夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

日本人と酒

2012年11月13日 13時48分41秒 | 日記
 最近クールジャパンと騒ぐ。ネット上には外国人が日本に来てその非現実的幻想世界に驚いたりホレこんだり日本に永住したい、などという記事だの動画だのがある。
 ”逝きし世の面影”という文庫本を読むと江戸末期から明治にかけて日本にやってきた外国人の印象が書かれている。この両方比べての私の感想は『なんじゃ日本人は変わっとらんじゃないか』である。繊細複雑非現実遊び優雅豪快その他もろもろ、まるで色とりどりのビー玉をブチ撒けたような文化。そこへゆくとテレビに見る外国の風景の退屈なことといったらない。
 一時期一緒に仕事をした社長が言うには『日本酒には5つの味がある、甘い、辛い、苦い、酸っぱい、渋い、だ。こういう酒を作り出した日本人というのは相当複雑な民族だよ』・・・まあ、ご先祖が造り酒屋だったそうだからさもありなん。でも私もそう思う。これに比べるとワインなぞ酒のうちに入らない。まあ、フランスでは水替わりだそうだが。幼少の頃からあれを飲んでいるからフランスには数学の天才・・・アーベル、ガロア、コーシー、デカルト などなど・・・が出るのだそうだ。
 ウイスキー、ブランデー、ウオッカ、ショ-チュー、それから何とか言う中国の酒、ビール、飲んだが日本酒に勝るものはない。焼酎は今でこそ一人前の酒の顔をしているが戦前生まれ戦前植民地育ち、当時超モダンガールズの一人であった母は『あれは馬車引きの飲むものよ』と言っていた。ついでに言うと今日足に引っ掛けて履く、つまりスリッパの先っぽの開いたあの履物を”チャン下駄”と言って母は嫌った。
 つまりこの酒にしてこの文化あり、なのだ。先ごろ中国が文化強国を目指すとの報道があったがアホじゃなかろうか。文化と言うのは『個人の極めて個人的な遊び心と暇持て余し』から出てくるのですよ。組織とか計画とか予算などと言う世界とは違う次元の中にあるのですよ。この点ではアメリカ人も西欧人も解かっちゃいない。国をあげてアニメ文化を何とやら・・・こういうのを噴飯ものと言う。

酩酊

2012年11月13日 13時15分36秒 | 日記
 沖縄で米兵が民家に侵入して寝ていた中学生を殴ったと言う。よーく聞けば相当に酔っ払っていて”自宅に戻って見ると俺の部屋に見知らぬ奴が寝ている!”という訳で殴ったらしい。
・・・イヤア、ワカル、実にわかる、これはもう経験者でないと、このあたりの機微は解らない。
 酔っ払って眠り込む、小用で目を覚ます、『オイッ、コラッ! 箪笥の抽斗にションベンするなっ!』・・・何時、どうやって、我が家にたどり着いたかわからない、朝、妻と息子が白い目で見る、『ン、ドーシタ?』『どうしたじゃないだろう、玄関から布団まで引き摺って行くのにおおごとしたんだから』とカミナリが落ちる。
 おかしいなあ、胸ポケットの身分証明や免許証がない、と思っていると昼近くに事務所に電話がかかった、『おたくの名刺入れが庭の植え込みに落ちていました』『それは大変恐れ入ります、どちらに伺えばよろしいでしょうか』と訪ね、返事を聴いてぶったまげる。『作夜、何故そんなところをウロついたのだろう??』。”ことわり”にお菓子を買ってまだ少しぼんやりした頭でその名刺入れを貰いに行く。ナント!道の脇に濁って底の様子も定かならぬ溜め池があるではないか、ここに落ちたら一巻の終わりだったよ。
 と、まあ、酒の失敗少なからず。
 父は若い頃、上司の家に新年会に招かれ、相当に酔っていざ帰ろうと玄関で靴の紐を結ぼうとかがんで、”小間物屋”を開いた。祖父は台湾で中国の酒・・・日本の酒よりもキツイらしい・・・を飲みすぎてアル中に近くなっていた。酒が切れると手が震える。死の床で水の代わりに酒を飲み、壁にムカデが這っているだの天井に大きなクモがいるだの言って死んだ。
 造船所に就職した当時、同じ設計室に下請けのおじさん、兄ちゃん、ジイサンなどかなり居たが中にアルコール焼けして鼻の頭や頬が赤いハゲ頭のじいさんが居た。図面を引かせればピカ一、だったが昼近くになるとアルコールが切れて手が震え出し、線が真っ直ぐにならない。そこであわてて近くの酒屋に走り込み一杯ひっかけて戻って来る、というわけで・・・ああ、平和な時代だった、懐かしい。皆さん、仕事ってのはこういう具合にせんと面白くないんですよ。しかめっ面して『責任の所在を云々』などとクソ面白くもない。
 こういうことを知っていたから私が大学に入った時、身元保証人になってくれた叔父は『まあ、タバコは吸ってもかまわんが酒は用心しろ』と言ってそばに居た姉である私の母に叱られていた。
 

TPP

2012年11月11日 18時07分03秒 | 日記
 TPPについて様々な憶測があるようだ。曰く、”あれはアメリカを蔭で支配している何者かが日本を食い物にする手段だ”、曰く、”アメリカが自分の都合のいいように日本を料理する方便だ”、曰く、”乗り遅れると日本は後進国の仲間入りだ”。
 ケーダンレンなどと言う、聖書の黙示録では”娼婦”と表現されている組織、その構成員は多分TPPに乗り遅れると日本は衰退すると言う。民主党が政権を取ったらスグ民主にすり寄った、転じて今度は民主不利と見るやすぐさま自民党にしなだれかかった、節操がない、つまりショーバイだからネ、まさにその行動たるや娼婦ではないか。自分たちが衰退するのを日本にすり替えるな。日本のGDPの8割は内需だとどこかに書いてあったぞ。自分たちのカネモーケの為に工場を中国なんぞに造り、日本の若者から仕事と夢と希望と家と車を奪っておいて中国の反日連中に車やきれいな洋服を渡した。ついでに言わせてもらおうか、履いてすぐずり下がる靴下、一度着たらベロンベロンになる、すこしも暖かくならないセーター、その他ウゾームゾー、こんなメードインチャイナを我々に売りつけて世界企業などと、笑わせるな。
 農業団体などは農産物の関税が撤廃されると日本の農業は滅びると危惧するようだ。その農産物だが・・・もう随分昔のことだから言ってもいいだろう、遠い親族がさる地方役所に勤めていた。そこで、”近頃有名なカリフォルニア米”と言うモノを食ってみようというわけで”視察”か何かの名目で大挙してでもないが団体でアメリカに言ってスシを食った由。”あげな不味かモンが食わるっか!”と言って帰って来た。
 皆さん知っているかな?日本人の中年の男の舌が世界で一番鋭敏で肥えているのを。さらに、日本人はこと口に入れるものについては非常に神経質で、”コクサン品”にしか手を出さない。・・・食い物商売では例外もあろうが。アメリカ産のサクランボも一時期入って来ていたようだが今は消えた。生き残っているのは”日本にないもの”だけじゃないかな?我が妻女もアメリカ産のブロッコリーは安い、と言いながらそこはパス、最近はショッピングモールの野菜や魚売り場をパスして車に乗って”道の駅”やその類、また道端にある無人販売小屋に行く。魚は魚市場、果物は青果市場に行って買っている。
 さらに日本人は”米の味、舌触り”に煩い、煩いからメーカーが電気釜をこれでもかこれでもかと改良するではないか。だからお百姓諸兄、心配しなくていい、みなさんがよいものを作れば日本の消費者は安くても外国産に手は出さない。但し外食産業は知らない。ちなみに我が家は所謂外食産業のレストランにはゆかない。最大の理由は”何を食わされるか分かったものではない”からで、大好きな中華饅頭さえ買わなくなった。ハンバーガーも食べない。要するに”日本の農家が生産した”と明確にわかっているものしか食べない。
 ”考えのある”日本人は似たような観念だと思う。だから農業は心配しなくていい。むしろ売り込んだらいい、売り込んで味を覚えさせるのだ。日本の牛肉の味を覚えたらもはやオーストラりアやアメリカの肉は喰えない。固くて臭い。日本のリンゴを食ったらフランスかどこやらかのリンゴ村のリンゴ祭りなんてアホらしくて・・・。要するに繊細緻密な感性と言うもので他の追随を許さない民族だから、そうでしょう、なんぼ安くてもあなた不味いものを食いますか?西欧の誰かの言にあったな、『何を食っているか言って見たまえ、君がどんな人か当てて見せよう』

故郷に帰りたくないと言う女子学生

2012年11月11日 17時48分11秒 | 日記
 『あなたは沖縄出身なんだからやはり戻ってどこかの幼稚園に就職するのが一番いいと思う』『帰りたくありません』『どうして、あんな海が綺麗で南の楽園、じゃないかもしれないけれど、そんな感じのところに、どうして?・・・』『沖縄の男は働かないから嫌い!』で、彼女はとうとう九州のどこかに就職した。これは、沖縄男にとってはキツイ指摘だね。でも一人の若い女がそのように言う、実際行動すると言うことは、”ほかにもそう思っている女性が居る”と言うことだ。ここで奮起するか、ナアナアで済ますかが『男になるかならぬか』の分かれ道。

広島、長崎、平和平和

2012年11月11日 17時04分44秒 | 日記
 『君も長崎県人なんだから長崎大学を受験したらいいじゃないか』『わたし、長崎大ッ嫌い、あんなところ行きたくない』『何故?』『小学生にまで平和平和と平和教育なんてする、あんなのオカシイ、何かウソ臭い、だから嫌い』・・・女子高校生の言である。
 いいですか皆さん、こういう高校生が居ると言うことは”他にも大勢このように思う高校生が居る”のですよ。何か、言葉では現せないが純真な若者の感性に『欺瞞』と映る何かがある、と私も思う。
 私は学生時代広島に住んで居た。間借りしていた大家さんのおじいさんは原爆症で奥さん。お嬢さんを亡くし、動員されていた次男は被爆死亡、探し出して家に背負って帰り、庭で火葬にした、長男はあまりの衝撃で気が変になって存命。こういうのを見て来たし聞いた。
 就職して長崎県に来た。そして、原爆というものについての市民、報道の微妙な違いに内心驚いている。
 その違いが”キリスト教会”の存在或いはその数の差ではないかな?と思っている。それ以上は言うまい、言えない、そんな知識がない。

 但し、平和教育、平和教育 という言葉を聞くとどこやらの国で行われているらしい物心ついて以来の”反日教育”を連想する。バカの一つ覚えという言葉があるがこれほど始末におえぬものはない。

 私は造船設計を生業としたが苦い失敗を何度もした。その時自分に言い聞かせたのは”失敗の苦さ、その始末の苦しさ”を徹底的に味わう、ことであった。”これが現実なんだ、綺麗事で物事は収まらないんだ!”そこから思慮がだんだん深くなり老獪になった。
 今日、世界情勢、国内情勢、様々の意見を見聞して、何故『苦くとも現実を直視して苦しくともその現実に何とか対処してゆこう』との気概気力を奮い起こさないか?と言うことである。『理想ではあってもそうならないそうはできない事がある』と言うのが『大人』の認識であり、そこから『ではセカンド・ベストは如何にすべきか』を考える時初めて現実が動き出す。何故自分は遅れたか、と冷静に考えず、自分より先を走るものに言いがかりを付ける、或いはマドウテクダサレ、マドウテクダサレ、とダダをこねる。そう言うものは更に遅れる。 
 自分の身の不如意を冷徹に商量するところから始めなければ決して物事は解決しない。

 今の日本人は甘え、甘ちゃんである。ここはエデンのパラダイスではない、元々そのように計画されていたものを人間は『恐れ』からあちこちかき回して結局自ら生き地獄にしてしまったのだ。その中にあってエデンではこうだああだ、核兵器は廃絶だ、原発はゼロだ、といくら言い張ってもそうはならない、なれない。そうはならない、なれないことを、その苦さを骨の髄まで味わい尽くすこからしか物事は始まらない。