人の盛衰は他人には分からない
心の中を誰が知ろう?
野球に生きた逸材は、野球にその名を残した
異例のロイター写真特集だ!!
野球の勇者は、実業の壁に敗れた。掛布選手も同じだ。心の裡は誰にも量ることは出来ないが、せめて生き続けてほしかった。
生きることは、事を為しうるに勝る。それ自体が一大事業である。その余のことは、人生事業の余白に過ぎない。余白といえども、与えた影響は大きい。一人の死が、事に日本の一人のスポーツ選手がロイターの写真集を飾ることは少ない。
それは愛された証拠でもある。しかし、自ら命を絶っては悔いが大きすぎる。おそらく、一種のパニック症候群であろうが、心を敢無く見失ったものと思われる。
スポーツ選手としては一流であった。野球の魂を持ち続け、最後まで貫いた数少ない純情人生であった。しかし、それ故、自殺は悔やまれる。
【転載開始】
伊良部さん死去、ヤンキース「永遠にファミリーの一員」
[ロサンゼルス 28日 ロイター] プロ野球のロッテや阪神、米大リーグ(MLB)ヤンキースで投手として活躍した伊良部秀輝さん(42)が亡くなったという知らせは、恩師や関係者らにも衝撃を与えた。
伊良部さんは27日午後、ロサンゼルス近郊の自宅を訪れた友人に遺体で発見された。地元検視局のエド・ウィンター氏は「本件は自殺として扱われている」と述べたが、死亡状況などの詳細は明らかにしなかった。
剛腕速球右腕として知られた伊良部さんの死を受け、ヤンキースは「ヒデキ・イラブの死に接し、深い悲しみに包まれている。ピンストライプ
を着た選手は永遠にヤンキースファミリーの一員だ。彼の奥様、2人の子ども、そして友人たちに心から哀悼の意を表したい」とする声明を発表した。
伊良部さんは1988年に尽誠学園高(香川)からロッテに入団した後、97年にヤンキースでメジャーデビュー。在籍した3年間で98年と99年にワールドシリーズ制覇に貢献した。98年には13勝9敗の好成績を収めた。【転載終了】
95年のロッテ時代に監督だったボビー・バレンタイン氏はAP通信に対し、「ワールドクラスの投手だった。ノーラン・ライアンが彼を見た時、こんな逸材は見たことがないと話していた。まさに剛腕だった」と伊良部さんの死を悼んだ。【転載終了】