親しい人には自分という人間が生きていたことを時々でもいいから思い出してほしい。そんな薄っすらとした気分が漂っているんじゃないでしょうか。それはたぶん「自分というものをどこに落ち着かせるか」という問題が未解決だからでしょう。これが宗教的な問題であるのは明らかなはずのに、既存の宗教が受け止めることができずに占い師だのスピリチュアル・カウンセラーだの精神科医だのあるいはさっきの僧体の作家だのといった様々な人たちがその代替をしているのが現状のような気がします。
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なんかいろんなものがあるサイトです。
私自身はチベット仏教には厳しくて、暖かく、そして不思議な、というかなり強烈な印象を持っていて、それに比べると日本の今の仏教(と思われているもの)はやはり、へなちょこというか、腰砕けに思えます。
各宗祖は、それぞれエラい人々だったでしょうにね。
結局ある種の偶像崇拝のような形が人情として落ち着くんでしょうね、でも少なくとも指導者であるべきお坊さんにはきっちりお勉強して欲しいですよね、確かに。
でもでもオリジナルの原語のものを…という話になると、向こうの言葉も理解できないで、クラシックやってます、て言えるんか、と自身の痛いところをつかれたようで、スミマセン、という感じです…
ということで、なかなか範囲の広い問題で短くコメントできないのでとりとめなく…
チベット仏教とブータン仏教の内容はほぼ同じようです。チベットが中国に不当に占領されているため著者はチベットに行ったことがなくて、それでブータン仏教という言い方をしているようです。
各宗派の宗祖ほどの知性やカリスマ性がなくても、情熱と行動力の半分もあればもうちょっとは勉強するんだろうと思います。
音楽と数学は楽譜と数式という便利なものがあるから、語学があんまりできなくてもだいたいはOKじゃないかなって思います。