夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

第9シリーズ:マーラー

2005-12-28 | music

 マーラー(1860-1911)はベートーヴェンの呪いをいちばん気にした人みたいです。第8シンフォニーまで書いて、あえて「大地の歌」っていう番号を持たないシンフォニーを書いて言わば厄払いをし、それから第9番に取り掛かりました。そこまでしたのに第10番を書いている途中で死んでしまいました。おそるべしベトちゃんw。「大地の歌」から第9、第10は死の影につきまとわれたもので、しかもその影はだんだん暗く、不吉なものになっていきます。第10シンフォニーについては以前に書きましたので、読んでいただければ幸いです。

 もう一つ全体的なことを。マーラーのシンフォニーは声楽付のものと器楽だけのものに大別することができます。声楽付が第2、第3、第4、第8、「大地の歌」で、器楽だけのものが第1、第5、第6、第7、第9、第10です。つまりけっこう集中しているわけです。なぜそうなのかとか言い出すと長くなるので、やめておきますが、最初に聴くなら声楽付ではかわいい児童合唱の入った第3、器楽だけのならヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で有名になった、うっとりするようなアダージェットを含む第5をお勧めします。

 さて、肝心の第9(1910年)ですが、冒頭はまさにこのアダージェットを思わせるようなけだるい美しさに満ちていて、『あ、マーラーの音楽だ』と感じさせます。その音楽に耳を傾けていればここにしかない世界に連れて行ってくれます。マーラーのシンフォニーはブルックナーと同じく長いんですが、これも1時間半はかかる作品です。にもかかわらず実に緻密に、作為と工夫の限りが尽くされていることは楽譜の読めない私にもわかります。これを夏休みと忙しい指揮者稼業の中で書いたっていうのはなんて勤勉な人なんだろうって思います。

 編成はマーラーとしてはあまり大きくないようですが、各パートの使い方がうまいのでよく鳴ります。複雑な構成で、次々と楽想が現われて消えるのに散漫な感じや“並べただけ”っていう印象は微塵もありません。きれいな多面体結晶を見るようなイメージです。それらを貫いているものを死への不安だとか諦念だとか言っても間違ってはいないかも知れませんが、やはり音楽でしか表現できない内実があって、言葉なんか寄せつけないものがあります。

 ブルックナーや第10番のときに調性のことを書いたので、ここでも見ておきます。第1楽章ニ長調(#2つ)、第2楽章ハ長調(調号なし)、第3楽章イ短調(調号なし)、第4楽章変ニ長調(♭5つ!)。最後の楽章があこがれを抱きながら暗く沈みこんでいくような感じなのはこれからもわかりますし、何よりD→C→D♭と全音一つ分の中だけで動かすという発想も、それを違和感を抱かせずに(でも音感のいい人には異様に)聴かせる技術も、ふつうじゃないように思います。そう、この暗い美しさをたたえた作品は偉大であると同時に行き詰まり、極限といったもの自体をも現わしていると思います。



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