最終回である!!
ご愛読に多謝!
これを機縁に、『不思議な少年』の転載残り再開も・・・。
再び、元のつむじ風ブログに復帰する・・・
この転載機会を頂いた訳者小坂 真理さんに感謝!!
いよいよ、『別れ』である。今回はイエスの双子の魂(多分・・転載者妄想)が登場する。あるいは、著者の魂の分身かも知れない。
それは分からないが、究極のところ魂は全てが兄弟・姉妹なのである。同胞である。一つである。
<これまでの写真はk.yukaさんより許可掲載>
何故なら、全ての魂には、同じく神(仏心)を抱いている。神の化身と言うが、全ての魂は神の化身でないものは居ない。神の子というのは、全ての魂のことである。
だから、本質的には、同根なのだ。同魂でもある。
しかし、全てに個性がある。その意味では、天上天下唯我独尊でもある。宇宙に唯一の個性であり、それは二つとはない。そして、尊い。
一見矛盾に見えるこの世界は、創ったものではないと本当のことは分からない。分からないが、それはそれとして、無限の進化を約束された世界が存在する。
それを知ることは有意義である。そして、それを歩むのは決して一人でないのである。又、それを企図したのは、他ならぬ自分自身であると言うことだ。そのことが基本だ。只、少し、忘却しているに過ぎない。
<これまでの写真はk.yukaさんより許可掲載>
誰でも、これまでの来し方は分かる。未来は分からない。来し方が分からないのは、故在って、忘却している。しかし、目覚めることは有るのだ。
未来は、約束されている。回り道をするかも知れないが、永遠の時を計りにすれば、たいしたことではない。未来は分からないが、とても大きな、素晴らしい事が待ち受けているように思われる。
そう考える方も多いであろう。私もその一人である。未来は永遠である。そして、魂は不死である。死んでも無駄だ。消えることなど有りはしない。
なら、共に明るく、希望を持って生きていこう。そして、大事なのは勇気である。全ては、自分から始まる。
さて、これからは私見である。尤も、転載文以外は全て私見ではあるが、勝手な意見という意味である。
人生はドラマであろう。但し、そのシナリオライターは、自分自身だ。自分の本体、魂と呼ぶ方が正確であろう。そして、主演は自分である。
回りは、友情出演してくれる縁ある魂達である。悪役もおれば、そうでない人々もいる。その中で、学びの場を演出しているのだ。只、真剣勝負だ。場面は単なるセットではない。本物の雨も風も、本物の血もある。
<これまでの写真はk.yukaさんより許可掲載>
そこで、見事に演じきることが出来るか試されている。迫真の演技は智慧を蓄える。思いを知る。そして、魂を進化させるのである。そのシナリオを自ら書いていることを知ろう。
そして、
思い切り演じよう。監督助監督も必ず指導してくれている。それが人生である。
「魂の法則」転載を終わる。
尚、全文を読むには、日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.esで、ダウンロードできる。
題名: 「魂の法則」
スペイン語原題: “LAS LEYES ESPIRITUALES”
著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ
邦訳: 小坂 真理
知的財産権登録番号 V-2095-08 (Valencia, España)
Copyright © 2008 Vicent Guillem Primo
Japanese Translation Copyright © 2013 Mari Kosaka
ホームページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/
日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es
メールアドレス:tamashiinohousoku@gmail.com
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.es_ES
「魂の法則」 by Vicent Guillem is licensed under aCreative Commons Reconocimiento-NoComercial-SinObraDerivada 3.0 Unported License. Creado a partir de la obra enhttp://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/.
本書に修正を加えず営利目的にしない条件で、現在利用可能な全ての媒体によって、本書全体またはその一部の複製を許可するものとする。
【本文転載その最終回開始】
別れ
「今日は君をびっくりさせてあげよう」と、イザヤはある日、僕を見るなり言った。
「へぇ、何でしょうか?」
「今まで君がここにやって来た時は、いつも私しかいなかったね。我々は、そのほうが、君がもっと気楽に質問をし易いと思って、そうしていたのだ。だが、ここが、誰も住んでいない孤独な場所だとは思って欲しくない。君はもう、私を信頼してくれているし、この世界にも馴染めたので、他の者を紹介してもいい頃だと思うのだ。ついておいで。皆に紹介して、君に会いたがっていた友人と少し話をしよう」
そしてどうやったのか分からないが、僕たちは、その景色の上を飛び始めた。
上空から、その素晴らしい景色を眺めることができた。
緑の美しい谷に点在した、半球体の小さな建物が見えた。何だろうと質問しようとして口を開く前に、イザヤが「我々の家だよ」と答えた。
集落の中心には、ガラス張りに見えるもっと大きなピラミッド型の建物があって、そこから輝くばかりの白い光が出ていた。「あそこが、瞑想をするために集まる場所だ。我々は、霊的な教えを授かるために高次の惑星とテレパシーで通信し、後進の惑星とも、全人類に愛の教えを伝えるために交信するのだ」と、イザヤが言った。
そして、その内部に入ると、完全に透明な壁を通して、中の様子を見ることができた。壇上に、輪を描いて座っている三十人ぐらいの人がいて、とても集中しているのが見えた。その瞑想では、各人がそれぞれの役割を担っているようだった。そのうちに、輪の真ん中に、二人の人の姿が形を現し始めた。一人は男性で、もう一人は女性だったが、非常に美しく、大変穏やかで心地の良い光のオーラに包まれていた。
二人は、そこにいる人達と熱のこもった挨拶をし、何らかの言葉を交わした後、僕たちに近づいて来た。以前、イザヤのまなざしは透き通り、深い平和と愛の感覚を伝えてくれると言ったが、この二人のまなざしはそれ以上に深く、天使のように思えた。
「こんにちは。私はベスタよ」と、女性の方が言った。
「やあ、僕はジュノーだよ」、男性が言った。「もう一度君に会いたいと思っていたんだよ」
「もう一度だって? 二人のことなど知らないのに。前に会ったことがあったとしたら、忘れる筈がないし」と、僕は思った。
ベスタ: 覚えてなくても、知らない訳じゃないのよ。
イザヤ: イエスのことが知りたかったんだろ? 二人は、イエスを良く知っているんだよ。知りたいことを聞いてごらん。二人は、私達とは長くいられないだろうから、時間を無駄にしないことだ。
イザヤ: 何も聞かないのかね? 恥ずかしがらないことだ。友達ではないか。
ベスタ: 思い切って質問ができないのなら、私が手伝ってあげるわ。イエスに、性関係も含めた全てを分かち合える女性の伴侶、つまり双子の魂がいたのか、を知りたいのよね。
なぜ分かったのですか? と、僕は顔を赤らめながら答えた。
イザヤ: この期に及んでも、我々が思考を読めることに気づけないのかね。だが、心配するに及ばん。誰にも言わんからね、はっはっは。
ベスタ: 私が答えてあげるわ。質問の答えは、はい、よ。イエスには、性も含めて全ての愛を共有できる女性がいたし、もちろん今でも、その完全に似通った相手がいるのよ。それにそれは、イエスだけではないわ。彼と同じか、それ以上のレベルの人間だけが住む世界も存在していて、そこでもパートナーや子ども、そして性関係があるのよ。これが、霊的に進歩すると異性愛を放棄することになるのか、というあなたの質問への回答になったかしら?
はい、とてもはっきりしました。
ジュノー: イエスが地上で、人生を共にする相手と巡り会えなかったとしたら、それは彼の双子の魂が、別の惑星で似たような任務を果たしていたから、その時期に一緒にいられなかったからなのだ。でも、その別離は一時的なものだった。
イエスは、彼より進化が劣った女性とは、一緒になる約束ができなかった。そうしても、その女性には彼の使命が理解できず、執着によってあらゆる手段で彼の任務の妨害をしたであろうし、彼を失うことで非常に苦しむ結果になったであろうからだ。
だがそれでも、彼が相手を探そうとしなかった訳ではない。若い時分は、まだ自己の使命を良く自覚していなかったので、イエスも大半の人と同様に、愛せる女性を見つけ、一緒になりたいと願ったことがあったのだ。
イザヤ: もっと質問をするかね、それとも、もう二人に帰ってもらってもいいのかい?
はい、いつも知りたいと思っていたのですが、イエスは、彼の後にできたキリスト教や教会について、どう思っているのでしょうか。
ジュノー: イエスがここにいたとしたら、次のように言っただろう。
教会や宗教を創る意図など全くなかった。まして、私の名・言葉・行いを使って創り上げた、私個人への信仰に基づく宗教など、なおのことだ。
キリスト教は、人間の感情や自由を非常に抑圧しているので、愛の手本を示すどころか、それと最もかけ離れたものになってしまった。
私を賛美し称賛してくれるように、と教えたことも頼んだことも決してない。神も、称賛を求めていない。神は、神自身が君たちを愛すように、君たちもお互い同士を愛して、幸せになって欲しいだけだ。
私は、単に愛の教えを伝えるためにやって来た。私の生き方でそれを実践してみせて、君たちがそれを手本にして教えを取り入れて、幸福への道を見い出せるようにしたのだ。
この愛の教えは、私個人のものではなく、霊的世界のもので、神から全人類への普遍的な教えだ。それを伝道したのが私であったことは、重要ではない。愛の叡智のある別の兄弟であったとしても、同じことなのだ。
私の名や神の名において、どれほどの非道・殺人・拷問・辱めが人類に行われたことだろう! 互いに愛し合いなさい、敵を愛しなさい、と何百回となく言わなかっただろうか? 私の信奉者だと名乗る者たちは、一体私のどこに、そのような愛に反する行為の口実を見つけたのだろうか?
愛の教えを世に示すふさわしい者になりたければ、祭壇や十字架や宗教遺物の前で、ひざまずくのは止めなさい。偶像を崇拝するのも、祈りを繰り返し唱えるのも、無意味な儀式も止めなさい。そのようなことをしても、愛ではないからだ。見返りを全く期待せず、威張らず、改宗させようとせず、謙虚に、苦しんでいる同胞に手を差し伸べるのだ。そうすれば、愛の使徒と呼ばれることだろう。
私が示した愛の教えの手本に従わない者には、誰一人として、私の名や神の名を語る権利がないし、私や神の信徒であると名乗ることもできない。そういうものは、自分のエゴに追随しているだけなのだ。
イエスが再び地上に生まれ変わったとしたら、人類になんと言うでしょう。
ベスタ: 最後に言ったことと、それ以前にやって来た時に言ったことと同じように「愛しなさい。お互いに愛し合うのだ。それだけが幸せになれるのだ。その他のことは、どれも重要ではないのだ」と言うでしょう。
僕の人生でずっと疑問に思っていたことの答えを知る機会が持てて、とても恵まれていると思います。お陰様で、僕は、心を開いて感情を表すことができるようになり、自分自身の鎧と抑圧から解放されました。助けていただいたお礼に、何かしたいのですか。
イザヤ: 何も感謝する必要はないよ。逆に、時間を割いて熱心に話を聞いてくれた君に、我々が感謝しているよ。愛において成長したいと思っている弟を手助けできたことを、幸せに思うよ。
それでも、お礼に何かしたいのですが。何がいいでしょうか。
ベスタ: 自分に、何がしたいのか聞いてみてごらんなさい。
あなた方から教わったことを他の人にも伝えて、皆で共有する必要があるように感じているのですが。もしかしたら、僕に役立ったと同じように、皆の役にも立てるのかもしれません。
イザヤ: それなら、君自身が自分の質問に答えているよ。君が知り得たこと、経験したこと、感じたことの全てを集めて、君の兄弟達に見せてあげなさい。彼らに、無条件の愛の教えと、霊的世界の真相を教えてあげられるようにするのだ。
でも、耳を傾けてくれる人がいると思いますか。
ジュノー: やろうと思うことを心からやってみること自体に、価値があるのだ。もし百万人に一人、このメッセージに耳を傾けてくれる人がいて、その人が感情を目覚めさせ愛の経験に心を開くことができたのなら、その価値はあったということなのだ。
霊性に目覚めたいとは思っているのに、まだ眠ったままの人が、この世には沢山いる。内面で感じていることが、空想の産物ではなく現実なのだよと、同意してあげるだけで充分なのだ。君たちの世界では、霊性に関する真実と虚偽とがまだ混乱を極めているので、外部の世界には、その真相がなかなか反映されないからだ。
でも、それをする能力が僕にあるでしょうか。
ベスタ: その能力があるのか、と問うのは止めなさい。全員に愛す力があるのだから、多くの人にその能力があるわ。
だけど、自分の日常生活での支障をいとわず、気楽さを放棄してまでそうしようと思う人は僅かよ。自分自身に、やりたいのか、やりたくないのかを聞いたほうがいいわ。したいと思うこと自体、すごい力なのよ。あなたにできないことは、私達が手伝ってあげるわ。いつも、あなたと一緒にいるわ。
メッセージの内容で、不快になって、僕に仕返しをしようと思うような人はいないでしょうか。
イザヤ: それは冒さなければならないリスクだ。誰も簡単だとは言っていない。皆が自分自身で覚醒できるなら、誰もこんな仕事をしなくてもいいだろう。
だから、君自身の中でどちらの思いが強いのかを、はかりにかけて見なければならない。他者を助けたいという思いなのか、君への否定的な反応を恐れる気持ちなのか。したくないことで義務づけられることなどない。することは全て、自分のためにするのだ。君が自由にそうするのであり、我々に借りがあるからとは思わないことだ。
ジュノー: かつては、愛の伝道者は、火刑にされたり磔にされたりしたのだよ。でもそんなことは君には起こらない。
誰かが君の言うことで不愉快になるのなら、喜びたまえ。君の言ったことの何かが、その人の内面に触れたということだからだ。魂と感情が
目覚めて抹殺されてしまうのが嫌な、その人のエゴに、火がついたのだよ。
イザヤ: さて、もう二人は家に帰るためにここを去らねばならない。君も、肉体に宿る者の世界に戻らなければならない。
ジュノーとベスタ: 友よ、また会う日まで。それまで、私達の愛の全てをこめて。
そして、皆で溶け合うように抱擁し合って別れたが、それは余りにも鮮烈な感覚を伴う体験だったので、僕は決して忘れることはないだろう。
イザヤ: では弟よ、また会う時まで。直ぐに再会できて、対話を続けられるといいのだが。我々の家族に、よろしく伝えてくれたまえ。
どの家族のことでしょうか。
イザヤ: どれだと思うのかね。全人類の家族にだよ。
終わり
作者のあとがき
見返りを求めない無条件の愛の趣旨通り、本書が、全ての人に無私の志で届いてくれることを切に願う。
そのため、内容を変更せず営利を目的にしないという条件で、本書を自由に頒布し、現在利用可能な全てのメディアによって、全体あるいは一部を随意に複製することをこの場で許可し、その活動を後押しするものとする。
皆の協力によって、輪が広がっていければと思う。霊性や愛のテーマに関して質問がある場合には、それが個人的なものでも一般的なものでも、遠慮なく聞いてもらえれば嬉しいし、可能な限り返事をしたいと思う。
また、できるだけ多くの人々にメッセージが行き渡るように、本書を他の言語に訳してくれる、私心のない人達にも協力をお願いしたい。
本の話を直接聞きたい人の数がある程度まとまって、君の町や村に僕らに行って欲しいと思う場合には、遠慮なくそう教えて欲しい。君の町や村が、他の国や別の大陸にあっても構わない。僕らのできる範囲で、要請に答えたいと思う。
講演会をしても、依頼者側の費用負担は全くない。完全に無私無益の活動なので、旅費や宿泊費も僕らが持つ。誰でも興味のある人が、自由に無料で参加できることが条件だ。
連絡先:
http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.es_ES
ヴィセント ギリェム・プリモ Vicent Guillem Primo
ウェブページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com
(日本語サイト: http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es )
このサイトでは、電子書籍の形態で無料で本をダウンロードしたり、印刷版を要請したり、講演会の日程を調べることが可能だ。
君に、愛の全てをこめて。また会うときまで。
本書は、全世界の人々に贈る愛のメッセージだ。
メッセージがどのようにしてもたらされたのか、また誰から伝えられたのかということは、重要ではない。問われるのはその内容だろう。
これをどう扱うかは、各人の自由だ。無視しても、批判しても、検証しても、あるいは君自身の人生に適用してもらっても構わないが、君の心に届くように、真心をこめて書いたつもりだ。
君が自分自身を知り、感情を目覚めさせてエゴを解き放つと共に、人生の目的を知り、自分に起きたことや今後起こる出来事を理解するために、役立てて欲しい。希望を持ち続け、他の人々への理解を深め、いつかは皆を愛せるように。また、自分が生きる世界を理解し、最も悲惨な状況からも最大の恩恵を引き出し、愛において成長できるように。
つまり、君が本来の自分になれて、自由で、自覚しながら真実の愛・無条件の愛を体験でき、そしてそれによって、更に幸せになってくれることを願う。
全ての愛をこめて。
「魂の法則」 by Vicent Guillem is licensed under aCreative Commons Reconocimiento-NoComercial-SinObraDerivada 3.0 Unported License. Creado a partir de la obra enhttp://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/.
著者、ヴィセント・ギリェムは、スペイン、バレンシア大学で化学博士号を取得し、現在は、がん遺伝子の特定に関する研究をしている。個人的に自由になる時間を使って、無償でレイキ治療や全国講演を行うなど、無私無欲に活動している。【本文転載その最終回おわり】