夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(14)

2005-07-12 | tale

 さて、宇八にはめずらしく、これだけ周到に打ち合わせをし、手抜かりなく、銘店ながらそう高くもないようなところを欽二に探させるなど努力をしたわけで、これで成果がないのでは神も仏もない。いや、神のご深慮は測りがたいといったところなのか、まず欽二が当日午後になって急激な腹痛、猛烈な下痢に見舞われ、尾籠な話で恐縮だが、「こうやって電話するのさえ……」という有り様になった。まあ、それはそれでけっこうなのかも知れん、しかしあの美人2人を相手にするには、ちと準備運動でもしないとなどと考えながら、当の店に赴くと、向こうも茉莉一人しかいない。

「申し訳ありません。姉は本当に気まぐれな性質で、お昼になってから『あら、今日はお友だちと買い物のお約束があったのよ』とか言って、さっさと出かけてしまって……」
「そうでしたか。いえいえ気になさるようなことはありません。お姉さんとはまたの機会にでも。仲林君もきちんと自己管理せにゃならんですな。まあここは2人で楽しくやりましょう。……え、何? ねえ、仲居さん。言いにくいことを回りくどく言うくらいなら、言わない方がいいんだよ。4人で予約していたのが2人になったから、別のちいちゃな部屋へ移れって言いたいんでしょ?」
「いえ、その方が落ち着いていただけるのではと……」
「そんなことはありませんね。ここがお庭も見えて涼しげでいいですよ、広すぎもしないし。……ああ、仲林商事に伝票を回すことになってるんでしょう?ぼくは、仲林君の友人兼相談役の羽部って言います」

 やり手そうな仲居がおし戴いた羽部の名刺には『㈱HABEニューエンジニアリング代表取締役』という肩書きが義妹の達子の住所とこれは本当の自宅の電話番号とともに書いてある。名刺を見て電話する者は多いが、郵便物を送る者はめったにいない。達子とその夫、幸三の住まい(小さな雑貨問屋をしている)も大したものではないが、町名を挙げれば「けっこうなところにお勤めで」と言われるようなビジネス街の隅っこにあるので、名刺に拝借しているわけである。仲居は、人を見る目があると自信があるだけに引っかかり、彼の服装が盛夏のそれでいながら、カネに不自由していない雰囲気を漂わせていたこともあって、応接はがらっと良くなり、エアコンの効き具合にも細かく気を配る。

 宇八は何種類もの名刺を持っていて、『羽部興業』だの、『ハベ・コーポレーション』だのいろいろあるが、ほとんどが登記もしていない、ペーパーカンパニーであり、『㈱UHACHI紙業』なんてのまである。ついでに言うと、『仲林商事』は一応株式会社だが、欽二の妻が専務、去年どうにか大学を出た『不肖のボンクラ息子』が常務、他にバイトが二人のお菓子の卸兼小売店で、羽部らの友人を人数合わせに非常勤役員としているのは事実で、それだけにこの宴会の代金を経費で落とすのは、当然と心得ている。

 名刺をちらっと見た茉莉が宇八の期待通りの質問をしてくれる。
「羽部さんって、いろんなことをご存知の博識な方と思ってましたけれど、お仕事の方も幅広いんですね」
「いやあ、あれこれ手を広げてはうまくいかないんでいるんですよ。仲林君のようにコツコツやらんといかんのでしょうが」
「でも時代の最先端を行くって感じが……お見受けしていると」
「そうですねえ。もう少し資金の面でも、アイディアの面でも長い目で見て、支えてくれる人がいれば、ぼくも地に足を付けてビジネスに取り組めるのかもしれませんね」
「精神的な面では奥様が支えていらっしゃるんじゃないんですか?」
「……どうでしょう。女房は今はああいった状態ですし、ぼくのビジネスについては、てんで理解がないようですね。いつも仲林君を見習えって言ってますから。……事業面は孤立無援ですね、今のところ」
「そうですか。……大変なんですね」
「茉莉さんのように、理解してくれて、助けてくれる方がいればいいんですが」
「わたしなんてとても……」
「いやいや、お宅の手伝い、家事見習いに差し支えない程度にちょこちょこっと助けてもらえれば十分ですよ」
「そうなんでしょうか?」
「そうなんですよ。ぼくもこのままじゃいかん、この不況の時こそ、今までにない、新しいタイプのビジネス・チャンスがたくさんあるって思ってるんですよ。近々、また事務所を開いて、バーンと大掛かりにやろうと思ってます。……茉莉さん、一緒に苦労してくれませんか?」
「……ええ、わたしでできることなら」

 さて、この会話の間、我々が沈黙していたのは、言葉を差しはさもうにもおかしくて腹の皮をよじっていたからに他ならない。事務所を立ち上げる話など、架空の話、世迷言。時木茉莉のこの日の服装が赤いバラを散らした薄いブラウスと細かいプリーツの青紫のスカートという、清楚にして華麗な故の口から出まかせである。とは言え、その場の思いつきでどんどん話を進めて、本当に事業を開始し、破綻への道を家族、友人もろとも引き連れて行進してしまうのは、毎度のことなので、油断はならない。

 しかしながら、この茉莉の話の合わせ方も少なからず注目すべきものがある。深窓の令嬢で世間知らずだから、こんなあやしげな中年男の胡散臭い話を鵜呑みにしてしまったのか、あるいは彼女なりの計算なり、打算なりがあるのか。その辺は、彼女のふだんよりも濃い目の化粧と閉めきった部屋に漂うオー・デ・コロンの香りに我々も少々幻惑されて、よくわからない。
現にお膳を上げ下げしている例の仲居ですら何を慌てているのか、鱧の湯引きの置き方を間違えたり、ハマグリの吸い物を引っくり返したりする始末。もちろんそういう失態は鷹揚に赦しながら、抜け目なく冷酒をサービスさせたりするのが、宇八のやり方ではある。

 そんな次第で、デザートのマンゴーのシャーベットを仲良く食べながら、彼が考えていたのは、今夜一気に行くのか、今日のところは手でも握ってお別れし、改めてじっくり攻めるのかという、戦術・戦略両面にわたる難問であった。我々としても、この一般的にも重要な問題の正解があればぜひとも体得したいものだが、ことの本質から言ってそうしたものはなかろう。正に各自知力を絞り、奮闘努力せよに尽きるのであり、あえて付言すれば引き際が肝心といったところであろうか。

 では、この夜、我々の主人公はいかなる考えに基づき、いかなる行動を取ったのか。――出たこと勝負、行けるところまで行く、これが彼の行動規範である。彼とても迷いや逡巡は時にあるが、最後はこれである。してその結果は、と気になるところであるが、少々お待ち願いたい。


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2 コメント

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出たとこ勝負 (hippocampi)
2005-07-12 22:56:41
ゴーヂャスディナーに社長名刺、しかも2人で来るはずが1人で来た。この先、一気にきたら、若い女性からひかれちゃいますよ(笑)。でも、そこへ濃い化粧に1人で来たなら女も女。これは計算高いに違い無い。かわいらしい女性の仮面にだまされてはいけない。はたしてこの先はいかに。

紳士的態度に思わせぶりな余韻を残して引き下がる、これがクラッとくるいい男…なーんて思います。さあ宇八はこの次どう出るか!?
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さあ?w (夢のもつれ)
2005-07-13 02:06:02
どうするんでしょうね。無責任な主人公を書いてたらこっちまで無責任になってきましたw。

少なくとも余韻なんか考えるタイプじゃないですね。
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