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ビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンの主演という「アパートの鍵貸します」と全く同じ組合せなんで、レンタルして見ました。とてもよく出来た作品と思いますが、どこか割り切れない感じが残りました。それはたぶんに主観的な私の趣味に属するもののような気もしますし、映画としての作り方に関係しているような気もします。はっきりしないので手探りで書いていきますが、まずは後者から。
冒頭の娼婦のイルマ(シャーリー・マクレーン)が客を相手にウソの身の上話をしながらチップを稼ぐ場面(タイトルとカットバックしながら見せるのがいいテンポです)に現れているようにこの映画にはウソがいっぱい出て来ます。お話の軸自体もヒモになった元警官のネスター(ジャック・レモン)がX卿なるあやしげなイギリス紳士に変装してイルマの上客になるというもので、しかもそのX卿をネスターが殺害した容疑で逮捕されるわけですから、ウソがウソが呼んでホントになってしまったという趣向です。
この作品の狂言回しをしているのがバー"Moustache"のマスター(ルー・ジャコビ)で、大学教授だの弁護士だの医者だのいろんな経歴をその場その場で、口から出まかせのように語り、「それは余談だがね」"That's another story."と言います。私はこのすべてを見渡しているような人物がこの映画を理解する上での鍵だろうと思います。
マスターは変装した自分を殺した容疑をかけられたネスターに「娼婦を働かせるヒモになっているのがイヤで、客を装いながら深夜アルバイトをしていた、それが真実だが、誰もそんなことは信用しない」と言い、愛情と嫉妬からX卿を殺したと自供し、同情を買った方がいいと言います。つまり真実ではなく、ウソの方がいいということです。この手のシニシズムは映画にはよく出てくるんですが、この作品ではそれを体現するようなX卿がセーヌ川から蘇ったり、イルマの子の父親になったり、最後のイルマの出産の場面に出て来たりして、ちょっと暴走気味です。
それもこれも"That's another story."とまとめられてしまうんでしょうけど、結局それは「映画だから」ということですし、それにやや頼りすぎてしまったような感じがします。さっきマスターが経歴を口から出まかせのように語ると言いましたが、それはウソじゃないのかもしれません。わざとどっちつかずのところに観客を放り出してケムにまいているような感じです。
しゃれたラブコメディなのに野暮な詮索をしていると思われるかもしれません。しかし、そうであればこそキレイに騙してほしいような気がします。この作品は大掛かりなセットをわざわざ作って撮られていると思いますが、セーヌ川畔の場面だけはロケでしょう。そこで架空の人物のX卿が殺され、蘇る(という勘違いを生む)というのはなんだか生々しいように思えます。
そろそろ主観的なことを書いてもいいと思いますが、奇妙に実体化したX卿がイルマを妊娠させてしまう、いやそれ以上にイルマが愛情を抱いているのが気に入らないのかもしれません。それはやはりネスターとは別の人物になってしまっているから。
こういうとシャーリー・マクレーンに引き続き参っているように思われそうですが、そこもちょっと微妙です。かわいい娼婦という役柄に合いすぎているんじゃないかとか。イルマが緑色が大好きで、服から下着からそればかりなのもどうなのかなとか。……そういうのはキリもないのでやめておきますが。
ウソだらけのストーリーの紹介で場面を想像するのはやっぱりちょっと困難だなって思いましたw