夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

かわいい子には旅をさせよ

2019年12月16日 17時49分21秒 | 日記
今の日本はこれをやらない。

『かわいい子には勉強をさせて医者にならせる、医者が無理なら薬剤師に』
何故?
【日の当たる境遇で生きられるから】
・・・それは子供を飼い犬かロボットとしか見ていない、
さらには【アタシが安心したいから】との底意見え見えである。

子供は親の安心や自慢の道具ではない。

そういうところに【ひきこもり】の芽が出る。

男の子は極端な言い方でも何でもなく【命がけ】の冒険をして初めて【落ち着いた男】になり男の力を発揮するようになる。命がけとは文字通り一歩間違えば命を落とす、或は社会的生命を落とす、体の冒険。

今は子供に冒険をさせる、旅をさせる、文字通りの旅、或は心の旅をさせる度量と見識のある親が少なくなった。・・・女性原理ばかりが大威張りで闊歩している。

息子が殴り合いの大げんかをしているのを傍で見ているジョン・ウェイン演じる隊長は少なくなった。

西洋文明の終焉

2019年12月16日 14時45分25秒 | 日記
言い方を変えればキリスト教文明世界の終焉。

もっと言い方を変えよう・・・・【表音文字文明の終焉】

日本語は漢字・仮名混じり文章である。すると何が起こるか? 【漢字】は読むのではない、【視る】のだ、見てその言わんとする処を【観じる、察する】のだ。文字で表せない領域の事象まで。

チョーサーのカンタベリ物語を読んで見給え、物凄い饒舌、しかし百万言費やしても言い尽くせない事はあるのだ。一方、【菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る 】は限られた文字の中から千万言費やしても言い表せない情緒が立ち昇る。

表音文字の利便と表意文字の深遠の両方を操る日本語、これが世界標準語にならないわけがない。そして日本語が世界標準になった時、表音文字文明に隠れて悪さをしていた者共の居場所が無くなる。



ひきこもり

2019年12月16日 13時02分28秒 | 日記
父親がひきこもりの息子を刺殺する事件があった。その初公判が最近行われた由。

感想・・・どちらも気の毒、家族も気の毒。

最近は【不良】少年とか【暴走族】というものを余り聞かない。代わって【ひきこもり】を頻繁に聞く。

直感で思うに、人は幼、少年期を経て大人の世界に入って行く。そこでは【自立して】世間の荒波の中で生きて行かなければならない。・・・だから【オトナになる】には【考える以上の心的エネルギー】が要るのだ、特に男の子は。

12,3歳からそのエネルギーが噴出し始める。昔の日本はそれを押さえずコントロールする緩い箍のようなものがあったと思う。例えば鹿児島の郷中教育、海洋少年団、祭りに参画する資格、商家での丁稚、手代、番頭などのシステム、等々。徴兵検査だって子供から一人前の大人へのイニシエーションであり、【二十歳になったら赤紙が来る】との思いは少年達をして無意識のうちにある覚悟をさせたものと思う。

今はそれら一切が無くなりガッコーで(センセーや大人の目に)イイコになっていいセーセキを取り、いい大学に進学し、いい会社に入って高い給料を取る、のが【立派な人】との【暗黙の了解】が世間に蔓延して、少年達を【ガンジガラメニ緊縛】しているのではないか?

 煎じ詰めれば【金儲けが最も価値がある】との前提に立った経済社会の【歯車】になるのが唯一の生き方とされていないか?・・・もっと煎じ詰めて言おうか・・・この世界を奴隷化してその働きを吸い取って生きようと目論む謂う処の金貸しシャイロックの子孫、通貨発行権を独占しているらしい金融支配層なる者共の駒にされるしか生きる道が無くなっている、いや、無くしているのが今の世界ではないか?

若者の無意識はその姿の見えぬ魔物を感じ取ってっているのではないか?

勘着いては居ても形の見えないものに無力感を感じ、エネルギーは内向、空転、自己破壊自滅衝動に向かう、溢れ出る一部は最も弱い部分【家族】に向かうのではないか?

自己責任、守秘義務、任命責任、説明責任、個人情報、個性、交流、などなどの汚らしく穢らわしく【人騙しに持って来いの】口舌を日本に持ち込んだ【黙示録謂うところのカエルのように穢れた】者共、そのような文言概念を産んだキリスト教由来饒舌文化、・・・こう言ったものが有鉤条虫さながらに日本の全身に寄生して国と日本人を蝕んでいるのに気がつかないのか!?!

襖と障子と約束の文化を蹴倒して戸と錠前と契約書の文化を持ち込んだ馬鹿ども!

なーるほど、そういうわけだったのか!

2019年12月16日 12時49分54秒 | 日記
今日、ある記事を読んでいて【ソーユーワケだったのか!】と感じたことがあった。

安倍総理がイスラエルを訪問した時、食事のデザートが靴に盛ったアイスクリームだった由、『イスラエルは奇妙な事をしなさる?!』と思った。

実はこれは【日本の輩めが表面満面の笑みで、裏でイランにフッ化水素を提供しているな、許さんぞ!】との底意の暗喩だったと言うのだ。

それまで日本は気着いていなかったが、実は韓国が横流ししていたことが後ほど発覚、そこで経済産業省がこの7月の処置に踏み切った、且つそれを【同盟の安泰の為に引っ込めろとアメリカが言わなかった】理由のようだ。

韓国、ドーナルダローネ、イスラエルはコワイ相手だよ。日本人みたいに手加減しないよ。

ギターは何台要るか?

2019年12月16日 12時22分48秒 | 日記
クラシックギターの事だが・・・
一台は弦長660が欲しい。もう一台、弦長630があるといい。
その他は650でいいが、
6コースをD(Re)にした一台、
普通のギター調弦一台、
3コースをF#に調弦した一台
が欲しい。
日本人作曲家の曲をスペイン製ギターで弾くのは何となく違和感がある、その逆も言える。
ドイツ製のギターでスペインの曲は何となく雰囲気が合わない、スペインの音楽は音の緻密さとは違ったところで立ち上がる何かがある。
イサーク・アルベニスの曲は弦長660のスペイン製ギターでないと雰囲気が出ないように思う。
日本の個人製作家のギターには関心がない。理由は上手く言えないが、【執念】がこびりついているようでイヤだ。つまりさりげなく作られていない。
アメリカ、オーストラリア、カナダのギターにも関心がない。【音楽の歴史】を背負っていない。
中国製には忌避感がある。理由は中国文物と欧州文化は全く異質で、ニャーニャーミューミューと言うネコナデ音楽の伝統はスペインの乾いたクリスピーな音楽と相いれない。
日本人の体格には600mm程度の弦長がいいのだそうだ。理屈はそうだが欧州中世のビウェラだのルネッサンスギターなどを連想して余り感興が湧かない。
低音がやたらドスンドスンと鳴るギターがあるがキモチワルイ。
反対に高音がピャンピャンパピヨーンとなる(もしかしたら鳴らす御仁)ギターは蕁麻疹が出る。

結論:-
スペインの風土の中でスペイン人によって組み上げられた弦長660mmのE調弦、D調弦、F#調弦、650mmのyamaha、630mmの個人製作でない日本製、が欲しい。