夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

神経症の大国アメリカとこれを利用するもの

2013年05月10日 08時10分17秒 | 日記
 無教養下層民主体の清教徒が迫害を逃れて英国から新大陸に渡った。ピューリタンである。暫くするうちに彼らは大陸先住民の土地を奪いながらフロンティアなる”美?”名の元に西へ西へと”侵略”し、最終的にはハワイまで分捕った。
 最初の内は彼らの単発銃は先住民、コマンチやスー族の二連発の弓矢に敵わなかった。これを解決すべく考案されたのがウィンチェスター銃やスミスアンドウェッソンのピストルであったと何かで読んだ記憶がある。
 一方で迫害を逃れ出た敬虔なクリスチャン、もう一方で略奪者、この矛盾が彼らの心の内奥から非難の声を上げる。その罪責感が”殊更に『正義』と称する概念や行動”に拘わらせる。
 こうして彼らは当時無主の原野であった満州にその元々の住民たる満州族の国家を建設せしめた事を、中国の誹謗に軽率にも発火して、リットン調査団などを派遣、結局日本を開戦に追い込んだ。愚かなる事である。もしも老獪に日本と取引していれば共産主義との不毛の争いや現在の苦境はなかった筈である。
 さらにベトナム、イラク、アフガン、自らの信念たる正義、つまりは神経症の発病によって多くの若者を戦場に送り多くの人々を殺し、結局イスラム世界を敵に回してしまった。これは清教徒が今は彼らの強奪品となった大陸を奪った過程の再現である。かつて満州国に異議を唱えたのもまたその内奥の忸怩たる心理の発火でもある。
 即ち自ら行ったが自らには成し得ぬ”不義への懲罰行為”の代償行為を他人にするわけである。
 しかしその神経症はまた不義の道具であった銃を決して手放させない、”不義の思い、内奥の叫びが今は見えない懲罰への不安”を掻き立てる、こうして彼らは決して銃社会を脱皮出来ない。
 こう考えるとイエス・キリストとその十二人の使徒達とそれ以降の所謂キリスト教世界との間には断絶がある。何ものかが騙しの論を持ち込んだ、以降キリスト教世界なるものは人類を本来のあり方から逸脱させている。樹はその実を見て判断せよ、と言うではないか。
 その見える姿の最たるものが西欧の植民地支配である。滑稽な事に彼らの”不義である”との内奥の叫び、忸怩たる思いは外界に向かって”愛”を叫ばせる。かくして各種の慈善事業はキリスト教世界から起こり奇妙な事に彼らはそれがキリスト教世界の美徳、他の宗教に対する優越性であると思い込む。
 故にアメリカを行動に駆り立てるのは簡単である。”正義に悖る”と声高に叫べばいいのである。これを今行っているのが韓国である。
 この礼節も品位も弁えぬ国が自らは詳細な歴史調査もせぬままに立場上の理由から日本を不義の国、不義の国であると声高に叫べばアメリカは簡単に・・・あの満州国の時と同じように騙され・・・神経症が発病して『日本の文化を破壊』しにやって来るだろう。
 その時日本人はどうするであろうか。
 政治家は”証拠を突きつけて反論”しなければならない。国民は”その非難が空しい遠吠えとしか取られない品格と行為”を諸外国に示すことによって反論しなければならない。