夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

アメリカの新進気鋭の政治評論家・・・とか言う者の僭越発言

2012年11月09日 08時46分57秒 | 日記
 アメリカ大統領選挙の取材に赴いていたNHKニュースキャスターが最近アメリカで著名であるとかの政治評論家なる人物にインタビューしていた。当評論家仰るには

1.今後中国はアメリカを抜いてGDP世界一になる、と言う。
 そしたらそれはついこの前クリントン国務長官の、中国についての懸念発言・・・何故中国 人は自分の国から出て移民したがるのか?等々・・と矛盾する。
 GDPとは人をペテンにかける呪文である。いや、ほとんど世界中が”中国”と言う呪文に縛ら れている。国土が広くて人口が多ければ何故国力があると言えるのか??要するに掌握でき ないほど広く多く分散しているということであろう。もう一つの面がある、つまり”物事の 道理を弁えない国”と言う印象だろう。GDPが高ければ、その何がいいのか?モノを多く買  える、と言う、つまり商売相手として重要、と言うことか?・・・・聖書の黙示録には変  なことが書いてある。つまり政治がやがて経済を嫌ってこれを破滅に追い込む、と言うの  だ。あり得る、今でさえ米国大統領のジレンマは政治的には中国を制御したいが経済的   にはそうも言えない、ところにあるそうな。しかし全ての物事には『終り』がある。私は  黙示録が実現するだろう、つまり現在の資本主義がどうにも回らなくなって御破算と言   う事態が到来すると思う。
2.その学者さん言うにはアメリカが力を失った時東アジアは不安定化する、いや今でさえ不 安定化しつつある、・・・その為には、・・・”日本は腰を低くして中国の顔色を窺  
 え”・・・と言うのだ。そうでないとかつてグルジアが西寄りの旗幟を鮮明にした結果ロ  シアの侵攻を招いた、その二の舞になると言うのだ。何故旧ソ連邦の一員だったグルジア  と日本が似たようなものであると言えるのかよく解らない。さらにその腰を低くする具体的 な姿としては”靖国神社に参拝するな”と言う。ここまで言うか?この発言が日本人の逆鱗 に触れることを分かっていない。それで新進気鋭の政治学者とは笑わせる。

 神社というものが日本にはそこらじゅうにある。そしてそれこそ老いも若きもキャピキャピの女の子も茶髪のあんちゃんも三つ子同然の子供もそこに行って参詣の型をやっている。この意味を洞察出来る人が少ない。この姿を透かして霊界を見れば日本がどういう人々の集まりで出来ているか薄々見える。”あの折れた葦、エジプトに頼ってはならない”と昔言われたように日本人が頼むべきはアメリカではない。無論見える姿としてはアメリカが”遣わされている”かもしれない。その自然の成り行きを敢えて壊してはならない。しかし国民や政治家が国家の安泰と平安、発展を願うなら何故神社なるものがこれほど多数、この国土にあるか?を考え、そこで行われていることの意味を洞察し、そこに意を集中しなければならない。
 神社が唯の建物であると言う人が居るか?では一人で一晩、そこに居て見るがよい。私にはそんな勇気はない。

公立中高一貫教育

2012年11月09日 08時17分17秒 | 日記
 最近公立中高一貫校の過去入試。適性試験だが、を見ている。一方で我が母校ラ・サール学園校長の理念を新聞で読んだ。私はラ・サール学園の理念が教育の本来の筋道の上にあると考える。何事も基本が大切と言う。読み書きそろばんはいい方で、戦国時代などろくな教育も受けなかった人々が城取り合戦などやってその中から大した事をする人々も出て来た。剣道の基本は素振りと型、弓道しかり、薩摩の示現流などは素振り一点張りだ。人間の基本が出来ているか見ようなどと言う姿勢はさらさらない。薄ら見えるのは”如何にして要領のいい子を集めるか”と言う下心だ。
 こうい基本をほったらかしておいてまるでコンピュータ・プログラマー適性試験のような試験をやって子供達を選別して一体どうすると言うのか?英語上達の基本は一に音読、二に音読、三四が飛んで五も音読、読書百遍意自ずから通ず、だ。それを小賢しく、或いは採点しやすいようにネーティブスピーカーも戸惑うような時制の問題などやらせる。パズルか数学か解らない問題等々、勉強が嫌いになるはずだ。その一方で医学部だの薬学部だのと、”功利的な”神経は尖っている。こういうのを見ていると今日の日本の学校と言うのは子供達の意欲を削ぎ、ダメにする巧妙な仕組みだとしか思えない。
 霊的な観点から言えば、国家や社会が姿勢正しければ有能な人材がそこに生まれ出よう、そこで自己実現開花しようとするのだ。一方、国家が混乱或いは疲弊堕落していればその中でそれ相当に自己実現することによって業の解消なり悪行の体験をしてみようと生まれでて来るのだ。
 家電が中・韓に遅れをとっていると言う。よくわかる、私も日本の家電にはウンザリだ。あんな”作る側のこだわり”を押し付けられてはたまらん、実にくだらぬ機能満載で、結果”使い物にならない”ものを売りつけようとする。中高一貫校を見ているとこの二の舞に見える。

”世界にひとつだけの花”と”五も三も大学はつまらん”の矛盾

2012年11月09日 07時51分59秒 | 日記
 どうやら”世界にひとつだけの花”と言う歌が何やらの一位にノミネートされたようだ。私はそんな歌があったのか、と言う感想でしかない。有り体に言えば昭和40年以降の流行歌に”品位のある歌”はほとんどない。先ずもって”詩”がない。詩ではなく”つぶやき”になっている。従ってこれをカラオケで歌おうとすると歌詞と曲が中々整合しない。そこへ持ってきて”これは歌だろうか下手な踊りだろうか”と訝るような歌い方で、見るに耐えない。だから聞かない、見ない。あの少女たちのキンキンはしゃぐ声や少年たちのガキっぽい声など耳障りだ。・・・・なんだか変な方向にズレ始めたな。
 つまり今日”良心ある善意に満ちた人”と自認する人々は”人は誰でもオンリーワンなんだよ、みんなそれぞれ独自の存在意義や値打ちがあるんだよ”と口先で言い、内心”そんなことはない、まあ自分は例外として世の中にはつまらん奴は居るさ”と思っている。思っているから”大学なるものを五も三も設立して補助金をバラ撒いてどうするのか”と言う発言になる。もっと言おうか、”人は無い物をねだる”のである。君は世界にひとつだけなんだよ、と言う言い方が喜ばれるのは”現実には世界にひとつだけ”の扱いを世の中から受けていない証拠である。
 確かに今日日本で”大学”と言うのは欧州で興った本来の意味での大学では最早ない。明治維新以来の帝国大学だって大学ではない。あれは官吏養成所である。だから官吏服に似た制服を着て帽子、つまり権威を頭に載せていた。つまり日本の大学とは本来の意味の大学・・・宇宙の秘密を探求する機関・・・などでは全くない。だったら大学などと言う呼び名にこだわらずどんどん作ればいい。上等のサンマだけ選って採る網などない、ゴッソリ網に入れてそこから選別すればよい。補助金の無駄と言うか?しかし金はばら撒けばどうあっても市中に還流するのだ。欲深ケチ老人が握りこんでいる金など死に金でしかない。
 あらゆる若者に自分自身の”自己実現の端緒”を見出す機会を与えることこそ政治の責任である。だからウゾムゾーと最初から言わずに・・・とにかく網を入れて見る、ことがより大切と私は思う。誰でも世界に一つだけの花ではあるのだ。それを咲く前にしおれさせているのが現在の日本なのだ。それが判らんか?わからんとしたらそれこそが教育の失敗なのだ。