夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

なぜ三島由紀夫が気になるのか?

2012-05-06 | review
昭和45年(1970年)に三島由紀夫が自決してから、40年以上が経つけれど、未だに彼への関心は薄れない。実際、彼の文学がどれほど若い人たちに読まれているのかは知らないが、あの異様な死に方は「自殺した作家」の系譜に燦然と輝くものがあるだろう。

この本は「豊饒の海」の最終巻「天人五衰」を創作ノートなど、多くの資料を元にありうべき別の形で書こうとしたものだ。その試み自体は(読めば誰でも感じるように)失敗していると言わざるをえない。だが、あらすじしか書かれていないものを文学的に批判しても仕方ない。原因を論理構造から考えてみよう。

まず著者の井上は三島の気質と敗戦前後の経験から「世界崩壊の幻想」に憑りつかれていたとする。換言すればこの世界はニセモノなのではないかという虚無的な観念である。

次に昭和34年の「鏡子の家」の失敗と黙殺に引き続く、「宴のあと」裁判、「風流夢譚」による殺人事件、イデオロギー批判からの文学座の分裂などにより、三島自身が言うように「精神的な沈滞期」に陥っていてたのを全体小説(=世界解釈・包括の小説)によって挽回しようとしたという。

これらを背景とした自身の虚無と救済の闘争が「豊饒の海」であり、この構図を支えるのが唯識である。そして、輪廻こそが救済=恩寵であり、阿頼耶識との一体化であるとする。

これが井上の見立てであり、幻の遺作だが、まず「豊饒の海」は「月のカラカラな嘘の海を暗示した題」(D・キーン宛ての昭和45年10月3日三島の書簡)なのだから、昭和40年6月に「春の雪」を書き始めた時点で既に虚無からの救済などないことは予定されていたのではないかと思う。冒頭の「得利寺附近の戦死者の弔祭」の写真の不吉な印象は全編のバッソ・コンティヌオとなっているのである。

次に全体小説と言えばバルザックの「人間喜劇」という途方もない企てがあって、プルーストやジョイスらの作品は(20世紀の優れた芸術のほとんどがそうであるように)パロディによって実現しようとしたと言えるだろう。「豊饒の海」も60余年にわたるクロニクルでありながら、それを時代ごとニセモノだと消し去ることで、現代的な全体小説たりえると三島は考えたはずである。

「天人五衰」がなぜ三島の死後、昭和50年頃までを描いているのか、井上は全く触れていない。大正2年(1913年)に本多繁邦と松枝清顕が18歳の時から物語が始まり、20歳で清顕、飯沼勲、ジン・ジャンが死に、安永透が21歳になるのだから、四部作として構想した時点で単純な計算でわかるはずである。1つの可能性としては、50歳になるまで書き続けようとした言えるかもしれないが、「新潮」への連載のスピードから言って(井上が考えた別の長い形であっても)46年中には完成しただろう。

未来小説であっても何も問題はなさそうだが、この小説は和暦で統一されているのだから「昭和」が続かなければおかしなことになったはずなのである。「天人五衰」は四部作の中で最も短く、書き急いだ感じでいちばん評価が低い。何よりタイトルの天人五衰が早々に透に表れるのは失笑してしまう。こんなものが三島の絶筆でいいのかと井上は考えたのかもしれない。

しかし、この小説自体が書き損じのニセモノとして意図的に書かれたのだとすれば、末尾のどんでん返し(その意味はかつて書いた)に持っていくためだけにあるとすれば、積極的な意味が見出せるだろう。敗戦までに、20歳までに死ぬべきであったのにそれを3回繰り返してもニセモノにしか転生できない。この国はますますニセモノになるだけだ。そんなふうにも感じるからこそ三島が気になるのかもしれない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。