夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(15)

2005-07-16 | tale

 その夜、体調不良により無念の欠席を余儀なくされた仲林の行動をまずは追いたい。小宴が始まる頃合いになるとにわかに腹部の嵐も収まり、外出はかなわぬまでも、親友の活躍ぶりは気になる。悪気はない(そう思うことにしよう)のだが、栄子に電話してみた。

 あにはからんやか否かは別として、さすがに練達の栄子、すぐにピンときた。
「いや、今日一緒に晩飯食うことになってて、おれが腹を壊して悪いことをしたなって思って、電話しただけで……」と茉莉のまの字も言わず、もたもた言っただけなのだから、浮気者の夫は名探偵を作ると言うべきであろう。栄子は抜く手も見せずに切りかかった。

「それで、あの蛇みたいな女とどこにいるの?」
「いや、そんなことじゃないって。……だいいち蛇みたいって言い方しなくても」
「仲林さん。あなたもあの女のファンなのね?」
 もう勝負はついている。手繰り寄せていくだけである。
「いや、そんなことないですよ。ただ……」
「じゃあ、その場所教えてくれるわよね?」
「教えて……どうかするわけじゃあ。まさか……」
「バカねえ……そんなみっともないことするもんですか」

 いかな敏腕検事でもこう早く容疑者を落とすのはむずかしかろう。元々欽二は彼女に弱いのであるが、親友、盟友と言えども人の心は当てにはならない。頭をぐわんぐわんかき回され、すべて自白させられた電話での取調べの後、欽二はまた厠に引きこもり、腹だか良心だかの痛みに耐えかねることになった。

 それで栄子は、その後どういう行動を取ったのか。教会に行ったのだった。……我々は、『懺悔』というのはなかなか精神的に、ひいては社会的に良い機能を果たせるものと思っているのだが、それを栄子は利用したのだ。輪子に留守番させて、生暖かい真夏の夜の街に出た。もう7時を回っていて、誠に申し訳ないが、ぜひとも神父様に懺悔したい。主のご加護の下、よく眠り、朝の清々しさを神の栄光と感じられるように。ルーカス神父も大変であるが、迷える信徒を救うことこそが天職、何よりの喜びとするものであった。

 懺悔、告解と言ってもいろいろなやり方があるが、この教会では何もかもべらべらしゃべるわけではない。自分の行いが神の教えの何に反するか(栄子はもちろん嫉妬の罪を挙げた)を述べ、神父はそれに対応する聖書の一節を引いて共に読む。しかし、神父のたどたどしい日本語にゆっくりとついていくことで、栄子の頭は徐々に整理されていった。……たぶんあの人のことだ、調子よく行っても最後の最後でしくじるに違いない。あの女はなかなかどうして食えない子よ。『信頼』してていいはず。ここで彼女は思わず笑みをもらしそうになり、慌てて頭を垂れた。

 やがて形見分けで混乱していた隙を突かれたこともわかり、その解決策も見えてきた。自分はメガネをもらい、達子は時計、光子は万年筆でいいだろう。まだ光子がなんのかのと言うなら、3つとも渡してしまえばいい。勝手に騒がしておけばいいのだ、あんな子は。昔からあの子はそうだった。末娘の甘えん坊で、自分の言う通りにならないとすぐに拗ねる、むずがる、親や兄に言いつける。お互い50近くにもなっているのに何も変わっていない。

 ……そうだ、自分も夫も今年で50歳だ。来月はあたしの誕生日じゃないの。……ああそうだ結婚してもう20年になる。今度のことでぎゅうぎゅう絞り上げて、両方のお祝いでも買わせようか。……でも20年前のことを思い出すと、とてもお祝いなんて気分ではないわね。結婚式を挙げようにも、なんにもありゃしない。……お父さんはどんな気分だったろう。「あんな男のところへ行くような奴は、もう親でも娘でもない」、そんなふうに言えばあたしが意固地になって、あの人のところへ行ってしまうに決まってるじゃない。光子のときもそうだったんでしょ。……お父さん、とてもいい人で、かわいがってくれて、今でも大好きだけど、あたしたち娘のことはわかっていなかったわね。……

 涙ながらの告解は終わった。ルーカス神父は、もう一度新約聖書の中から一節を朗読した後、主の恩寵がありますように、栄子の魂が救われるにふさわしいものとなりますようにと、共に祈った。

 その夜、11時を過ぎた頃、宇八は帰って来た。妻子は既に寝床に入っていた。栄子は寝たふりをしたまま、彼が悪酔いしたような様子なのをちらちら見ていたが、そのうち本当に寝入ってしまった。


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2 コメント

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栄子と宇八 (hippocampi)
2005-07-20 22:30:01
栄子が懺悔、これは意外で面白い!

嫉妬の懺悔の間にもいろいろ現実的な思考をめぐらすところは実に女性をよく御存じだなあとリアルに感じます。



そして夜11時に宇八帰宅。

うーん、。いろいろ想像してしまいますね。

た~のしい!
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ありがとうございます (夢のもつれ)
2005-07-21 06:20:31
女性のことは全然わかんない人間ですが、これを書いたときはそういうものじゃないかなって思って……

リアリティがあると感じていただければとてもうれしいです。
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