飄(つむじ風)

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すべては『シオンの議定書』にカギがある!!③

2007-12-31 14:55:22 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第二議定書注釈

 【第二議定書注釈開始】注意深く、読めば解る通り、戦争は彼ら(シオニストユダヤ人)が必要としているとある。それは、一般に知られているよう に地政学上の理由ではないというのである。『領土的な利益をもたらさないように仕向ける』というのはそう言う意味である。オドロキだ。
 科学がコントロールされ、理論・イデオロギーは作り出されている。そして、世論も作り出されるモノである。と云っている。新聞とあるが、現代に置き換えるとマスメディア全般のことである。それを支配している。
Baphomet
 又、神と言及しているが、彼ら(シオニストユダヤ人)のいう神は、 バフォメット(Baphomet)のことである。聖書で云うところの悪魔である。【注釈終了】

 
第三議定書では、さらに踏み込んで、裏で支配する要諦に触れている。見落としてはならないことがある。『全世界王が王冠を戴く時が至れ ば.....』と云うことは、世界支配計画のことである。今から、100年以上前の、仮にも偽書であれ、そう言及している。そして、今や、グローバリズ ム、世界統一政府、One World Order。言及通りではないか。 Photo

【転載開始】『シオンの議定書』第三議定書

 今日、われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり、われわれが歩んできた長い道 のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしている。その蛇は、わが民を象徴している。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力に よって締め上げられるのである。 

 当今の国政機構の天秤はほとんど破壊しているも同然である。なぜならば、われわれが、支点を軸として揺れ動き転回させるべく、正確な均衡を欠く ように設定してあるからである。ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けている。だが支 点・・王座に即いている王たち・・は、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑する阿呆の役を演じる代議員たちに取り巻かれている。この力は、宮 殿内に吹き込まれてきたテロルに負うている。王たちには人民に近付く手だてがない。まさに取り巻き連中のド真中で王位に就いている王たちは、もはや人民を 受け入れ、権力を追い求める者たちに対抗する強い力を与えてやることができない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失う ように、われわれは深い溝を設けた。盲人と彼の杖のように、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。

 権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、われわれは、すべての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹するよ うに仕向けてきた。この目的に向って、われわれはどんな形の企てでも指嗾教唆し、あらゆる政党に戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権威に対して向けるよ うにさせた。国家というものを、われわれは混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである……ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。 

 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった。向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレッ ト屋が毎日のように政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに 会って空中に吹き飛ばされるであろう。 

 なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりもきびしく、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれている。なんとかし て彼らはこの束縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困からは脱却できない。われわれが憲法に書き込んだ大衆に 関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではない。いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現され るはずのない観念としてのみ存在することができる。おしゃべり屋には無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには良いことも書くが阿呆なことを書きなぐ る権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げているプロレタリア労働者には、何があるというのか。かつてプロレタリアー トは、われわれが説きつけたことに賛成し、われわれが権力の中に潜ませておいたわれらが代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、われらが食卓からパン 屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった……貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一 日中働いている労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては全く与えられないのだが、その一方で、彼は仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖に よって、確実な生活の資をすべて奪われるからである。 

 われわれの誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまった。人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益のために、貴族階級は人民の唯一の 保護者であり養い親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつないだ守銭奴の手中に落ちた。 

 われわれは、労働者にわが戦列・・社会主義者、無政府主義者、共産主義者・・に加わるよう提案し、振りかかる圧迫から彼らを救出する救世主を 買って出る。われわれは、われらがメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定めどおりに、一貫して主義者たちを支援している。貴族は、法律 によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。われわれは全く反対のこと・・劣化、 ゴイムから生命を奪うこと・・に関心を寄せている。われわれの権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそうしておいてこそ、彼はわ れわれの意のままに従うようになり、われわれに敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなる。王たちが正当に貴族に与えた 権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えである。 

 飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、われわれは群集を動かし、彼らの手を使ってわれらが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。 

 全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであろう。 

 ゴイムはわれらの専門家たちの助言なしには、考えるという習慣を失ってしまった。ために、彼らは、われらの王国が実現したあかつきには、直ちに 採択しなければならない必要欠くべからざることが見えない。すなわち、公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要で あるということである・・それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分 かれなければならないということである。人間活動の実際にはさまざまな差異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼ す者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。ゴイムには知 らされていない秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせないようにしなければならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落 差が悩みの元にならないように、万人に実地をもって示そうと思う。この知識を完璧に身に付けたあかつきには、人々は進んで権威に服従し国家に指示された仕 事を受け入れるであろう。現状の知識とわれわれが人民を育成してきた方向からいえば、印刷されたものを鵜呑みにし・・われわれがかれらに誤りを吹き込んで きたためと、彼ら自身の無知のおかげとで・・これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは階級と身分の意味を全く理 解していないことから来ている。 

 この憎悪は、〝経済危機〟の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。われわれは、自 分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国 の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りに あげ、連中の財産を略奪できるだろう。 

 彼らは〝われわれのもの〟には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っているのはわれわれであり、われわれは財産を守る手が打てるからである。 

 われわれは進歩こそがすべてのゴイムに理性の支配をもたらすだろうと強調してきた。われわれの専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。 

 一般大衆はあらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っていると思い込み、怒涛のように襲いかかった が、盲人の習いでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、われらの足下に全権をゆだね てしまったのである。フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのはわれわれであった。その準備が秘密裡に行われたことを、われわ れは熟知している。あの革命は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。 

 その時以来、われわれは人民を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、彼らは、われわれが世界のために準備している、シオンの血を受けた専制君主に、われわれにも頼らずしても賛同するに至るはずである。 

 今日、われわれは多国家にまたがる勢力として無敵である。何者かが攻撃しようとも、われわれは他の国家に支援されるからである。ゴイム人民の底 無しの無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが、弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく、罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしな いが、思い切った専制者の強圧に対しては殉教者のように耐える・・われわれの今日をあらしめたのは、[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。 現在の首相という専制者のもとでゴイム人民は呻吟しているけれども、かつてならその何分の一かの権力乱用でもあれば、王の二十人ぐらいは打ち首にしたであ ろう。 

 この現象、同じ性質の事象と見えることに対する人民大衆のこの矛盾撞着はどう説明したらよいのか? 

 ここには厳然たる事実がある。現代の専制者たちは彼らの代理人を通じて、人民に向いこうささやくのである。権力をこういうふうに使えば、国家に は害を及ぼすけれども、崇高な目的にはかなっているのだ・・人民の生活保護、国境を超えた人民どうしの友情、連帯、平等の権利という目的には。言わずもが なのことではあるが、彼らは、これらすべてはわれらの統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。

 かくて人民は正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、人民はあらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。 

 「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせ た。このため、われわれがわれらの王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、われわれは、目に触れる辞書か らは抹殺するであろう。 

 獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければ彼らは眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。【転載終了】


環境問題のウソ!!

2007-12-30 14:40:31 | インポート

すべては、政治経済の壮大な企みの中にウソは創られる!! 

</object>  アル・ゴアは原子力原料のメーカー経営の一族である。
 本人は、アメリカ一般人の数倍の電力を費消する邸宅に住んでいる。追求されたら、『排出権』を購入していると、冗談で流したが、流石に『不都合な真実』にまずいと思ったか、後でソーラーシステムを導入した。
 温暖化が喧伝されると、原子力発電が促進される。排出権市場という投機市場が創出される。それが狙いだ。要するに、いつまでもエネルギー支配権を独占したいのだろう。それと同時に、賭博場を開設して、富の収奪を図るのが、彼らの世界支配戦略だ。

 武田先生の歯に衣を着せぬ批判は、傾聴するに値する。温暖化のみならず、ダイオキシン、廃棄物、リサイクル問題のウソ批判には溜飲が下がる。
 環境を考えることは、必要だ。しかし、その裏で、利権が先行した企みがあることも忘れてはならない。


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!②

2007-12-30 12:17:24 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第一議定書要約 Photo_2

 【要約開始】きわめて、簡単に要約する。要するに人間の統治は力以外ではあり得ないと断定する。であるから、シオニストユダヤ人がリベラリズム を創作して、「自由・平等・友愛」思想を啓蒙した。それまでの統治機構を破壊し、今日の民主政体が生まれた。しかし、彼ら(シオニストユダヤ人)は 裏に隠れて、金力で支配しているから、民主主義などは豚小屋と同じで、政府は豚小屋の番人にすぎない。番人は、彼ら(シオニストユダヤ人)が、金力=権力 をもって自由に取り替えることが出来る。
 
「自由・平等・友愛」など、何の根拠もないバラバラな思想であって、実質的な権力は薄弱であるので混乱を収めることは出来ない。のみならず、 彼ら(シオニストユダヤ人)はエージェントを使い、群衆にアルコール(麻薬etc.)・情欲・金銭欲に駆り立てて、独創性を削ぐから、政治的指導者も生ま れない。さらに、暴力とテロを煽り、あげくは戦争を誘発させ恐怖を醸成することによって、最終的には彼ら(シオニストユダヤ人)に泣きついて、統治権を明 け渡すようにし向ける。【要約終了】

 まさしく、現代の世相そのままではないか。歓楽、ドラッグ、SEX産業、テロ、そして戦争(テロとの戦い)その先にあるグローバリズム、世界統一政府、One World Order。
なんと驕り高ぶった考え方であろうか。彼ら(シオニストユダヤ人)こそ、選民であると云っている。

 そして第二議定書は語る。もはや、要約は必要ない。具体的にその手法を明らかにしている。驚くほどこれまでの近代史を言い得て妙である。

【転載開始】『シオンの議定書』第二議定書

  われわれの目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれ ば、戦争は経済に基盤を置くようになり、各国はわれわれの支配の強力さを思い知らされるであろう。また、当事国は双方ともわれわれが国境を越えて放った代 理人団の思うがままに操られるだろう。私個人にはどんな制約があろうとも、かれらが百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれないなどというがな い。世界にまたがるわれわれの権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、わ れわれの権利が正確に各国を律するであろう。 

 われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろ う。それゆえに、彼らが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある将棋の駒となるのは容易である。 諸氏もご存知のように、これらわれらの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、われらの政治計画に必要とする知識を体得しているの である。ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく、空理空論に走る。ゆえに、われわれは彼らに一顧 も与える必要もない・・時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き 思い出にひたらせてやろうではないか。彼らには、われわれが〝科学が説くところでは〟(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうでは ないか。われわれが一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させているのは、そのことが目的である。ゴイムの知識人たちは、彼らの知識に いい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。その知識たるや、われらの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手な づけてわれわれが望む方向に赴かせんがために、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。 

 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただきたい。われわれが仕掛けたPhoto_3 ダーウィン主義、マルクス主義Photo_4 、ニー チェ主義が、いかに功を奏しているかに注目していただきたい。われらユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことを 直視すれば、事は明白であるはずである。

 

Photo_5 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避けるためには、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要である。われ われの方式は、われわれが遭遇する人民の気質に応じてさまざまに仕組みの組み合せが案配されるけれども、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約するこ とを怠れば、この方式の勝利はおぼつかないだろう。


 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、
新聞である。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられ ることを指摘し、人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイム の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、新聞はわれらが手中に落ちた。新聞を通じて、われわれはその背後にあって、影 響力を行使した。ヴァイスマン博士Photo が、われわれが血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力がわれらの手中にあることを知悉していることは他 言を要しない。われわれは、あまたの同胞を犠牲にしてきたけれども、十分に報いられている。わが方の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、ゴイム一 千人に相当するのである。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!①

2007-12-29 11:08:36 | シオンの議定書

『良い結果をもたらす嘘は,不幸をもたらす真実よりいい。<古代ペルシャの諺>』

 はたして、表題の諺の意味するところは何であろうか。よく似た諺に『嘘も方便』と云うのがあるが、それと同じだろうか。良い結果とは何か。?  例えば、末期ガン患者に病名を隠すことを『嘘も方便』として、一般には認識しているが、是非はともかくとして程度において許される話である。しかし、ここ で言う嘘は偽善であって、良い結果というのは一部の奢り高ぶった人間にとっての結果である。
 すべての人々にとって、永い時をスパンに考察すると、『真実』こそ良い結果をもたらすモノである。私が、もし末期ガンになったとしたら、真実 を告げられることを選択する。仮令厳しい事実であっても、それが『真実』であるならば、受け入れなくてはならない。もし、嘘をもって一時的に安心を得て も、その後の人生が不実のまま経過する。それは永い時のスパンに於いて、不幸である。

 世の中に、真実よりも多くの嘘がまかり通るのは、この辺りの認識にあるのではないだろうか。今から、20年前、『シオンの議定書』という怪文書 を全文目にしたとき、驚いた。まさしく、現代の縮図がそれに書かれていたからである。あれから20年たった。一層その事は色濃くなっている。

 【転載開始】この
 『シオンの議定書』は『シオン長老の議定書』とか『ユダヤ・プロトコール』とも呼ばれています。1897年8月29日~31日 にスイスのバーゼルで、政治的シオニスト運動の国際組織「世界シオニスト機構」が創設された第一回シオニスト会議が開かれました。その席上で、ユダヤ人の 秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが発表した「シオン長老作成の24項目の決議文」が流出したものであるとされています。

 これがのちに
『シオンの議定書』という通称で世界的に翻訳され、「ユダヤ指導者による世界を裏面から操りながらのユダヤ王国再興世界支配計画が 明らかにされた」と物議をかもしだしました。ヒットラーは、この文書の内容をユダヤ人迫害の最大の理由づけにし、ホロコーストを起こす大きな要因にもなっ たとされています。

 現在、通説的には、
『シオンの議定書』は1900年代初頭、ロシア政府のユダヤ人弾圧を正当化し、当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐 殺)を煽動するためにロシア帝政内務省の秘密警察の手の者によって書かれた偽物であるという説が有力です。しかし、この議定書は「偽書であっても内容は本 物」という評価もあり、その真偽は定かではありません。(後略)【転載終了】出典:日本人が知らない 恐るべき真実http://www.222.co.jp/blog/blog.aspx?id=3759&; amp; amp; pg=0& amp; amp; ref=B13953

 この
『シオンの議定書』を全文掲載し、要約及び注釈を加えることにより、今時の世界とそれに切り離すことの出来ない身近な社会問題、各個の人生 の行く末に警告を発したいと思う。相当長い文書である。且つ、難解でもある。解釈もいろいろあろうとも思う。それはそれで結構である。それぞれの立場で、 まず接することがより大切と信じる。
 
 ここで云うユダヤ人とは、主としてアシュケナジーユダヤ人のことで、セム系のユダヤ人スファラディーユダヤ人のことではない。聖書に出てくるユ ダヤ人はスファラディーユダヤ人で、今世界の政治経済を牛耳っているのはアシュケナジーユダヤ人である。別名ハザール(カザール)ユダヤ人とも云う。改宗 ユダヤ人である。約1,000年前、ユダヤ教に改宗したハザール(カザール)人の総称である。シオニストユダヤ人はこれが主体である。

【転載開始】
『シオンの議定書』(第一議定書)
 美辞麗句はさておいて、ひとつひとつの思想の意味を語ろうと思う。われわれを取り囲むもろもろの事実に比較と推論の光をあてようと思う。

 ここに私が提案したいのは、二つの視点、われわれ自身の視点とゴイム(すなわち非ユダヤ人)の視点から見たわれわれの体系である。

 悪い本能をもった人間の数は、善い人間の数をはるかにしのぐ。私は指摘しなければならない。かれらを統治するには、学者ふぜいの論議によってで はなく、暴力とテロリズムによって達成することが、最良の方法である、と。どんな人間も権力をめざし、誰も彼もができることなら独裁者になりたがる。わが 身の利益を手中にすることを抑えて、万人の利益のためにわが身を犠牲にしようという者は、めったにいるものではない。

 人間という名の猛獣を抑えてきたのは何であったか。今まで彼らを牽引してきたものは何であったか。
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 社会の仕組みが始まった頃には、彼らは残忍で盲目的な力に服した。後には、法律に服した。法律も同じく力であり、仮面をつけた暴力に過ぎない。私は、自然法則に従って、権利は力の中に横たわっていると結論する。

 
政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない。が、政権をもっている党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつけ る必要があれば、その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、相手方が自由思想、いわゆるリベラリズムに感染していれば、そして、思想のため になら喜んで全力を投げうつつもりがあるならば、仕事はさらにやりやすくなる。この場合には、われわれの所説が勝利することは目に見えている。支配の手綱 が緩められると直ちに、新しい手に手綱が執られるのは、自然法則のおもむくところである。国家は盲目な力であって一日たりとも指導者なしにはすまされず、 新しい権力者は単にすでにリベラリズムによって弱められた前任者の地位に座るだけだからである。

 われわれの時代には、リベラルであった支配者の位置にとって代るのは金力である。かつては信仰が支配した時代があった。自由思想は誰ひとりとし てほどよい使い方を知らない。ゆえに、実現不可能である。人民を無秩序な群集に一変させるには、かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬 間から、共食い闘争が勃発し、階級間戦争に発展し、その真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、かれらの権威は一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるかでは・・どのみち、その国は回復できず滅亡するほかはない。その時こ そ、われらの出番である。完全にわれわれの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なくかれらはそれに縋りつかなければならな い。拒めば・・底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを不道徳であると言うならば、私は次の問いを投げ返したい・・どの国も両面の
敵をもっている とする。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるな らば、さらに悪質な敵、社会と福利の破壊者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳かつ許しがたいと呼ばれなければならないのか

 愚にもつかぬものではあっても反対とか批判とかはありうるし、うわべのことにしか理性の力が働かない人民は、反対ということを喜ぶものである。 かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けを借りてう
まく大衆を導く希望をもてるのだろうか? もっぱらあさはかな情熱、つまら ない信念、習慣、伝統、感傷的な理論だけに囚われている間違いだらけの人々は、党派根性にとらわれる。そうなると、完全に理の通った議論を基にしたどんな 合意をも妨げる。群衆の解決というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという 奇妙な解決を出航させる。

 
政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではないから、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は・・われわれが 所有する新聞に感謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。率直とか正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政 治にとっては悪徳である。それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力を持つものなのである。そのような資質 は、ゴイムの王国の属性でなければならないが、われわれは決して彼らの轍を踏んではならない。

 われわれの権利は力の中に横たわる。〝権利〟なる言葉は抽象的な思考であって、なんら具体性はない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない・・わが欲するものを我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために。


 権利はどこから始まるか? どこで権利は終るか?

 権威の仕組みが薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも、私は新たなる権 利を行使できる・・強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉砕し、すべての機構を再構築し、リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残 された彼らの権威ある権利継ぐ王者となる。

 すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせな い強さに到達する瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざるをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現 する。この善は、自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組みを平常の状態に修復するだろう。結果は手段を正当化する。しかしながら、われわれの計画 においては、必要と有効なこ
と以上には、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。

 われわれの前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたるわれわれの辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。

 満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、彼らの理解力の欠如を考慮に入れ、彼ら自身の生活状況、あるいは 彼ら自身の福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理 解しなければならない。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢者であったとしても成上がり者であり、政治を理解する ことはできず、指導者として前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の基本を成 り立たせているABCを理解することができるのである。


 人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名誉を追うあまり党派間の軋轢と、そこから生ずる無秩序状態に自滅 するのが関の山である。人民群集が穏やかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言い立てずに、個々人の関心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可 能だろうか? 外敵に対して自分自身を守ることが可能だろうか? それは考えられない。群集の頭数と同じだけバラバラになった計画が、一切の同質性を失っ て理解を絶し、実行不能となるからである。

 全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに、大規模かつ明確な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことか ら、どんな国でも申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるという明白な結論が得られる。
絶対的な独裁なしには、その人 が誰であろうとも、群集によってではなく彼らを指導することによって遂行される文明の存在はありえない。群集は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮 さを発揮する。群集は自由を手にしたとたんにいち早くアナーキーに転ずる。アナーキーそれ自体は野蛮の最高の段階である。

 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物ど
もを見よ。自由が彼らに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族 の歩む道ではない。ゴイムはアルコール飲料に酔いしれ、彼らの若者たちは因習陋習とごく若いうちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落 は、われわれの特別な代理人・・富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によって、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たち によって手ほどきされた。彼ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく。

 われわれの合い言葉は・・力と偽善である。特に力が、政治家に本質的に必要な才能の中に隠されているならば、力のみが政治的諸問題を克服する。 暴力は原則でなければならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府に対しては欺瞞と偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に 達するための手段にすぎない。それゆえに、われわれは、
目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。政治の上では、支配 権を握って屈伏させるためならば、躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。

 平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は、
盲目的な服従を強いるために恐怖を維持する必要から、目につかないけれども効果のある死刑宣告 をもって戦争の恐怖にとって代える権利を持っている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつける最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわ れの義務としても、また、勝利のためにも、われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさ ず強力である。それは手段そのものであるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざまづかせる厳格な教義なのである。われわれ は容赦なく不服従というものを根絶することを、十二分に思い知らせる。

 はるか以前の時代に遡れば、われわれは人民群集の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人間であった。以来、幾度となく愚か なオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の福利と、以前は群集の圧力に対してよく保護されていた個々人の真の自由を、この餌をもって破砕し 去った。ゴイムのうちの賢者になりたがり屋ども、知識人たちは、もともと中味のないこれらの言葉から何も作り出すことができなかった。これらの言葉が意味 するものと相互関係とを否定することには考え及びもしなかった。どこをどう見ても平等はなく、自由などありえず、自然そのものはその掟に従わせるように作 られているのと全く同じく、気質、性格、能力が不平等に作られていることを見なかった。群集が盲目であること、支配を頼むためにその中から選挙された成り 上がり者は、政治に関しては群集と全く同じく盲人であること、政治の奥義を授けられたる者は多少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとし ても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった・・これらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。しかも一 貫して王朝支配が保たれたのは、これらの奥義に依ってきたからである。王室以外の者や統治される者には誰にも知らされない政治統治の奥義は、父から子へ一 子相伝で伝えられたのである。時代が過ぎ、政治の要諦を一子相伝する意義が失われた。これこそ、われわれの主義を成功に導く絶好の機会であった。

 地球のいたる所で、われらの盲目の代理人
たちのおかげで、「自由・平等・友愛」という言葉が、われらの旗を熱狂的にかざす大群を、われわれの隊 列に引き入れてくれた。これらの言葉はまた常に、ゴイムの福利に穴をあけ、いたる所で平和、安寧、協同に終止符を打ち、ゴイムの国家の基礎を破壊する生き たエダシャクトリ[果樹の害虫]であった。後に述べるように、このことがわれわれの勝利を助けた。とりわけ、われわれが切札を手中にする可能性をもたらし た・・特権の破壊、言い換えればゴイムの貴族支配の存在そのものの破壊である。唯一、人民と国とを守るこの階級は、われわれに敵対したのである。ゴイムの 血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた所に、われわれは、金力の貴族が主導する、われらの教育を受けた階級を貴族として樹立した。われわれはこの貴族政 治の特徴を、われわれ自身のものである富と、われらが学識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立した。

 われわれの勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。好ましい人物たちとの関係を保つことによって、われわれは
常に人間の心の琴線に触れ、金銭 欲に、貪欲に、人間のあくことを知らない物質的欲望に働きかけた。言うまでもなく、これら人間の弱点のひとつひとつには、独創性を麻痺させる効果がある。 この弱点のゆえに、かれらの行為に金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねるのである。

 自由という言葉の抽象性のゆえに、われわれはすべての国の群集に、
彼らの政府は国の所有者である人民のための豚小屋の番人に過ぎないのだ、番人は破れた手袋のように取り替えていいものなのだと説きつけることができた。

 人民の代表は取り替えられるものなのだ、ということは、われわれが自由に利用できるということであり、言うなれば、任命権をわれわれに預けたことになるのである。【転載終了】
以後、24回、今回の要約・注釈付きで不連続掲載
 


ブット・パキスタン元首相の暗殺の真相!!

2007-12-29 10:28:38 | ニュース

きっと、そんなことだろうと想っていた!!

 真相は、間違いなく綿花(ヘロイン)がらみ
 だ。そんな折、得心のいけるブログがあったので転載する。
Photo_3
【転載開始】You are screwed(あなたはだまされている)2007年12月28日 (金)http://gabrico-ovalnext.cocolog-nifty.com/blog/
  ブット元首相が銃撃された後、自爆テロ、そして、アルカイーダの犯行声明といういつも通りのシナリオ。しかし、それでは世界は騙せなくなってきたようだ。

「今日は冬至」で、ブッシュ翁の暗殺対象になっていると指摘したTOM HENEGHAN氏の2007/12/27付けブログ。

ASSASSINATION OF FORMER PAKISTAN PRIME MINISTER BENAZIR BHUTTO TIED TO ISRAELI MOSSAD AND THE BUSH-CLINTON CRIME SYNDICATE
http://blog.myspace.com/tom_heneghan_intel
(引用)
Benazir Bhutto former Pakistani Prime Minister ASSASSINATED
It can now be reported that the Israeli MOSSAD and elements of the Bush-ClintonTRUE COLORS& quot; assassination group are tied directly to the assassination of former Pakistani Prime Minister Benazir Bhutto.

By Way Of Deception Thou Shalt Do War.& quot;
Israeli MOSSAD motto

Buhto2 The assassination script was based on the same Israeli MOSSAD model that was used in the assassination of the late Egyptian President Anwar Sadat.
Note: A suicide bomber was used today as the diversion to disguise the presence of five shooters.

ASSASSINATED Benazir Bhutto
Bhutto was ready to publicly accuse the Bush Administration and current Pakistani President Pervez Musharraf of stealing up to FIVE BILLION dollars from the Pakistani treasury.
Bhutto had privately confronted U.S. Treasury Secretary Henry Paulson for hiding the funds at CitiBank in New York.
Bhutto was also ready to confront former U.S. Secretary of State Henry Kissinger and elements of the Israeli MOSSAD-ridden American-Turkish Council as 9/11 co-conspirators.
(引用終わり)
Photo_2
ここでは、ブット元首相の暗殺は、モサドとブッシュ・クリントンの暗殺グループ「トゥルー・カラーズ」が行ったとしている。台本はエジプトのサダ ト大統領暗殺をベースにしており、5人の射撃犯を隠すために「自爆」テロが装われた。だいたい、ブット元首相は射殺されており、本来そのあとに自爆テロを 行う必要はない。

暗殺された理由としては、ブット元首相が
1. ブッシュとムシャラフがパキスタンから50億ドル盗んだことを公けにしようとしていた。
2. ポールソンがニューヨークのシティバンクでの資金隠匿(ワンタ資金のことか?)したことについて個人的に争っていた。
3. 911の共同謀議者であるキッシンジャー、モサドに乗っ取られたAmerican-Turkish Council と争う準備をしていた。

どのように「争う」のかよく分からないが、一応こういう指摘もあるということで。

また、これも気になる。
これは11/2のブット首相のインタビュー。
<6分以後、オサマ。ビンラーディンが殺されたと発言>
http://www.youtube.com/watch?v=oIO8B6fpFSQ【転載終了】

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