正月休みに「ハウルの動く城」をDVDで見ました。ずいぶん時季遅れですが、映画館は嫌いだし、DVDが出たからといってすぐに見ないことが多いので、私はいつもこんな感じです。ですから、これから書くことももうとっくに誰かが言っているありふれたことだろうと思います。また、映画全体について何かまとまった批評みたいなことを言うつもりもありません。
私には「千と千尋」ほどおもしろくなかったんですが、なぜそうなんだろうってことです。たぶん「動く城」が原因なんでしょう。あれってなんでしょう? ごたごたガラクタを寄せ集めたようなもの。移動する時にうごめくもの。……こう言えばピンと来る人も多いと思いますが、心臓ですね。ハウルという少年の心臓であり、心の有り様なんです。だから、ドアのスイッチを切り替えればいろんなところにつながっているし、その中には雨が降り続いている荒野もあれば、ハウルしか入っちゃいけない黒い世界もあるわけです。男の子ってそういう部分がなくっちゃね。それなのにソフィーっていうお節介な女の子が掃除をしに来るわけです。老婆になったからよけいずけずけそういうことができるわけです(ソフィーの側から言えば男の子を知り、大人になるために魔法をかけられたと言えるでしょう)。だから、ハウルは変わっていく。だから、この映画にはやたら心臓を食うって話が出てきます。
城=心臓を動かし、生かしているのは火(悪魔でもあるようですが、これまた性衝動を媒介にして考えれば当然ですね)=生命力です。ハウルが心を取り戻していくと城は解体していき、物語は終わります。そう、これは心を失った少年が心を取り戻す話なんですね。だから、少女が愛する人を見つける冒険物語であり、それにすがろうとするさびしい大人を描いた「千と千尋」ほど私にはおもしろくなかったんです。お話として一見似ているようですが、その論理が違えば様相も違うし、見ている側に訴えるものが異なるのは当然です。
もちろん魔法使いのサリバン先生の位置づけとか戦争との関係とかが浮いているといったこともありますが、何よりすらすらわかりやすすぎるためにお話の底を浅くしているように思いました。きっと宮崎駿も男の子はあんまり好きじゃないんでしょう。でも、ハウルのような論理的骨格を持たずにストーリーの展開だけの凡百の映画(もちろんアニメだけでなく、ふつう映画こそそういうものが多いのですが)をはるかに凌ぐものであることは確かなんですが。