夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

過去の記事について

2015年08月28日 23時13分30秒 | 日記
読み返してみて、『そこまで考えていたか』と思う部分と『少し近視眼的だった』と思うものがある。追々に修正してゆく。

何気なく頭に上って来た聖書の一節があるのでそこを読んで見た。数分して閃いたことがあったので書き留める。当たっているかいないかはその時になってみないと判らないが、心の内では多分その通りとの思いもある。

黙示録16章12節:第六の者その鉢を大いなる河ユウフラテの上に傾けたれば河の水涸れたり。これ『日の出ずる方より来る王たちの道を備えん為なり・・・』この予型的な事はバビロニアの滅亡の時起こった。バビロンはチグリス河とユーフラテス河を要害として陸から攻める事が不可能だった。それゆえ外敵の攻略を恐れる事無く繁栄し栄華を極めていたがメディア・ペルシャの軍勢は河の流れを変えて城を裸にして水門から侵入、陥落させた。
今日、大量の”水に相当するもの”に守られているのは何だろうか?且つそれは大昔のバビロンにも相当する傲慢華麗な繁栄を誇り人々を支配しているもの・・・思うに『宗教』である。『日の出ずる方』とは日本であろう。日本の東には海しかない。『王たち』とは?
黙示録12章5節に『女は男子を産めり、この子は鉄の杖もて諸種の国人を治めん』とある。つまり新生日本が既成宗教も瓦解、混乱した人類世界の再構築を行う際に出て行く人々と・・今は解釈する。

Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad.

出エジプト後40年放浪の記憶

2015年08月28日 08時42分12秒 | 日記
無論忘却しないためでもあろう・・・

そろそろ長崎おくんちの季節になる。 諏訪神社のご神体は本殿を離れ、おたびしょ(お旅処)に安置され、祭りの後にまた元の神殿に担ぎ揚げられて祭りは終わる。思うにこれは奴隷状態に置かれていたエジプトの地から神の導きを以てエクソダスを果たし得た人々が、やがてその約束の地への旅路の不自由をかこち始める、その恩知らずに対する戒めとしての40年に亘るシナイ付近の荒野での生活、移動の度に幕屋を設営、契約の箱を安置したその記憶であろう。

ついでに言うならば人々は旅の不自由に不平を言う、エジプトでは肉を自由に食べていたなどと言う、挙句の果てには神は何故我々をあのエジプトから去らせたのかと言い始める、これらの民衆の不平にその都度神は懲戒処分をされた。おそらくこの記憶、いわばトラウマが日本民族をして政治(まつりごと、祀り事)を特定の人々の・・当時にあっては祭司職の人々・・・の事として手を触れたがらないのかもしれない。

日本の祭りではよく神輿を担いで川を渡る、多分これは40年の期限が満ちては契約の箱を担いで約束の地に向かってヨルダン川を渡った記憶であろう。

ざれごと?・・・100%証拠がなければ信用しないと言う人もあろうが私は100%反証できなければ信用する、少なくともそれを仮説として論証乃至実証を模索する。

Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad