グラドゥアーレ以上にトラクトゥスは独自に作曲されることが少ないものです。私がこれまで聴いた中では、オケゲム(ca.1490年)、ド・ラ・リュー(1507年)、ラッスス(5声部、1578年)、そして先日ご報告したミフナ(1654年)しかありません。
物語に掲げた歌詞では、罪によって死者が拘束されていて(罪の縄“vinculo delictorum”)、そこから神によって解放されることを祈る内容となっています。ただし、オケゲムとド・ラ・リューは、トリエント公会議・ローマ典礼書以前ということからか、これとは異なり、詩篇42章の「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私の魂はあなたを慕いあえぎます」で始まる一節が使われています。個人的には、原罪や死後の報いを強調したような新しいものはレクイエムにふさわしいのかも知れませんが、内容的には巧みな比喩によって神を求める心を示した古いものの方が好ましく思います。次のセクエンティア(ディエス・イラエ)の際に詳しく触れることになると思いますが、文学的イメージを手がかりに多くの優れた音楽が生み出されてきた歴史を見るにつけ、もとの歌詞であれば「渇き」というイメージから、もっとトラクトゥスも作曲されたようにも思います。
ラッススは4声部のレクイエムも書いているそうですが、残念ながら未聴です。多くの宗教曲だけでなく、世俗曲も多く書いていて、マドリガルやシャンソンなどが美しい多声部のアカペラで聴くことができます。