素直に考えれば、
当然の論点であろう?!
アメリカは日本の最友好国である事には、
間違いはないが、
追従は、
もう見直さなくてはならないだろう・・・!
隷属からの脱却は必然である!
しかしながら、中国との関係には、相当、警戒を要する。中国の覇権主義と海洋政策には、アメリカの支援無くして対抗しえない。その意味で、アメリカと日本の友好は不可欠で、日米安保条約は、その基幹である。
それと、集団自衛権が、日本の自衛隊がアメリカ軍の傭兵になるとの論理は飛躍がある。
なんでも論理に飛躍があるということは、為にする意図があるからであろう。戦争という忌まわしい記憶が、怖れとして論理を飛躍させるのは致し方がないとしても、政治的意図を持つ論理の飛躍は頂けない。
日本の自主独立を言うなら、軍事的にも自立が必要で、そうでないところは集団安全保障が不可欠であることは、自明である。非武装中立などという、『お花畑』議論は、論外である。
集団自衛権と、集団安全保障は同じ意味であるが、依って立つべき位置が違うだけである。日本に立って考えれば自衛権となるし、より客観的に立てば、安全保障となる。
集団安全保障無くして、平和への担保はない。これは現実である。そして、それは隷属を意味しない。寧ろ、非武装で傭兵を雇う行為が、隷属である。
かつて、カルタゴは傭兵を雇い、経済的利益のみに邁進した。そして、数度に亘るローマ軍の攻撃に滅亡した。そして、その後は跡方もなく、消え去ったのである。
日本が適正規模の軍事力を維持するのは、当然のことである。そして、集団的自衛権を多角的に行使することも重要なことである。集団的安全保障が、今、アメリカを中心に行われている事は誰しも否定しないが、将来に亘ってそれでよいという話でもない。
それは台頭する中国、凋落する米国、そして、秋波を送るロシアの現状を冷静に見つめてみれば、自ずと知れる。ウクライナや、中東の情勢を見れば、容易ならぬ戦争圧力が世界には存在する。
<何故か、ワシントンDCに本拠を持つISIS??>
それに抗するのは、自主独立の気概を持った自国の軍隊が、是非とも必要であることは異論を待たないだろう。
自国の軍隊を持つことが、即戦争につながるというのは論理の飛躍であり、集団自衛権がアメリが軍の傭兵化するとの論理と同じである。寧ろ、自主自衛権の一定の強化は、戦争に巻き込まれないための必須事項だし、対等な安全保障行使の必要条件である。
国連中心主義というのも、集団安全保障の別名である。
国連が、名実通り、公正・公平な国際機関としての機能を全うしていれば、文句はないのであるが、到底、その様相はない。国連中心主義というのは、建前論であって、現実は相当の乖離がある。
それを踏まえた上で、現実的対応が必要だ。
非武装中立を御旗に掲げる平和主義は、現実においては夢想論であろう。憲法9条も形骸化している。その精神や由としても、集団的自衛権を論ずる前に、憲法改正を果たすべきである。
凶器は、人によって為る。武器は、武人が持つと武器となり、狂人が持つと凶刃となるのである。武人は、矛を止める人を言う。武器もまた、同じである。
日本人は、武人であろうか? それとも狂人であろうか?
今は、自虐史観が、日本人をして自ら狂人恐怖症に罹っているのである。近年、特に昨今のことであるが、自虐史観の大きな元であった慰安婦問題と南京大虐殺が、真っ赤なウソであったことが暴露され始めてきた。
【慰安婦の真実】フランスの方が描いた慰安婦の真実~L'histoire d'un mensonge.
これに伴い、第二次世界大戦(大東亜戦争)が、本質的には自衛戦争であったと語られるようになってきた。それに引きずられるように自虐史観の原因が、段々と馬脚を顕して、見直される雰囲気を醸している。
これは良いことである。彼のマッカーサーが上院演説でそれを認め、当の日本が自虐であることはない。
誰しも、自虐では本然の能力が埋没される。
戦争は、常に悲惨なものである。決して繰り返してはならないことであるが、自虐の淵に沈むのはあってはならないことだ。大観すれば、あの悲惨な戦争でアジアは大きく植民地を脱した訳で、中国共産党軍とは大した戦争をしていないのだ。
朝鮮に至っては、植民地支配はしたが、戦争はしていない。その両国から自虐史観を強要されるいわれはない。他のアジア諸国と戦争認識において大きな隔たりがある。
これは外交戦略の狙いから生まれた、特異な現象である。はっきり言ってウソである。
これはアメリカにも言えることで、日本の封じ込め戦略から未だ脱してはいないばかりでなく、戦争というのは、常に悲惨なものであるとしても、日本に対して取った戦術が、あまりにも非人道的であったが故に、自らの罪をカモフラージュさせる手段となっている。
残酷且つ熾烈であったのは、アメリカであったとの暴露を隠蔽する手段となっている。
これはこれから大きく暴露されてくるであろう・・・。
それに伴い、アメリカ隷属は少なくなるだろう。が、今はそうではない。本来、ロシアとは平和条約が結ばれていて当然である。それを遮っているのが、アメリカ追随である。日本封じ込め戦略が未だに発効している。
情報もそうである。
常にアメリカメディア、アメリカ諜報を中心に流されている。そのアメリカそのものは、大きく変貌し、自作自演のテロはやるわ、世界各国で戦争を始めるわ、で、やりたい放題であった。それも陰りが見ている。
もう、そろそろ気づくべきだろう。
今、非武装中立など寝言を言っている時ではない。それでは寧ろ戦争を招き入れ、国土焦土作戦を覚悟するか、それとも守りを固め、相手の戦争の芽を摘み取るかの選択である。
何も、戦争に出向けと唱えているのではないが、イザというとき、立ち向かえる気概は不可欠である。そうなれば、相手は襲ってこない。これは一対一の暴漢に対しても言える。同じことだ。
日本人が、狂人でなければ、真の武人(サムライ)であれば、後者である。そのための自虐史観脱却であり、適正な軍備は、当然必要で、集団自衛権行使がアメリカ隷属にならない多角的集団自衛権行使につながる道であろう。
そういう意味で、これからが正念場となる時代変革を迎えている。
こう書くと、安倍政権礼賛と観る向きもあるかもしれないが、そうではない。安倍政権は不正選挙に依る政権と観ている。アベノミクスは、誰かの言ったようにアベノリスクである。後は、ご自由に判断をお任せしたい。
© Photo: REUTERS/Issei Kato
アメリカのレンズを通して欧米を見る、アジアを見る、CIS 諸国を見る、アラブを見る、アフリカを見る、だけでいいのだろうか ?
戦後
70年近くが経過する中で、日本人はアメリカのレンズを通して世界を見る癖がついてしまった。たとえば、パレスチナ人がイスラエルによって虐殺されている
が、アメリカのレンズを通してそれを見ると、イスラム組織ハマスがイスラエルにロケット砲を打ち込むテロリストだから仕方がないとなってしまう。イスラエ
ルによるガザとヨルダン川西岸の 占領および入植は国連決議違反だがそれもイスラエルの安全のためにはやむを得ない、となる。いずれもユ
ダヤロビーの強いアメリカの内政問題から見た視点でエボラ出血熱の犠牲者を上回る2000人以上のパレスチナ人が殺戮されているのに日本人はそれほど痛痒
を感じないように見える。ウクライナの問題もそうだ。
合法的に選ばれた親ロ派のヤヌコビッチが、極右勢力などに追い出されても、欧米の立場から見て当然だと思ってしまう。クリミヤが住民投票でウクライナか
らの分離独立とロシアへの帰属を決めたことについても「ロシアが不当に併合した」という見方をしてしまう。ウクライナ軍が親ロシア派の拠点であるドニエツ
クとルガンスクの東部二州を破壊し、それをNATOが応援するのは構わないが、ロシアが東側を支援するのは「軍事介入だ」と非難する。
米ソ冷戦の名残で、アメリカは ロシアのやることにはいちいち「軍事的な魂胆がある」と言って 反対すする。日本にも「ロシア制裁
に加われ」と平気で圧力をかけてくる。そのアメリカはサダム・フセインが大量破壊兵器を所有しそれを使うかもしれない、ということでイラクに兵を進めた。
結果大量破壊兵器は発見されなかったがフセ インは捕まり、処刑された。
独裁者フセインが去った後の「民主的なはずのイラク」は三分裂し、テロや過激派「イスラム国」などによる殺戮はフセイン時代以上である。リビアもカダ
フィなき後、1000を越える民兵組織がお互いに抗争を繰り返している。独裁者がいた時のほうが、まだ国としての体制はサマになっていたのではないかと思
われる。
日本はアメリカに追従して大丈なのか? アメリカのレンズを通して欧米を見る、アジアを見る、CIS諸国を見る、アラブを見る、アフリカを見る、だけでいいのだろうか?
自民党はアメリカが二十年来要求してきた集団的自衛権の行使容認をようやく閣議決定した。これからはアメリカのポチとして出兵を要求される機会が多くなるだろう。ドイツのようにそれぞれの案件ごとにちゃんと是非を議論
できるならいいが、アプリオリにアメリカの言うとおり、となると、その「意味合い」を自分で判断できる能力が従来にも増して重要となる。そのリトマス試験紙第一号はロシアに対する制裁だ。
ウクライナについて日本は欧米と歩調を揃えるだけでいいのか? ウクライナを軍事的に侵略しているわけでもないロシアになぜ制裁を科さなくてはいけない
のか? ロシア系住民が過半数のクリミアがロシアに編入されることに他国が異議を唱える根拠は何か?
そういった議論もないまま、ロシアへの制裁を決定する判断は正しいのか?
ロシアとの間には日本にとって重要な案件がたくさんある。ガスや石油などのエネルギー資源のパイプラインによる調達、高圧直流電力の直接輸入、シベリア
開発への参加、北方領土問題の解決、平和条約の締結などである。ロシアと日本が仲良くならないようにしたいアメリカのくびきから逃れ、独自の判断をするの
は今をおいてほかにないだろう。既定路線だったプーチンの訪日をウクライナ問題で反故にするのはあまりにももったいない。
安倍首相の言う「普通の国」を隣国ロシアとの関係に当てはめてみれば、東西冷戦後はじめて戦後処理をして平和条約を結び「普通の国と国の関係」にもって
いく絶好の機会である。アメリカのレンズではない自分のレンズで周辺国との関係を見直す。その機会は今をおいてほかにないと思われる。
こうしろ ゆうじ 大前研一の提唱した「平 成成維新」の実現を目指して活動する政策市民 集集団「一新塾」卒業生。
続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/2014_08_27/276471821/【転載終了】
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