ワシから言わせれば・・・
「あ~、こう見られているんだ」って、思いながらお名号に向かわせていただきました。
日々の横着な住職に対する鬱憤が出るのでしょう。
申し訳ないことです。
御縁をいただいたところで、間の休みにいろんな事を話させていただきます。
その方もよく存じ上げているお方で、目の前に座られるものだから話さずにもおれないし・・・
でも、話したい内容は分かりきっているのです。
霊的な体験に悩んでいるお方で、以前、何回も呼ばれてはお仏壇の前に座りつつお話しさせていただいたのです。
信じようとしない私に苛立ちを持たれるのでしょうか、最近は諦めてお話しになられません。
信じない訳ではないのです・・・
この方が見て思われるのだから私がトヤカク言うことではありません。
ただ、私の考えを聞かれると正直に私の考えを言わせてもらうので・・・
その方が思われていることと違うことを言わせてもらうのが面白くないのでしょうね。
間の休みに廻りくどくそのようなことをおっしゃいます。
その経験を踏まえつつ「南無阿弥陀仏」の六字の凄さを熱弁されるので、「どう凄いんですか?」ってお尋ねしたところ、「あんたには言わん!」って・・・
もの凄くその六字の凄さに興味があり聞きたかったのですが・・・
「あ~、そうすっか!」って向きをお仏壇に向けさせていただくと、
捨て台詞のようにおっしゃいます、「理屈ばかりでワシから言えば、まだ丁稚や!」って・・・
80も半ばの人生の先輩ですから、確かにその人生の経験から言えば丁稚も丁稚です。
そのことで言われるのなら腹も立つこともないのですが、
お念仏のお味わいから丁稚扱いされると「ムカッ」っとくるのです。
80も半ばになり、人をその程度の見方しか出来ないのかと寂しく思ったことです。
経験はないものの霊的なことに苛まれてしんどい思いをしていることは何となく分かります。
その為、拝み屋に行ったり他宗に行ったりと解決したくて右往左往されたことも十分分かっています。
最後に辿り着いた「南無阿弥陀仏」
その時の六字の凄さってどんななんだろう・・・
「南無阿弥陀仏」が霊的な現象を祓って下さったのでしょうか・・・
言葉のニアンスよりそう聞こえてならないのです。
「ワシが外道であるが故に、阿弥陀さまがあのような姿となり教えて下さったのだ」とも・・・
「阿弥陀さまが人を惑わすような姿になるのかどうか私には分かりませんが、あなたが外道であることが分かったとおっしゃるのであれば正解かもしれません、でも、ニアンス的には阿弥陀さま自らが自らの凄さを誇っているように感じてなりません!阿弥陀さまってそんなおはたらきなの・・・そしたらオレ、絶対無理!そんなおはたらき、感謝出来る筈がない!」
人生の先輩に向かって申し訳ないと思いつつ、
丁稚の私は丁稚のままに、外道のあなたは外道のままに・・・
恐怖に戦き、寂しさに打ち震える私を、あなたを・・・
そのまんまを包み込んで下さる阿弥陀さまでしたねってお味わいさせていただいたことです。