マタイ福音書の22章で、イエスが次のような話をしています。……天の御国は、ある王が自分の子のために結婚披露宴を設けたことにたとえられると。最初に招待した客は来たがらなかったばかりか、知らせに来た王の家来を捕まえて、殺してしまったのです。それで怒った王は、その招待客を皆殺しにし、町を焼き払ってしまいました。次に王は、家来に街に出て、誰でもいいから招くように命令しました。それで、宴会場は人でいっぱいになったのですが、その中に婚礼の礼服を着ていない男が一人いました。王がなぜ礼服を着て来なかったのかを問い質しても、その男は答えなかったので、王は「こいつの手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ」と命じました。このように招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのだ、とイエスは言いました。
良く言えば素朴な、悪く言えば福音史家の教養のなさを物語るお話だと思います。これと同様の話はルカ福音書14章にもありますが、それには皆殺しとか手足を縛って放り出すといったことは書かれていません。
それはともかく、このマタイ福音書のたとえ話を元に1653年にJ.フランクが作ったコラールを第1曲、第3曲、第7曲に配し、このカンタータ180番(1724年、ライプツィッヒ)は構成されています。特に第1曲は「装いせよ、おお、愛しき魂よ。暗い罪の洞穴を離れ、明るい光のもとに出て、華やかに輝き始めるがいい……」と魅力的なコラールで始まります。歩むような弦楽合奏の上に、装いとしてのリコーダーとそれに応えるオーボエ。神の宴に招かれる魂の喜びがバッハらしい直截さで表現されています。第2曲のテノールのアリアは、フルートと通奏低音だけ。「救い主が扉を叩く。すぐに心の門を開けなさい」細かく上下するフルートはイエスが扉を叩く音とも、それを迎える魂の喜びとも聞えます。第3曲のソプラノのレチタティーヴォとアリオーソは、ヴィオロンチェロ・ピッコロ(5弦の小型のチェロ)と通奏低音。「私の心は神と一つとなることを渇望している」とコラール旋律を歌うソプラノにチェロが寄り添います。バッハは神が傍にいることを表現するときにチェロを使うように、私は感じています。
第4曲のアルトのレチタティーヴォは、2つのリコーダーと通奏低音。「私の心は、神の深遠さに恐れを、その愛の偉大さに喜びを感じます」教会での信仰告白にステンドグラスから光が落ちてくるようなリコーダーの静かな動きです。第5曲のソプラノのアリアは、弦楽合奏が戻ってきて舞曲を奏でながら、「命の太陽、五感の光」と神を称えます。第6曲のバスのレチタティーヴォは、通奏低音だけで「信仰において、あなたの愛をいつでも想うのです」と控えめに、しかし力強く述べます。終曲は通奏低音だけの伴奏でのコラールです。「招かれざる客とならないよう、イエスの愛を正しく知るように」おそらく、信者たち全員が立ち上がって合唱するのでしょう。
コラールは単に合唱とか、ドイツ語の讃美歌という意味だけではなく、素朴なリート風のスタイルを持っていて、ルター派の教会に集った信者が気軽に唱和することができるものを言います。すなわち、コラールとは信仰によって結びついた共同体の歌なのです。これを中心にしたカンタータがバッハの後、急速に作曲されなくなったのは1737年にシャイベが批判したような音楽的な嗜好の変化(バロックの対位法から前期古典派style galantの和声法)だけではなく、こうした宗教的共同体が衰えていったことが根本的な原因だと私は思っています。つまり、バッハの音楽は個人の感情や思想を語るものではなく、共同体の祈りや想いとともにある、それが後の作曲家が束になってかかっても適わない理由の一つではないかと思うのです。
いずれにしても、カンタータを始めとした宗教的声楽曲はバッハの音楽の中心です。小学館のバッハ全集(と言っても収録されていない作品があるのですが)のCDの枚数で言うと、全部で144枚のうちカンタータ(若干の世俗カンタータを含みます)だけで68枚、受難曲やミサ曲を入れると84枚になります。カンタータは3、4回は全部聴いていますが、このブログの中で折に触れて個々の曲を紹介させていただきながら、その汲めども尽きせぬ魅力を学んでいきたいと思います。
こんばんは!
コメントありがとうござ!
J.S. バッハ関連で、この記事へコメントします!
彼のヴァイオリン協奏曲の3曲は、メロディーを口遊めるほど聴き慣れていても飽きの来ない、すばらしい曲ですね。
優雅、繊細、流麗、力感のすべてを持ち合わせた曲って、なかなかないものです!
バッハのヴァイオリン曲は、コンチェルトの優雅さと無伴奏曲の厳しさ、その中間がクラヴィア伴奏のソナタだと思います。
どれをとっても後世の作曲家の及ぶものではなく、かつ無伴奏曲はヴァイオリニストにとって永遠・無限の課題でしょう。
HPの方にもリンクさせていただきます。よろしくお願いします。