お姉さんの四十九日法要にご遠方からお参りされた弟妹さん方。
「遠く離れて暮らしていましたが、故郷で暮らす姉とはメールでしょっちゅうやりとりをしていたので・・・・・・・でも、寂しくなりました。本当に寂しくなりました。」
と涙声でお話してくださいました。
わたしも山陰から嫁ぎました。
当初はフェリーでの行き来、やっぱり遠かった・・・。
里の父とは毎日電話で話すわけにもいかないし・・・。
やがてしまなみ海道が開通し、里帰りの時間もある程度自由になったし短縮もされた。
それでも、時間的にも距離的にも制限があり隔たりがあった。
七年前、父が亡くなった時は本当に辛く悲しかった。
いっぱい泣いて、何をする気にもならなくて・・・・
でもある時ふうっと思ったんです。
「いつでもどこでもはたらいてくださる、ということは、距離感0なんだ」って。
そう思ったら、急にすっくと背筋が伸びた。
「お父さん」って呼ぶ声がそのまま父の声なんだ。
「なんまんだあぶ・・・」って申すお念仏がそのまま阿弥陀さまのお呼び声なんだ。
そう思うとなんだかホッとした・・・。
今日お参りの皆さんはまだまだ悲しみに沈んでいらっしゃるのでしょう。
でも、涙するそのまんまに、がんばるそのまんまに寄り添ってくださるは、
仏さまとなってくださったお姉さんのおはたらきでしょう。
心丈夫に、たいせつに生かさせていただきましょうね。
そう、ご法話させていただいた今日のご縁でした。
「遠く離れて暮らしていましたが、故郷で暮らす姉とはメールでしょっちゅうやりとりをしていたので・・・・・・・でも、寂しくなりました。本当に寂しくなりました。」
と涙声でお話してくださいました。
わたしも山陰から嫁ぎました。
当初はフェリーでの行き来、やっぱり遠かった・・・。
里の父とは毎日電話で話すわけにもいかないし・・・。
やがてしまなみ海道が開通し、里帰りの時間もある程度自由になったし短縮もされた。
それでも、時間的にも距離的にも制限があり隔たりがあった。
七年前、父が亡くなった時は本当に辛く悲しかった。
いっぱい泣いて、何をする気にもならなくて・・・・
でもある時ふうっと思ったんです。
「いつでもどこでもはたらいてくださる、ということは、距離感0なんだ」って。
そう思ったら、急にすっくと背筋が伸びた。
「お父さん」って呼ぶ声がそのまま父の声なんだ。
「なんまんだあぶ・・・」って申すお念仏がそのまま阿弥陀さまのお呼び声なんだ。
そう思うとなんだかホッとした・・・。
今日お参りの皆さんはまだまだ悲しみに沈んでいらっしゃるのでしょう。
でも、涙するそのまんまに、がんばるそのまんまに寄り添ってくださるは、
仏さまとなってくださったお姉さんのおはたらきでしょう。
心丈夫に、たいせつに生かさせていただきましょうね。
そう、ご法話させていただいた今日のご縁でした。
