夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

シュトラウスの薔薇

2009-01-28 | music
1/23の読売日響の上岡敏之指揮の定期演奏会について。

1曲目はマーラーの交響曲第10番第1楽章のアダージョ。冒頭のヴィオラは緊張しすぎてへろへろ。トロンボーンも強すぎる。あちこちのパートが慎重にやりすぎてミスってる。気持ちはわからないこともないけど、どうせ1曲目、どうせ未完の断片(やたら長いけど)なんだからそんなに入れ込んでどうする?どうもこのオケは1曲目の出来がよくないと思っていたけど、弛緩しても緊張してもダメなのかね。…しばらくして、ようやく音楽が立ち上がってくる。あのトーンクラスター的な絶叫が聞こえる。警告?誰への?何への?音楽でも、時代でも、聴衆でも、任意のものを入れればいいだろう。だって、10番はXなんだから。でも、音楽はゆっくりとうつむいていく。想い出しかない、まどろむように傾斜する。断末魔のようなハーモニクスで終わったあと、ぼくは影のような音楽だと思った。実体のない、影だけの。

2曲目はフランク・ブラレイ独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。冒頭が粘りすぎ。マーラーじゃあるまいし、序奏なんだし、表情なんかつけなくていいから楽しそうにやれって。ピアノはアクがない。翳りをちょっと入れるのがモーツァルトの味のような気もするんだが。第2楽章のピアノは一転してメランコリック。はいはい、そうですね。オケもそれに寄り添うけど、清潔感が失われるようでいいのかな。悲しみの身じろぎって感じの演奏。第3楽章はファゴットが入ってオペラの序曲の趣き。モーツァルトの時代はよかったよなとマーラーは思っただろう。形式とか伝統とか制度とか、音楽にせよ、実生活にせよ逃げ込む先がいろいろあったし。そんなうらやましくなるような幸福感をモーツァルトは少し切なそうに歌っている。そうさ、衣食足りたマーラーが何を言う。

休憩後は、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ《隠された引力(デュナミーデン)》で、サビのところをリヒャルト・シュトラウスが「薔薇の騎士」でいちばん有名な旋律に使った。その組曲が次のプログラム。これにはちょっと感心した。翳りと俗っぽさというシュトラウス一家のお家芸が聞こえる。…父と兄の両ヨハンの陰に隠れたヨーゼフ。職人だけど、職人になりきれない彼。「ぼくはお父さんやお兄さんのようにはなれない。余計なこと、半端なこと、言っても仕方ないことを楽譜に書き込んでしまう」そんな呟きが聞こえる。「どうあがいてもぼくの書く音楽はシュトラウス家の音楽。いくら拍手喝采を浴びても夜が明けてパーティが終わればみんな忘れてしまう。でも、ぼくにはやっぱりそんな音楽しか書けない。逆立ちしても惨めに死んだシューベルトにはなれない」…サビが戻ってくる手前の木管の反応が悪い。笛吹きは呼吸が悪くちゃ失格だ。酔わせてくれよ。曲が終わり、残響と指揮者の筋肉の緊張がまだ残っているのにまるでバーゲンセールに突進するみたいに「ブラボー!」って叫ぶ馬鹿がいる。0.5秒は絶対に早い。音楽がわかっているかいないか、その差は永遠に埋まらないよ。自己顕示だか、欲求不満の解消なんだか知らないがおまえみたいな無知蒙昧は、ヨーロッパでやってお隣のマダムに叱られろよ。

で、次がロジンスキー編曲の「薔薇の騎士」組曲。ちゃらちゃらした指揮ぶりがいい。リヒャルトらしいあざとい半音階。チェレスタ、オーボエ、ハープ。こんな都会のお話に田園風景?まあ、そういう趣味のタペストリーが寝室にあるんだろう。自然を取り入れながらまるで嘲笑うように遠く離れる。ヨーゼフの書いたテーマが現れる。オケはウィーンの趣味とは違う無骨な感じ。かといって北ドイツとも違う。ああ、そうか。スイスのドイツ語圏、チューリッヒみたいな感じ。ドイツ人はあそこの言葉をドイツ語とは思っていないかもしれないけど。もっとわいせつで汚れたものでいいんじゃないかな。コンマスと第2ヴァイオリンの掛け合いも、音がザラザラ、ガシガシいってよくない。ホイリゲ(ワイン居酒屋)の楽師の方がいい。オルガンのようなトゥッティ、でも退屈。ヴァーグナーにかぶれたリヒャルト。無意味さをさらけ出す。最後のどんちゃん騒ぎはいい。また、「ブラボー」をやっている。


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4 コメント

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モーツァルトの時代でなくて (ぽけっと)
2009-02-03 00:54:02
よかったってマーラーは思ったかも知れないという気もしました。
あの時代の人で残っているのはやっぱりモーツァルトしかすぐには思い浮かばないし。
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お、手厳しいかも (夢のもつれ)
2009-02-03 14:55:04
おっしゃってるのはもしかして、こういうことですか?

モーツァルトが影響を受けた人はハイドンやマンハイム楽派とかいろいろ残ってたり、研究もされているけど、彼に影響を受けた人はさっぱり残っていない。ベートーヴェンの時代だから。

マーラーはやっぱり圧倒的にヴァーグナーの影響下にあるし、それをシンフォニーに持ち込むという手法もブルックナーが不器用ながら既にやっていた。他方、マーラーがその後の音楽に与えた影響は新ウィーン楽派やショスタコーヴィッチなどいろんな人にあるけど、かなり部分的かつ回顧趣味的。。うーむ。

ラトルのを聴いてて思ったのは、マーラーって「子どもの頃は楽しかったよ」と「もう将来いいことなんてないよ」ってことばかり言ってる人だなってことですねw。。人気があるのも、ぼくがわりと好きなのもその辺かなって。

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うん、まあ… (ぽけっと)
2009-02-03 22:51:41
そんなとこかなw
なんだか優秀な研究員に論文の完成を任せた教授のような気分です…

マーラーの時代は個性的な人がいろいろ出たけど、それぞれにどこか薄いでしょ?その中でも特にマーラーは濃度が低めな気がする。
モーツァルトの時代にマーラーがいてもその濃さに飲み込まれて、今残ってないんじゃないかと。

でもその薄さが今の時代だとまた人気の元なんですよね。

…おかしな部分はまた修正お任せしますw
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なんだか (夢のもつれ)
2009-02-04 23:13:19
可かせいぜい良くらいの評定で、優がほしいならまだまだ勉強してねって教授に言われたような。。その辺は自覚してますから、はいw

でも、先生の言うマーラーの時代の作曲家ってどんな人だろ?彼は1860年生まれだから前後10年ほどとると、ヤナーチェク、プッチーニ、ヴォルフ、アルヴェニス、ドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、グラズノフ、デュカス、シベリウス、サティ、グラナドス辺りになりますか。

うーむ。確かに音楽でできることは既にやり尽くされたかもしれないけど、好きだからやってみますみたいな感じはありますね。マーラーにはそういう健気さはないかも。

この中で濃さがあるのは先生の好きなプッチーニとぼくの好きなドビュッシーくらいかな。…彼らをも薄いって言ったらそれ以降はもうほとんどいませんがなw
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