飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

最新の量子力学が魂・臨死体験の謎を解き明かす!

2016-07-20 19:05:44 | 魂の法則Part2

魂の存在を肯定するにしても、
量子力学で説明するには時期尚早かもしれないが・・・
そういう時代は間もなく訪れる・・・!
物心一如である。
顕れ方が違っているが、
全ては永遠に定量で存在する・・・?!

 

例えば、

下載の写真は、

とあるアメリカの高速道路である。

対向車線で出合ったトラックの運転手が、

交通事故の現場写真をパチリ!

 

後で驚いた事に、

昇天する事故死者の霊魂が、くっきり写っていたとされるものである。

Facebookに投稿された。

こうした写真は珍しくない。

3.11東北大震災でも荒れ狂う津波の波間に、

数多く見受けられた現象だ・・・。

 

 

霊魂とは何か?

霊(エネルギー)とその魂(器)である・・・。

魂は、魂魄(こんぱく)とも言われる。

魄(はく)とは、エーテル体とも言われる幽体のことだと認識する。

肉体をほぼ同じ形体を持つもう一段階次元を異にする半物質状態だろう。

肉体が亡くなって、

幽体離脱した瞬間であろうと思われる。

 

魂は段階があって、

さらにアストラル体、メンタル体・・・等各段階があるようであるが、

その詳細は神智学に任せることとして、

いずれも次元を異にする存在であろうと思われる。

これらは物質としては認識できないが、

量子存在としてアプローチ出来るという話だ。

 

量子は、

物質を構成する各段階の単位で、

陽子・中性子・電子といわれるものである。

この三つが同時に存在した状態は、原子であり物質である。

他に、ニュートリノやクウォークと言った量子も存在しており、

その数は無限だ。

 

その関係性は、

次第に明らかになってくるであろうから、

量子力学の進展は、

霊魂をアプローチする有力な観方になるかもしれない。

 

宇宙には、

これらが充満している。

真空だと思われている空間にも実は充満している。

エーテルといわれる存在は、

現在の物理学ではほとんど無視されている感があるが、

実は間違いで、

アインシュタインの理論はその誤謬の上に立っている、

見方がある。

 

実はエーテルは存在する。

量子は粒子であり、

波動であるとされているが、

実はエーテルこそはその媒質であらねばならないというのである。

ニコラ・テスラは一貫して、

エーテルの存在を認識していた。

 

すると、

光が30万キロ/秒であるが、

それよりも早い速度が存在するというのである。

テレパシーはそれよりも早く伝達する。

霊がエネルギーであり、

量子であるとすれば、

霊速は光よりも速いということが想像される。

 

量子が波動であるとすれば、

縦波(疎密波)は横波よりも速い。

地震のP波(縦波)はS波(横波)よりも速いから、地震速報が可能なのである。

電磁波にも縦波(テスラ波)と横波とされているが、

何故か縦波(テスラ波)は無視されている。

 

量子力学が、

それらを公正に解き明かすことが出来るだろうか?

 

ともかく、

霊魂への量子力学的なアプローチは、

始まったばかりである。

 

【転載開始】

死後、人間の意識は宇宙に大放出されている!? 最新の量子力学が魂・臨死体験の謎を解き明かす!

  我々は死んだらどうなるのか? 我々はどこにいくのか? 人類が古来から探求してきた課題である。肉体とは別に「魂」が存在するという考え方もあるが、なんと昨今、ついに魂の存在が量子力学的に解明されたという 情報を入手した。英・ケンブリッジ大学の理論物理学者ロジャー・ペンローズ博士と、米・アリゾナ大学の麻酔科医スチュワート・ハメロフ博士が唱える新説を見てみよう。

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イメージ画像:「Thinkstock」より


■魂は宇宙につながる量子コンピュータ!?

 ハメロフ博士は、脳死宣告を受けた患者の臓器提供手術の際に、驚くべき光景を目撃したという。

「大動脈が止められ、脳に血液が流れていない患者のモニターをチェックしたところ、脳のニューロン爆発的に活動していたんです!」(ハメロフ博士)

 ハメロフ博士は、脳の活動と意識との関係性についてペンローズ博士とともに研究を行い、驚くべき結論に至る。なんと「魂とは宇宙につながる量子コ ンピュータ」だというのだ。脳細胞の中には、マイクロチューブル(微小管)という管状の構造がある。複雑な解説は省略するが、これは細胞骨格の一種で、分 子レベルで情報を処理し、細胞をコンピュータのように機能させる役割を果たしていると考えられてきた。ところがハメロフ博士によると、マイクロチューブル は従来考えられてきたコンピュータとは性質が異なる「量子コンピュータ」として脳を機能させているのだという。

 量子コンピュータでは、「量子もつれ」と呼ばれる過程を利用して情報が伝達される。この「量子もつれ」は、2つの粒子が何の媒介もなしに同期して振る舞うという遠隔作用をもたらす。そして実際に、量子テレポーテーションとして数々の実験も行われている。つまり、ある場所でニューロンの活動が起きると、空間的に離れたまったく別の場所でそれに対応した反応が起き、瞬時に情報が伝わっているかもしれないのだ。

 ハメロフ博士は、「脳内の意識が『量子もつれ』によって、広く宇宙全体に存在する可能性もあります」とも述べている。

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イメージ画像:「Thinkstock」より

臨死体験の謎も解明!?

 また、この説によって「臨死体験」の謎も解明されるという。ハメロフ氏は、臨死体験と心脳問題の関連性について以下のような説を主張している。

「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっています。心臓が止まると、脳は量子コンピュータとして機能しなくなりますが、マイクロチューブル内に存在する量子情報である意識は破壊されず、宇宙全体に散らばります」
「患者が息を吹き返すと、散らばった量子情報は再び脳内に戻ってきます。そして、白い光を見た、亡くなった家族に会った、体を抜け出したと言うわけです。息を吹き返さなければ、量子情報は肉体から離れたまま、魂として存在する可能性もあります」

 つまり、量子情報が脳内と宇宙空間を行き来するのが臨死体験の本質である、というわけだ。そのため、心臓が止まった患者の脳のニューロン爆発的に活動していたのだという。


■精神のフィードバックループ

 インディアナ大学の認知科学者ダグラス・ホフスタッター博士も魂の存在を肯定している。ホフスタッター博士によると、

「人間は、まわりの世界をモデル化し、そのイメージで世界をとらえています。たとえばコショウ入れは、ちらっと見ただけで、それがコショウ入れであることを認識します。心の中に、すでにコショウ入れのモデルが存在しているからです」
「私たち人間は、まわりの世界に存在するものだけでなく、自分が何者かという概念まで、心の地図に組み込んでいます。たとえば、自分の肉体的な特徴。ユーモアのセンス。バスケットボールのうまさ。そういったさまざまな要素を反映させて、自分が何者であるかという概念を作り上げるんです」

 ホフスタッター博士は、このような行為を「精神のフィードバックループ」と呼んだ。そしてこれは、人間のみならず、あらゆる生物が行っている。たとえば、ハチは太陽と巣の位置を知っているし、魚たちは入り組んだ海流の中を進み、ゴリラは群れの序列を覚える。たしかに人間以外の生物にも魂があるのだが、博士によると「生物によって魂の大きさの違い」はあるとのことだ。ちなみに、魔女である筆者はクライアントから「ペットとチャネリングしてほしい」と頼まれることも多いが、確かに動物にも魂はあるようだ。しかしそれは、人間より原始的なもので、複雑な情報を伝えるのは難しい印象を持っている。

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イメージ画像:「Thinkstock」より

■人口知能にも魂が宿る!?

 魂の謎を解明するため、昨今では人工知能AI)を用いた実験も行われている。ジョージア工科大学の神経工学者スティーブ・ポッター氏によると、

「人工知能が、いずれ意識を持つ可能性があります。人工知能も、環境から情報を受け取り、環境を意識しています。別の生物のニューロンを参考に、さらに複雑なシステムを作り上げれば、人間に近い意識を生み出すことも可能だと思います」
「しかし、私が目指しているのは、人間の意識の完全なコピーです。たとえば、私の意識のコピーを別の肉体に移植したら、会った人が私自身だと思い込んでしまうようなレベルのもの。そんな意識を作り出す方法は、まだ見当もつかない状況です」

 魂を人工的に作り出し、意識をコピーするまでには、もう少し時間がかかりそうだが、この実験が成功したとき、いよいよ魂の正体が解明されるのかもしれない。


 1907年、アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルは、人が死亡する時の質量の変化から魂の重さを21グラムと発表した。この21gとは、果たして量子情報の重さだったのか? 今回紹介した説が正しければ、人間同士のテレパシーやチャネリングはもちろんのこと、UFOコンタクティのようにほかの星に住む生命とのテレパシーも立証できるかもしれない。今後の進展から目が離せない。【転載終了】


全く、その通り・・・!

2016-04-22 17:02:45 | 魂の法則Part2

それ以外に表現しようがない・・・。
宇宙はバイブレーション(波動)、
それに同調するかしないかは個々の自由だ!
直観で判断するしかない・・・。
全く、その通り・・・。

 

多くを書くつもりはない。

又、書くだけの背景もない。

全く、その通りという直観だけで掲載しておきたい。


 

又、本日、時間も余りない・・・。

悪しからず。


 

シャーマン・キーシャへのインタビュー①

シャーマン・キーシャへのインタビュー②「人生、地球学校での学び」

 


臨死体験!最終回 人生の目的は、最大限に自分でいること!

2016-01-03 11:27:06 | 魂の法則Part2

この臨死体験シリーズは、
各編に続きがある・・・。

表題と融合するには、
その続きを読み進めた方が早いだろう
・・・。
最終回である・・・! 
全編転載は中断したい・・・理由はコレ・・・。


縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

 

 

本編は、転載の転載である。


記事の転載に関わるポリシーは以下である。

拙ブログの転載に関しては、以下のとおり、ご自由にというわけであるが、

他所様の分については、そうも行かないが、

基本、勝手に転載させて頂いている。

抗議があれば、即、転載はやめる。それだけである。


参照:
引用開始:「私の本からの引用は出典あるいは出版図書名の引用という国際的な礼儀さえ守れば、引用された人がたとえ困ると思っても、勝手に 引用できるのは世界における常識です。だから、今後も、いちいち私の承認を得る必要は全くなく、好きなように勝手にやって下さい。悪用したと文句を云うの は日本のタコ壷の中の連中ですから、脱藩人間はそんなことは無縁だと思います。」藤原肇博士(1998年7月1日付の手紙から):引用終了


元来、転載を志すは、その記事の価値を認めているわけで、

評価しているのであるから、失礼には当たらないだろうと考えている。

又、

どなたでも公開ブログ記事を致す以上、

その拡散を希望しているものと推量する。

誹謗中傷するなら別であるが、

敬意を持って転載することに格別の罪の意識は感じないが、

人それぞれの考え方があるものである。


信書を暴露するのとは意味が違うのである。


切ブログは、そういう方針であるからお許しを願うしかない。

同時に、見解の相違には即従う所存である。


とにかく、

この臨死体験には、深く、感ずるものがあった。

そして、

「人生の目的は、最大限に自分でいること!」には深い共感を覚える。

尚且つ、

それでいて、共感しあえる魂の共有が実現するのだという確信が、

心を安らかさせてくれる。

 

 

 

今生の人生は、誰であれ、今生の幻影の賜物である。

その幻影は、

必要必然で、自らが選び取った人生だと思われる。

誰でもなく、自分で選びとったものだ。

それから簡単に逃れることは出来ないが、

学びも大きいだろう。


しかし、

幻影であることは変わりがない。

それは臨死体験をした人が、いみじくも語っていることであるから、

そうだともう。

誰でも必ず、今生の終わりを迎える。

その時、総括されるのも結構な話であるが、

今生でそれに触れることは、まさしく福音そのものである。


本編を最後まで読み進めてい頂ければ、

そのことを感じ取られ、新たな視野が開けることを疑わない。

 

【転載開始】

人生の目的は、最大限に自分でいること!

2013-07-05 06:18:01 | Cancer/Salud

 

昨日、訃報を受けた友人は、自分が乳がんになった原因がはっきりと
分かったので、あとは、これで手当てをしていくから大丈夫、と、最後に
skypeでチャットしていたとき、とても前向きでした。
5月の終わりですから、1ヶ月ちょっと前です。。。

その20日前くらいに、アニータさんの臨死体験のことを彼女に連絡を
入れました。
ブログとかを読むのがしんどいかも・・・って思って、英語のインタビューの
Youtube動画の検索結果を送りました。
彼女が、アニータさんの記事を読んだり、動画を見たかどうかということは、
分かりません。
私が出したメールやメッセージの返事は彼女から届きませんでした。。。
彼女のことだから、きっと動画を見たんじゃないかな、って思っています。
可能性があれば、とにかく、チャレンジする人だったから。。。
自分で調べて、自分で考えて、いろいろ行動していましたから。。。

彼女があちらの世界へ行ってしまったと聞いて、私の中で言葉に表現
できない変化が起こっています。。。
しいて言うならば、私の一部も彼女と共にあちらの世界へ行ってしまった
のではないか、ということ。。。
その一部というのは、私の中で、私自身がもてあましていた、ちぐはぐな
矛盾する思考の部分というか、もやもやしていたものなんです。。。
それは、彼女と知り合ってから感じていた、彼女の病気に対する考え方に
関しての理解しきれなかった部分というか・・・。

まぁ、それがどうであれ、今、私はこの世界に生きているということは
まだこの世界でやるべきことがあるのですから、彼女の分まで精一杯
しぶとく生き続けたいと思っています。
それが、私が彼女に対してできる、最大の供養になるのでは・・・と
感じています。。。




先日から、転載している、アニータさんの臨死体験の記事の5つめです。
『選択次第で、癒える・・・』『私たちは何でも変えられる!』
『あらゆる可能性は同時に存在している!』『自分が自分の最大の敵?!』
の続きになります。

【臨死体験で末期癌が消えた! ⑤ アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、日本語部分だけ転載します。。。

【転載開始】

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▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイト の
  英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。、
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
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臨死体験研究協会による アニータへのインタビュー [2]    (和訳: ゆうこ )
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【臨体研】  以前、「一体感」 ということについて話しておられましたね。
臨死体験をしていた時、
「あらゆるものとつながっている感覚、 『根源的実在』 とつながっている感覚があった」 と。
その感覚について、もう少し説明していただけますか?

【アニータ】  あの臨死体験のあいだ、わたしはあらゆるものとつながっている感じがしていました。
わたしはあらゆるものであり、あらゆるものがわたしでした。
これはとても説明しにくいんです。 説明する言葉というものが存在しないんですから。
本当は分離なんてないんだ…、分離の感覚は、わたしたちが肉体存在に入り、思考を通して
世界を見るために生まれるんだ…、という感じでした。

もっと言えば、「分離とは思考のことだったんだ」 という感じです。

そこにはすばらしい明晰さがあったのですが、それは思考の明晰さではなく、
思考でない何者かが 「気づき」 の働きをしているようでした。
そしてその何者かは、「思考こそが分離意識の正体であり、思考こそがわたしたちを
『根源的実在』 から分離させた原因だ」 ということに気づいていたんです。

そして、自我と思考は同じものだと感じられました。
だから、思考を超えたその意識状態では、自我もなく、執着もなく、すべてが一体でした。
あらゆるものに対して一体感が感じられました。

誰に対しても、何に対しても、差別も批判も全くありませんでした。
犯罪や病気は、みんな1つのことから起こるんです。
それは、心が 「根源的実在」 から分離して病気になったために起こり、
心がその分離をどうとらえるかによって起こるんです。

わたしたちは、思考の外に立つことさえできれば、何も問題がなくなります。
わたしたちは完璧なんです。
不完全さも思考の産物なんです。
批判もそうだし、何もかもそうです。

ところがわたしたちは、思考を始めた途端に、
分離についてあれこれ考え、理解しなければ、と思ってしまいます。
でも、すべての問題は思考から来てるんです。
本当は、わたしたちは思考じゃないんですから。

ただ、あの意識状態の時、わたしはあらゆるものと一体だと感じてはいましたが、
同時に自分を 「根源的実在」 とは別の一存在として意識していたようでした。
わたしにはわたし自身の進化過程があるのでしょう。
それは、「わたしにはこの個別意識があり、それは真実の自己ではないんだけれど、
わたしはそれをできるかぎり進化させる義務がある、
でも、わたしは思考の外に立って、その個別意識を眺めている」 という感じでした。

肉体の中にいる時は、わたしたちは個別意識の中にいて、外の世界を見ています。
そのため、すべてのものの個別感が、明白な、疑いのないものに思えてしまいます。

個人の問題も、世界の問題も、
みんな、思考を自分だと思っているために起こるんだと気がつきました。
それは幻想なんです。 個別意識というのは幻想なんです。

でも、わたしたちはいつでもこの幻想から目覚めることを選べるのだとわたしは思います。
そして、もし自分が目覚めれば、それが広がって、まわりの人たちも変わります。
そして、わたしたちはこの世で生を営みながら、幻想に巻き込まれないことも選べるんです。

幻想を幻想と知りながら、現象としての自分を表現していくことも選べるんです。
わたしは臨死体験をして以来、この幻想は、人間が造り上げたものに過ぎないんだと
感じられるようになりました。
個体意識が造り上げたものなんだと。

【臨体研】  ところで個体意識と言えば、テレパシーについてはどう思いますか? 
あれは、個体意識と個体意識の交信なんでしょうか?

【アニータ】  それはもう間違いなく、個体意識同士のものじゃなくて、個体意識を超えた何かだという気がします。
先ほど言ったような、存在同士の一体化であり、根源的実在との一体化だという感じがするんです。
その一体化が起こっている時、わたしたちは他の人たちとつながれるんだと思います。

わたしにとってはこんな感じです。
仮に、わたしがテレパシーであなたと交信できるとしましょう。
そこで何が起こるかというと、わたしは思考を止めて心を透明にし、
「根源的実在」 との一体化が起こる意識状態になります。
その時あなたも同じことをしています。
そうすると、言わば、あなたとわたしは両方から
「根源的実在」 のデータ・ベースにアクセスしてるような感じになるんです。

では、どうしてそれが個体意識同士の交信のような感じがするのかというと、
この3次元世界では、わたしたちは交信もアクセスも、個体意識のレベルでやっているからです。
でも、二人ともその 「根源的実在」 のデータ・ベースに同時にアクセスし、
その内容を、個体意識を使って交信しているのですから、同じ答が出ることになります。
だからわたしたちにはそれが個体意識同士の交信のように思える。
でも本当は、二人ともその答を 「根源的実在」 のデータ・ベースから得てるんです。
わたしには、そんな感じがしています。

そういうことがあるために、わたしはいつも執着心を整理して、
「根源的実在」 とつながれるようにしておくことが大事だと感じています。
そうすれば、自分にふさわしい人たちとつながれるようになります。
なぜなら、その人たちは自分と同じ明晰さのレベルにあり、
自分と同じようにそのレベルから 「根源的実在」 にアクセスするからです。

根源的実在とのつながりを閉ざしている人たちは、霧の中をさまよい、
同じ霧の中にいる人々と衝突し、ぎこちなく、もがきながら人生を送っています。

一方、目覚めた人たちは、透明で、霧の中にいる人たちの真ん中を通り抜けて行きますが、
その人たちにぶつかったり押しのけたりすることはありません。
なぜなら、そのエネルギーがとても透明で、軽いからです。
わたしにはそんな感じがしています。

【臨体研】  次にあなたの個人的な人生について、もうちょっと深く知りたいんですが、
過去の生き方とか、考え方とか、今はどんな生き方をされてるのか、とかですね。
それから臨死体験で、ご自分の現在の状態の原因がすべてわかったとのことですが、
そのことについてもう少し説明していただきたいのと、あとは、あなたの人生の特殊状況ですね、
たとえば生い立ちの文化的背景とか、宗教的信条なんかがあれば、それも話していただけますか?

【アニータ】  はい。 わたしは多文化、多言語の環境で育ちました。
両親はインド出身で、わたしはシンガポール生まれ、祖父母はスリランカに住んでいましたが、
わたしは香港で育ち、英国式の教育を受けました。

そして働き始めると、1つにはわたしの語学力のためもあって、仕事で世界中を旅するようになりました。
わたしはヒンドゥー教の家庭に生まれましたが、信者ではありません。
学校は多国籍で、同級生は、キリスト教徒、回教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、道教徒など、さまざま。
全くの無宗教の人たちもいました。
香港で育つと、宗教は人生の重要な要素ではなくなります。
香港には様々な文化が混在してるんですから。

宗教的信念というのは、香港では人それぞれが自分の人生の中に織り込むもののようです。
わたし自身は、特にどんな宗教も信仰してないんです。
まだ学校に行っていた頃、わたしは様々な宗教にさらされていたので、
どうしてそれぞれの宗教の間に明らかな矛盾があるのか理解できず、とても悩みました。
そして、宗教と科学の明らかな矛盾も理解できませんでした。

宗教の時間には生命の創造について1つのことを教わり、科学の時間になると、
同じテーマについて全く別のことを教わるのはなぜなのか、理解できなかったんです。
わたしは何年もその答を探し続けましたが、
満足のいく答は見つかりませんでした。

でもそれは臨死体験までのことです。 今ではもうそんな探求はしなくなりました。
すべての答を知ったわけではありませんが、もう探求の必要を感じなくなったんです。
死がわたしに、どうやって生きたらいいかを教えてくれたような気がします。

それはともかく、わたしは臨死体験で、自分が多文化を持つ人間であることの重要さに気づき、
なぜ文化の上でも教育上でも両極端 (東西文化の組み合わせ) にさらされていたのか
ということも理解できました。
もう本当に明瞭にわかったんです。

そして「生」 に戻るかどうかの選択を任された時、最初、「死」に進みたいと思いました。
あの意識状態では、こちらに残した愛する人たちへの執着は感じられなかったんです。
でもすぐに、こんな思い (気づき) が浮かんできました。
「今こそわかった! じゃあ、生に戻って、この新しい気づきと共に生きてみよう!」
そしてもう1つ明瞭にわかったことは、なぜわたしの (最高に素晴らしい) 夫がああいう人で、
なぜわたしたちは一緒に生まれてきたのか、ということでした。

そして、二人が一緒にやるべきことはまだいっぱいあり、
もしわたしが死を選べば、彼もすぐに後を追うだろう、ということもわかりました。
二人の目的はつながり合っている、という気がしたんです。
また、もしわたしが「生」 に戻らなければ、その時点まで成長したわたしのために
人生が用意してくれていた、たくさんの贈り物がふいになってしまう、という気もしました。

それは、言ってみれば、
「準備は終わった。舞台は整った。さあ、行って、自分の役をやろう」 という感じでした。
言葉は充分ではありませんが、まあそんな感じです。

【臨体研】  臨死体験で、前世がちらりと見えた、とのことですが、
あなたは輪廻転生というものを信じていますか? 
それはあなたにヒンドゥー教の背景があるからでしょうか?

【アニータ】  率直に言えば、わたしがあれをあんな風に過去世としてとらえたのは、
ヒンドゥー教の背景があったからでしょう。
でも実際には、あの意識状態で体験した他のすべてのことと同じように感じていたんです。
全部が同時に起こっていましたから。

だから実際には 「過去世」 というよりは 「平行して存在する世」 のような感じでした。
自分の未来も見ましたが、それもやっぱり現実のものだという感じがしました。
過去、現在、未来、それが全部同時に起こっていると感じられたんです。 
あの臨死体験には、わたし自身の理性でさえ、とらえにくい所がいくつかあります。

でも、わたしの思考力が拡大していけば、そのうちいつか説明できるようになるんじゃないかと思います。
それは、あの次元には時間と空間が存在しない、ということと関係があります。
そこで、あなたの質問に対する答ですが、あのことを本当に理解するには、
わたしたちの時間の観念を変え、時間に対する理解の仕方を変える必要があるような気がします。

あれは全然、わたしたちがこの世界で理解しているような
「連続した時間の中の人生」 とか 「連続した時間の中のできごと」 とかいう
感じじゃなかったんですから。



【臨体研】  あなたは 「幻想を超えた見方」 ができるようになって、
今、どういう人生を送っておられるのか、もう少し話していただけますか?

【アニータ】  わたしは幻想という言葉を使っていいものかどうか、迷うことがあります。
だってこの世に生きていれば、それは本当に確かなものとして感じられますし、
ほとんどの人にとってはそれが唯一の実世界なんですものね。
痛みを感じている人にとっては、それがただの幻想だなんて言われると、苛立たしい気がするでしょう。
でも、わたしはそういうことを言ってるんじゃないんです。

もっと状況に即して説明すると、こういうことです。
心に留めておいていただきたいんですが、わたしはあの意識状態の時、
時間も空間もない別種の世界に目覚めたという感じがしていて、
そちらから見ると、こちらの物質世界は幻想か夢のように見えたんです。

そこでは時間さえもが幻想で、時間というのは、3次元世界でわたしたちの理性が
情報を一列に並べて理解するために必要なものなんだ、という感じがしました。
そしてね、あの領域では、そこにレンガ造りの壁があっても、距離が離れていても、
わたしが必要な情報を得ることの妨げにはならなかったんです。
そして、過去、現在、未来という区別もなかったんです。
すべてのことが同時進行で存在してました。

でもわたしたちの理性は、そういうことを一列に並べて理解するために、
時間・空間という幻想を生み出さなければならないんですね。
あの時わたしは集合意識を超えた世界に目覚めた感じがし、
それまで生きてきた人生は、わたしの思いと思い込みが生み出した、ただの幻想、夢であり、
人類の集合意識が現象化したものだった、と感じられました。

Iそして、その覚醒した意識の中で、わたしは自分の癌も幻想の一部だということがわかり、
それはわたしの思いと、その時までわたしが 「自分」 だと思い込んでいた者が生み出したものだ
ということがわかったんです。

そして、「本当の自分」 は、完璧で、パワフルで、すばらしい霊的存在だったんだということが
わかりました。
また、地球上のどんな人も、他の人より精神的に高いとか低いとかいうことはないんだ、
ということもわかりました。
それはただ、その人が本当の自分自身に気づくかどうかということでしかないんです。

だから今、わたしの生きる道はただ1つ、それは、この世には許すべきことや裁くべきことは何もないんだ
それはみんな集合意識の思い込みによる幻想なんだ、という気づきを元にして生きることだという気がしています。
わたしは今、「神」 とは、わたしの内にあり、あなたの内にあり、
そしてこの地球上の全ての生き物の内にある、何かだと感じています。
だから、わたしたちは完璧でしかありようがないんです。

そこで、ご質問への答ですが、わたしは、この現象界は 「不完全さ」 というものを見るために
用意されているんだという気がします。
ことに、自分自身の不完全さをね。
でも、その幻想を超えて、自分自身の素晴らしさに気づき、それを表していけばいくほど、
自分の内にある完璧さがもっと見えるようになり、ますます素晴らしい人生が展開してきます。

まちがえないでくださいね。わたしは世界の中に完璧さを見ようと言ってるんじゃありません。
自分の中に完璧さを見ようと言ってるんです。
自分の旅それ自体の中にも、自分が何かに成っていくこと自体の中にも、完璧さを見るんです。
そうすれば、世界の中で生きる自分にそれが反映してきます。
そして人生がどんどん楽になり、自分もますます愛情深くなります。
わたしにとって、「幻想を超えて見る」というのはそういうことです。

【臨体研】  そこで次に質問したいのは、あなたの人生の目的についてなんですが、
それは、「肉体生命として、ただここに居ること」、「肉体生命として、自己表現をしていくこと」 だと思われますか?
それとも何かもっと他にありますか?

【アニータ】  わたしにとっては、人生の目的は 「存在すること」 です。
それは 「ここに居ること」 とは違います。 焦点の当て方が違うんです。
「ここに居る」 ということに焦点を合わせると、自分を見失ってしまうことがあります。
この現象世界には、他の人たちのバージョンの人生がいっぱいありますからね。
でも、「存在すること」 を目的にすれば、それは 「自分であること」 という意味だから、
自分バージョンの人生に従って (または自分バージョンの人生を創って) いくだけで
いいことになります。

わたしにとっては、それが本来の自分の自己表現になります。
わたしの人生の目的は、最大限に自分でいることです。
臨死体験をするまでは、わたしは人生の目的を外に向かって追求してました。
でもあの体験で、自分の外に在るものなんか何もないし、
追求すべきものなんか何もないんだということがわかりました。
ただ自分でいさえすれば、外面はひとりでに整っていくんです。

【臨体研】  あなたが以前やっていた 「人生の目的を外に向かって追求していく」 ということと、
今やっている 「ただ自分でいる」 ということの違いを、もう少し説明してもらえませんか?

【アニータ】  外に向かって追求していると、世界は競争で手に入れるべき、限りあるものに見えてきます。
そしてわたしたちは外面的な物差しで自分の達成度を測ります。
わたしは、そこに幻想があるという気がします。
「自分が自分であること」 には、供給量の限界なんかありません。
ふつう、わたしたちは、自分の存在価値を目標達成度で測っているようです。

でも、わたしはもうそんなことはしませんし、幸せな人たちは、そういうことはしていないと思います。
わたしが言いたいのは、見方を変えよう、ということです。
自分が金持ちだろうと貧乏だろうと、体に障害があろうとなかろうと、愛する人がいようといまいと、
他にどんな条件があろうとなかろうと、存在としての自分自身のすばらしさを見てみましょう。

わたしは今、自分自身でいることだけを心がけています。
わたしは今、自分の人生の創り主、自分の人生という作品を生み出す芸術家なんです。
もう外面的な競争のことをあれこれ考えるなんてことはしません。
わたしたちは一人一人がユニークです。 固有の特質や能力を持っています。
わたしがやらなければならないのは、自分でいること、自分らしさを表現することだけ。

本物の芸術家は、自分より上手に創造する者がいるかどうかなんて気にしません。
自分自身を表現することだけで忙し過ぎるし、表現すること自体が目的だからです。
自分の中に何かを発見し、その美をただ表現するだけ。
そうすれば世界がそれを楽しみます。

自分の内部の美をを見つけ出して表現すればするほど、
世界はそれを楽しみ、その喜びを返してくれるんです。
それが 「自分でいること」 と「 追求すること」 の違いです。

【臨体研】  あなたに起こったことは、誰にでも達成できることだと思いますか?

【アニータ】  はっきりとはわかりませんが、できるような気がします。
わたしは自分が「選ばれた者」だとか、地球上の誰よりも特別だという感じはしませんから。
じゃあ、わたしは、自分が体験したあの意識状態を 「再現する」 ことはできるでしょうか?
答は 「イエス」 です。
現に今も、その意識状態で日々暮らしている感じがしています。

他の人について言えば、一人一人がユニークだという気がします。
だから、情報の処理の仕方も一人一人違います。
理知的な人もいれば、創造的な人もいるし、科学的な人もいれば、宗教に答を求める人もいます。
わたしが言いたいのは、違っていていいんだ、ということです。
わたしたちはみんなユニークなんです。

わたしにはわたしなりの情報処理の仕方や表現の仕方がありますが、
それが合わない人も大勢いるでしょう。
わたしは 「わたしの人生」 という特殊条件の産物に過ぎないんですから。
でもね、人生情報の処理の仕方は色々であっても、それは自分を束縛したり、
人生経験を狭めたりするものじゃなく、自分に役立ち、自分を伸ばしていけるもの、
自分の世界観を広げていくものじゃないといけないと思うんです。

あなたの過去や現在がどんなものであっても、
考え方を変えると人生が変わり得るという可能性に心を開いてみてください。
わたしに起こったことについて言えば、そういうことが一人の人間に起こり得るものなら、
どうしてもっと起こり続けないはずがあるでしょう? 
どうすればわたしたちは集合意識にそれを受け入れることができるでしょう? 
どうすればそれを受け入れられるほどに自分自身を広げていけるでしょう?

<この⑤の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、
引用元のゆうこさんの記事をお読みになってください。>

【転載終了】

 

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臨死体験!その4 自分が自分の最大の敵?!

2016-01-02 21:01:17 | 魂の法則Part2

この臨死体験シリーズは、
各編に続きがある・・・。

表題と融合するには、
その続きを読み進めた方が早いだろう
・・・。
全編転載できないのは、別の理由のようだ・・・。


縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

 

その別の理由は、これ以上詮索しないで置くとして、

是非、続きを読みすすめて欲しいものだ。

 

「自分が自分の最大の敵?!」とは何か?

それは、読み進めてみて初めて分かる人にはわかるだろう・・・。


 

魂の法則とは、冷徹なものである。

同時に、

極めてシンプルである。

そこには、如何なる虚飾も言い訳も必要としない、

素の魂の思いが実現する世界である。

思いとは、エネルギーそのものであるという事がよく分かる編である。

 

思いの点検は、

何を扠置いても優先されなければならない。

知らず知らず、思いを実現してしまっている現実があるのだ。

良い場合も、悪い場合もその法則に狂いはない。

もし、

願いがあるとすれば、

その願いを素直に点検し、心からの思いとしなければならない。

そこには、

言い訳も、都合も、同情も必要としない、

厳然たるエネルギーの法則性が見出される。

そのことは、

本編を最後まで読み進めていただきたい。

 

【転載開始】

自分が自分の最大の敵?!
2013-07-04 06:05:41 | Cancer/Salud

今朝、起きてシャワーを浴びた後、あまちゃんを見て、PCを立ち上げたら、
友人の友人から、メッセージが入っていました。。。

差出人の名前を見た瞬間、いやな予感が浮かび、メッセージを読んだら
やっぱり・・・という感じで、でも信じられなくて、まだ実感できていません。。。

メッセージの内容は、友人が昨夜亡くなったという連絡。。。
ブログで出会った友人なので、会ったことはないです。
skypeで何度か話して、メールのやり取りをしてました。。。

私よりも先に乳がんの手術をして、出会ったころは、どうも転移している
みたい・・・検査しなくちゃ、って言っていた頃でした。
そして、私の夫が亡くなった数ヵ月後、検査と前後するように、久しぶりに連絡があって、
その内容が彼女の旦那さまも突然死。。。
うちの一番下よりも一つ小さい双子ちゃんのお母さん。。。
海外に住んでいるし、お互いに励ましあっていました。
春ごろから、調子があまりよくないと言っていたので、ずっと気になって
いたのですが、私には祈ることしかできませんでした。。。

最近、アニータさんの臨死体験について転載記事を書いていたのは、実は
彼女への祈りをこめて・・・でした。
まだ、あと2回残っているのに。。。
もちろん、彼女には、すぐにメールで英語の動画を連絡したのですが、
ぜんぜん返事がないので、ずっと気がかりだったんです。。。
最後にskypeでチャットしたのは、5月の終わり・・・。

ちょっとショックが大きいです。。。
子供のこととか心配だろうに・・・、でも痛みから解放されて楽になって
よかったね・・・、という気もしますけれど。。。
あちらの世界で、旦那さまに再会して、そのまま戻ってきたくなく
なっちゃったのかしら・・・?なんて、考えてしまいます。
ちょっと早すぎる・・・何だか、まだ信じられなくて、現実と受け止め
られないのですが・・・、彼女のご冥福をお祈りします。。。


先日から、転載している、アニータさんの臨死体験の記事の4つめです。
『選択次第で、癒える・・・』『私たちは何でも変えられる!』
『あらゆる可能性は同時に存在している!』の続きになります。

【臨死体験で末期癌が消えた! ④ アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、日本語部分だけ転載します。。。

【転載開始】

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▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイト の
  英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。、
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
*************************************************************

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臨死体験研究協会による アニータへのインタビュー [1]  (和訳: ゆうこ )
-------------------------------------------------------------

【臨体研】  アニータさん、こんにちは。 またお話しできて嬉しいです。
あなたが臨死体験をして回復してから、まだほんの数カ月しかたってませんが、
最近どんな感じかなと思っていたんです。
あなたの体験がマスコミや一般の人々の関心を呼ぶようになってから、
なにか好き勝手に動き回れなくなったというようなことはありますか? 

【アニータ】 体はすごく調子いいです。 お心づかいありがとうございます。
今まで、こんなにいくらでもエネルギーが出せるようになったことは一度もなかったと思います。
マスコミや一般の人たちからの関心は、とっても楽しいです。

みんながすぐにわたしに気がつくわけじゃないんですよ。
わたしの体験談を聞いたことがある人はいっぱいいるけど、
ほとんどの人は、わたしの顔を知らないんです。
わたしのことをインターネットで読んだか、ラジオで聴いたことがあるだけだから。
(わたしは中国語のラジオ放送のレギュラー出演者になってるんですよ!) 

わたしが自己紹介すると初めてみんな、
「あらまあ! じゃあ、あなたがあの、死んだアニータさんですか!」 って言うんです。
もう1つの楽しいことは、社交的な集りやスピリチュアルな集りにいっぱい招かれることです。  
そして何より嬉しいのは、みんなが次々にわたしを抱擁してくれることです。

わたしに会うとみんな、
「あなたの体験にすごく感動しました。 抱きしめていいですか?」 って言うんです。
わたしは、「もちろん!」 と応えます。
そういうの、大好きです!!

【臨体研】  うん。 あなたがだんだんインターネットのフォーラムで人の心を抱擁する達人に
なってきてるのがわかりますよ。
これから世界中の人を抱擁できますね!  
臨死体験から戻ってきて、3次元世界への適応がいちばん難しいと思ったのはどういう点ですか? 

【アニータ】  ああ、それなんですよね。
いちばん難しいのは、みんなと同じ見方でこの世界を見ることができなくなったことです。
ものごとが、他の人たちみたいには見えないし、
前みたいなやり方で情報を処理することもできません。
できなくなったんです。

この現象界の幻想を超えた世界を見てしまったから、
もう昔のような考え方には戻れないっていう感じです。
誤解されてるな、と思うこともよくあります。
わたしが恐れていることの1つは、だれからも理解してもらえなくて孤独になることです。

【臨体研】  そうでしょうね。 言葉にするのが難しい経験から来る孤独感があることは想像できます。
その考え方が、あなたの実生活にどう影響しているかについて、もう少し話してみてもらえませんか? 

【アニータ】  臨死体験をしていたとき、わたしは別の現実に目覚めたような感じがしていました。
人生という幻想の世界から目覚めたという感じです。
その意識状態で見ると、わたしの肉体生命は、単にその時点までのわたしの思いと思い込みの
集積でしかないように見えました。
そして世界全体が、単なる集合意識の具象化だと感じられました。
つまり、全人類の思いと思い込みが形となって表れているもの、ということです。

本当は、実在するものなんか何もない、
ただわたしたちの強い思い込みで、それが実在しているように見えているだけなんだ、
と感じられました。
わたしの癌にも実体なんかないんだということに気がつきました。
癌も幻想の一部だから、わたしが肉体に戻れば、もうそこには癌なんかないんです。

それからもう1つ、
「わたしたちはみんなつながってるんだ」 という、途方もない気づきがありました。
そして、「自分の内部で感じることが宇宙全体に影響してるんだ」 という気づきも。
それは、宇宙全体が自分の中にあるような感覚でした。

わたしのことで言えば、わたしが幸せなら宇宙も幸せ、
わたしが自分を好きになると、他の人もみんなわたしを好いてくれる、
わたしの心が平和なら、宇宙全体も平和になる、…という感じです。
そして、その次元には時間や空間なんてものもないんです。
何もかもが同時に起こっているような感じでした。

過去世のできごとと思えるようなイメージも見たし、
現在起こっていること (兄が飛行機に乗ったことや、家族と医師たちが会話していること)
も見え、この人生の未来がうまくいっている様子も見えました。
でも、それが全部同時に起こっているようで、わたしはそれを全部同時に体験してたんです。

こちらの世界に戻ってくると、わたしの頭はそれを時系列で並べてみなくてはならない感じに
なりましたが、あちらの次元では、そんな感じは全然ありせんでした。
そして、いくら距離があろうと、固い壁があろうと、
自分に関係のあることを見たり聞いたりする妨げには全然なりませんでした。

だから今、3次元の生活に戻ってみると、固体の壁や距離というものが存在するのは、
ただわたしたちがそう決め込んだり、思い込んだりしてるからなんだ、という感じがしています。

【臨体研】  すごい! そんな経験をすると、さぞかし頭が混乱するでしょうね!
じゃあ、臨死体験が今、あなたの考え方や情報の処理の仕方にどんな影響を及ぼしているかについて、
もう少し話してもらえませんか? 

【アニータ】  まず第一に、わたしの世界観が完全に吹っ飛んでしまいました。
この数カ月のあいだ、わたしは医師たちから何度も
「あなたに起こったことは、全く説明がつかない。 医学的に不可能なことだ」 と言われ続けてきました。
彼らは、何十億の癌細胞がほんの数日の間に一体どこへ行ってしまったのか、見当もつかないんです。
医学的には、どこから見ても、わたしは死んでいるはずでした。
わたしの臓器の活動は止まっていたし、癌がわたしを殺していたか、薬物がわたしを殺していたか、
または何十億の癌細胞が逃げ出そうとしてわたしの停止した組織からあふれだし、
わたしを殺していたはずなんです。

わたしの肉体に起こったことから見て、わたしはもう 「肉体にとって不可能」 なんてことは、
前みたいには考えられなくなくなりました!
「治り得る」 病気や怪我と、そうでないものとの境界線を、わたしの心のどこに引くことができるでしょう?

どんな物差しや論理を使えば、結論が引き出せるのでしょう? 
「医学的に可能」 なんていう所からじゃないことだけは確かです!
わたしはもう、そんな基準を自分の人生に適用することができなくなりました。

「不可能」 という言葉は、わたしにはもう何の意味もありません。
可能と不可能の境界が、とても疑わしくなったんです。
わたしたちが現実と呼ぶもののすべてが、わたしにはすっかり違うものに見えています。
病気も、老化も、その1つです。

わたしは 「あたりまえ」 とか 「正常」 と考えられているものには何でも逆らってみることにしています。
今のわたしには、何もかも、人間が作り出したものという気がするんです。
つまり、個人や人類の思い込みの産物ですね。

あの体験をして以来、
どんなものにも実体がないけれど、どんなことでも可能だ、と感じるようになりました。
今わたしは、新しく学んだこういう真理に基づいて自分なりの現象界を作っていけるんだ、
と思いながら生きています。

【臨体研】  それは本当に強力な生き方ですね。
「自分なりの現象界を作る」 というお話に進みたいんですが、
その前に、肉体の話で、あなたがもう病気というものを大したことだとは思わなくなったどころか、
もうほとんど 「不死身」 と感じておられるように聞こえるんですが、
それについてもう少し詳しく説明していただけますか? 

【アニータ】  はい。 臨死体験をする前、わたしが人生でいちばん恐れていたものの1つは癌、
もう1つは抗癌剤でした。
(わたしは抗癌剤療法を受けている2人の人間が死んでいくのを見たんです。 )

そして他にも恐ろしいものが、山ほどありました。
わたしの人生は、まるで恐怖心という檻の中に閉じ込められているようなものでした。
そのため、わたしの人生経験はどんどん小さなものになっていました。

そこで、わたしの臨死体験に移ります。
この体験は、わたしの内部でものすごい意識変革を引き起こしました。
幻想に気がつくようになったことも大きかったし、
宇宙全体とつながっているという感覚もすごかったし、
すべてを包み込むような愛のエネルギーの洪水の中にいる、という気づきもすばらしいものでした。

それは、差別することも裁くこともない無条件の愛のエネルギーで、
この根源的エネルギーは、わたしたちがどんなことをし、どんな者であろうとも、そこにあるんです。
そしてわたしは、その覚醒した意識の中で、「生」 に戻るという決定をしたんです。
それは、もう一度この肉体に戻って人生を体験し直そう、という1つのパワフルな決定でした。

そしてね、わたしは生か死かの選択を示された途端、一旦その選択をした後は、どんな外部の力も
わたしを殺せないということが、はっきりとわかったんです。
絶対にどんな力も、です。
それは、わたしが選択を任され、それを現実化したからです。

そして、わたしが決定をした途端、わたしの肉体の全細胞がその決定に従い、
わたしは即刻とも言えるほど急激に治ってしまったんです。
医師たちは、次々に検査をし続けましたが、何も見つけられませんでした。
わたしは、そのあとでされたこと (検査や生検や抗癌剤やその他諸々) はすべて、
わたしの周りのみんなを満足させるためのものだということを理解していたので、
その多くが非常な苦痛を伴うものではありましたが、
それに耐えられるということがわかっていました。

わたしの 高次元の自己 (または 魂、霊、全存在とのつながり…等、どう呼ぼうとかまいませんが、
わたしのその部分) が、この肉体を通して生き続けようと決めたんですから、
この3次元世界のどんな力もその決定をくつがえすことはできないんです。
それは、実在の世界でなされた決定は、この幻想世界のどんなものよりもはるかに力がある
という感じでした。
それがこの 「不死身」 の感覚です。
外部のどんな力もわたしを害することはできない…という感覚なんです。

【臨体研】  その感覚は、だれでも得ることができるものだと思いますか?
それとも、臨死体験者か、ごく少数の特別の人だけしか達成できないものだと感じますか? 

【アニータ】  わたしはだれでも得ることができるものだと確信しています。
どう見ても、わたしは特別な者だとか選ばれた者だとかいう感じはしませんから。
たぶん、こういうことが起こるためには、自分の人生の中で、
心理学的にちょうどいい 「場所」 に来ている必要があるんじゃないでしょうか? 

確かにこれは、たまたまわたしに起こったできごとのようにも見えます。
でもね、わたしはその約4年前から癌だったんですよ。
その4年の間に、わたしは劇的に変化したんです。
まだかなり若い年令で末期癌患者になって、自分が悪化するのを見ていれば、
自分が変わるし、人生に対する見方も変わります。
変わらざるを得ないんです。

わたしは、その年月が、ああいう種類の臨死体験をするための 「準備期間」 だったような気がします。
もしわたしがもっと早い時期に、つまり、4年近くも癌と暮らして、ある程度自分の意識や感情の整理がつく前に、
臨死体験をしたのだったら、
あれだけの意識変革を扱えるほど感情的に成熟していたかどうかはわかりません。

わたしは、自分の人生が、この意識変革が起こるのを 「受容」 できる位置まで達していたように思います。
すでに、どういう考え方にも執着しない地点まで達していたし、
特定の結果を望む気持ちを手放せる段階にも達していました。
この位置まで達していたということは、わたしにとって重要なことだったと思います。

臨死体験は、わたしが幻想を超えた見方ができるようになるために必要な、
最後の 「一押し」 をしてくれたんです。
そして、いったんこの肉体が真の自己でないことがわかり、
癌もただのまぼろしだということがわかると、
わたしはどんなに愛されているかがわかり、自分自身のすばらしさに気がつきました。

そして、いったんわたしが生きようと決めると、肉体はこの 「新境地」 をそのまま反映したのです。

世の中には、こういう意識変革が起こるにふさわしい心理状態の人たちが、きっといるはずです。
そしてその人たちは、そういう意識変革を起こすために、臨死体験をする必要はありません。
彼らが必要なのは、たぶん、何が可能かに気づくことだけです。
そして、わたしにこういうことが起こったということは、たぶんわたしは、彼らの現象界に
そういう気づきをもたらす触媒になれるということかもしれません。

心を広げてそういう気づきを自分の現象界に受け入れられるようにしていると、自分の内部にも、
そういう意識変革を引き起こすような働きが生まれてくるんじゃないかと思います。
そういう奇跡が起こるのを見るためには、だれもが臨死体験のような激烈なことをしなければならない
というものではないと思います。

たぶん、意識変革を妨げている色々な思い込みを手放すだけでいい。
この人生が幻想だと思える意識状態から見ると、幻想世界が成り立っているのは、
わたしたちが特定の思い込みに執着しているからだという気がしました。
たぶん、わたしたちを縛っている思い込みに目を向けて、それを手放す気があれば、
わたしたちは集合意識としての進化をもっと速めることができるんじゃないでしょうか。



【臨体研】  さてそこで、先ほど保留にしておいた質問に戻ります。
わたしたちはどうやって自分の現象界を作るんですか? 

【アニータ】  あちらの次元から見ると、「実在するものなんか何もないんだ。
単にわたしたちの思い込みで、それが実在しているように見えていただけだったんだ…」 と感じられたのです。

この気づきを元に、わたしは自分の思い込みをチェックし、わたしの人生を広げてくれそうなものだけを残して、
束縛される感じがするものや、どう見てもポジティブだと思えないものは手放すことにしています。

わたしたちは、いったん何かが可能だと思うと、それが自分の知覚領域の中に入ってくるのを許すようになるみたいです。
そうすると、それが真実だと思えるようになるんですね。
そして、そう思い込めば思い込むほど、それが現実化してきます。

ネガティブなものじゃなくポジティブなものを信じることがどんなに大事かというのは、
このことがあるからなんです。
あなたが深く思い込んでいることは、どんなことでも、その通りになります。
宇宙はいつも、あなたが信じている通りのものをあなたに提供してくれるんです。
あなたが人生はすばらしいものだと思えば、人生はすばらしいものになります。
人生は苦しいものだと思えば、それも、その通りになるんです。

個人的にわたしがやろうとしていることは、人々が自分自身の体に秘められている力に気づき、
その気づきを自分の信念体系に取り入れられるようにすることです。
その気づきを信じる人が多くなればなるほど、わたしたちは、その種のことが起こるのを頻繁に
見ることになるでしょう。

たとえば、奇跡が奇跡と呼ばれるのは、単にそれがわたしたちの信念体系の外のできごとだからなんです。
いったんそれが起こるのを見てしまえば、わたしたちはそれを信じられるようになってきます。
そして、いったんそれを信じ始めると、それは日常世界のものとなり、ますます頻繁に起こるようになります。
簡単なことなんです。

【臨体研】  そうですね。 思い込みがこの現象界を作っているとすれば、
たしかに、自分たちを損なうような考え方じゃなく、ポジティブな考え方や役立つ考え方を信じることが大事ですよね。
でも、こんなに暗いことだらけの世の中で、どうすればそれができるんでしょうか?

【アニータ】  先ほどわたしは、「宇宙全体が自分の中にあると感じた」って言いましたよね。
外界は、自分の内面世界の反映にすぎないんです。
「世界は暗いことだらけ」 とみんなが言いますが、それはちょっと違います。
まわりを見回してみてください。
この宇宙には、あらゆるものが同時に存在しています。

暗いことがあれば、明るいこともあるんです。
貧困があれば、富もあるし、病気があれば、健康もある。
愛があれば、憎しみや恐怖もあるし、
幸福があれば、絶望もあります。
暗いことの方が明るいことより多い、なんてことは、絶対にないんです。

暗いことの方が多いように感じられるのは、わたしたちが、そういう見方を選んでいるからです。
そして、そういう見方を選んで、そのことに意識やエネルギーを集中すればするほど、
わたしたちはそういうものを人生の中に取り込み、
自分の個人的現実の中にそういうものを作りあげていくんです。

先ほどわたしは、
「この世界は、わたしたちみんなの集合意識が作り上げたものなんだ」 って言いましたよね。
わたしが臨死体験で悟ったと感じたのは、そのことなんです。
わたしたちは誰でも、何を現実と思い、信じるかを、いつでも自分で選ぶことができるんです。

【臨体研】  じゃあ、もし人生がうまく行っていないとしたら、
どうやってそれを変えていったらいいでしょうか? 

【アニータ】  その質問、大好きです。
自分を無条件に愛することの大切さについてお話しできるチャンスですから。
ぜひ自分を無条件に愛する訓練をなさることをおすすめしたいと思います。
わたしは、「宇宙は自分の反映にすぎない」 って言いましたよね。
もし人生がうまく行かなくて悩んでいるのなら、
自分の内側で何が起こっているのか見ないと、いくら外部要素を変えても無駄なんです。
わたしたちって、自分に対して否定的な思いを持ってることが多いですよね。
自分が自分の最大の敵になってる。
わたしがまず言いたいのは、

<この④の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、引用元のゆうこさんの記事読んでください。>

 


【転載終了】

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臨死体験!その3 あらゆる可能性は同時に存在している!

2015-12-31 13:46:53 | 魂の法則Part2

この臨死体験シリーズは、
各編に続きがある・・・。

表題と融合するには、
その続きを読み進めた方が早いだろう。

多分、字数の関係で一挙転載が難しかったものと察する・・・。
連載終了後、その続きも元ブログから転載する予定・・・。


縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

 

簡単に言うと、

過去現在未来は、一点に存在するということだろう。

と言っても、

SF的で分からない人も多いと思われる。

又、中々言葉で表現するにも限界がある。


分かりやすく表現すれば、

バックツーザ・フーチャーではないが、

過去に遡って、原因を取り除けば、

未来が変わっているという類の話であろう。

それが、

過去ではなく、現在の一点でも可能である。



その一点とは、時空を貫いていなければならない。

つまり、ひとつの特定次元に拘泥しているようでは、

実現困難である。

例えば、臨死体験などはその反対で、

この世で存在しながら、あの世とも通じている・・・

同時存在状態である。


その時は、その時点の判断で過去も未来も変わるようである。

勿論、現在も変わることは当然であるとして、

まことに不思議な臨死体験である。

これはリンクの続きを読み進めて頂くとよく分かるだろう。


これは示唆として、

生き方にも大いに参考になる。

過去に因われず、未来を憂えることなく、

現在を一瞬一秒、真剣に生きるということが大切である。

それしかないのである。


とは言え、

そうも行かないのが煩悩(エゴ)の深さかも知れない。

それはそれとして、

方向性は見出すことは出来るであろう。

とにかく、実存の世界はそうなっているということである。


これは唯物論者には理解できないだろう。

彼らは、唯物、つまり、物質主義者であり、その他は無である。

当然、死=無=ゼロ(0)である。

従って、この世×あの世=ゼロ(0)=臨死なのであろうから、

体験など妄想に過ぎない。


実存とは、在りてあるものを言うとすれば、

物質こそ実存であって、その他は無であるとする思考は、

最終的に無になるとの論理帰結であるから、

狭く、寂しいことこの上ない。

真の実存は、

あの世こそ、存在の源流であって、この世はその下流に過ぎない。


臨死はこの世側の観点であって、

あの世からすれば、臨在である。

そうすると、

「あらゆる可能性は同時に存在している!」という意味も、

少しは理解できるというものである。

 

 

【転載開始】

あらゆる可能性は同時に存在している!

2013-07-03 06:50:56 | Cancer/Salud

7月が始まりました。
2013年も前半が終わり、後半に突入してしまいました。

今年に入って、私の身の回りはとても忙しくなっています。
去年もその前も、ずっと忙しかったのですが、ちょっと質が違うんです。
説明すると長くなるし、私もどう説明したらいいのかまだ言葉にならない
状態なので、今回は、詳しくは書きません。

ただ、今までの忙しさは、とても重苦しい感じがしていたのですが、
今年に入ってからの忙しさは、わくわく感と、未来につながる明るい
兆しが感じられるので、私自身の気持ちの問題なのかもしれません。。。

巷に言われている、地球のエネルギーが変わったとか、波動が
上昇している、というのと、関係あるような気もします。。。

さて、昨日7月1日、2013年後半が始まる日ということで、
思い切って、早起きして、山の上から日の出を見ました!
家から一番近い山で、街道沿いにのんびり登る道なので
往復1時間半。。。
ほぼ頂上のところで、日の出が始まりました。
その写真が、一番上です。

山並の上に龍の雲が伸びていて、出てきたばかりのお日さまを
くわえているように見える、なんだか縁起のよい日の出でした。
下がそのアップ。。。



とまぁ、前置きはこれくらいにして・・・。
先日書いた、『選択次第で、癒える・・・』、そして、
一昨日の『私たちは何でも帰られる!』の続きです。

【臨死体験で末期癌が消えた! ③ アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、日本語部分だけ転載します。。。

【転載開始】

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▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイトの
   英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。、
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
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追加質問とアニータの回答 2006年8月       (和訳: ゆうこ )
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この体験談があまりにも驚くべきものだったので、私はアニータさんに追加質問のメールを送りました。
質問の下にあるのが彼女の回答です。 
              ―― 臨死研究協会  ジェフリー・ロング博士 (放射線腫瘍医)

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ジェフリー・ロング博士の質問
-----------------------------------------

1). 素晴らしい文章です!
  今までに英語圏で暮らしたことはありますか?

2). ホジキンリンパ腫だったとのことですが、それは生検で診断されたのですか? 
  どうやって診断されたのですか?

3). すべてのリンパ節腫大が完全に消えたのは、抗癌剤療法を始めてどれくらい後ですか?

4). すでに行われていた検査の結果があなたの選択次第で変わり得たというのは驚くべきことです。
  もしこの世に戻らない選択をしていたとしたら、地球時間で言えば、検査の結果は
  あなたの選択の後に変わっていたのでしょうか?
  それとも採血時 (地球時間で言えば、この世に戻る選択をする前だと思いますが) に
  検査結果に影響を与えていたのでしょうか?   
  これについて、さらなるコメントをいただければ大変ありがたいです。

5). 「このことから、すべての物事は実在しない ということに気づいた (意識が変わったら癌も消えた!)
  と同時に、自分がすばらしくパワフルに感じられるようになり、
  人生に対して全く異なった理解を持つようになりました」 とのことですが、
  これについてもう少しお教えいただければ、癌治療に携わっている医師として大変ありがたいです。

6). あなたの治療に携わった医師たちは、私と接触することに興味を持ってくれるでしょうか? 
  あなたの病気の診断や治療に関する情報の公開には、あなたのご承諾が必要となります。
  もしあなたの医師たちが、あなたの体験をまとめ、症例報告として医学文献に発表する
  気があれば、私は喜んでできるかぎりのサポートをいたします。
  それは確実に貴国における臨死体験への理解の増大につながると思います。

----------------------------
アニータの回答
----------------------------

ご返事ありがとうございます。 そしてわたしの英語へのお褒めの言葉も! 

香港は1997年まで英国の植民地でしたので、
わたしは全教育期間を通して、この地の英国系私立学校で学びました。

香港には英国高官の子弟のために設立された学校がいくつもありましたし、
大企業のほとんどは英国人が経営していました。

香港の学校を終えると、わたしは英国マンチェスターでもう少し勉強し、
卒業後、香港に戻りました。

そして、よく似た経歴の男性と、この地で結婚しました。
彼はわたしと同じくインド人で、香港で生まれ育ち、
両親の母国との実際的なつながりはありません。
そしてわたしは香港でずっと働いてきました。

ところで先に進む前に、ちょっとお伝えしておきたいことがあります。
あなたのメールを見て鳥肌が立ったのです。
わたしは臨死体験をした時、自分の未来のあれこれを見たり直感したりできました。
それでわかったことは、「生」 に戻らないといけない理由の1つは、
わたしが人々の生き方に触れ、気づきをもたらすことになっていることでした。

何千、何万という人々に気づきをもたらすことになっているということが、あの意識状態で
とにかくわかったのです。
でも、どうやってそれをやるのかはわからず、
ただ人々に気づきをもたらすような何かをするということだけわかっていました。

そして、それを起こすために自分で何かをする必要はなく、
ただありのまま、人生を楽しんでいればいいのだという感覚がありました。

ところが最近このことを考えていて、
わたしはもう元気になったのだから、何か、ためになる生活をしたいな、
人々に気づきをもたらすために何をすることになっているんだろう…と思っていたのです。

そうしたら今朝、あなたからメールが来て、
「これから何年にもわたって何万という人々があなたの体験記を読み、
気づきを得ることは間違いないでしょう」 とありました。

わたしは自分で何もする必要はないんだと感じさせられていたわけが、今こそわかりました!!
臨死体験こそがそれだったんですね!!!


ご質問についてですが、回答がちょっと長すぎるようでしたらごめんなさい。
できるかぎり明瞭にしたいのです。

今から約3年半前のこと、
わたしは首の付け根が左肩に接する所のリンパ腺が腫れ、針生検を受けました。
結果は 「ホジキンリンパ腫」 と出ました。

そして、他にもまだ検査をしなくてはならないけれど、スキャンでは1A期という診断でした。
こういうことは臨死体験に直接関係がないから不必要だと思って、先日の体験談では触れなかった
のですが、少し詳しく述べてみます。

その少し前に、わたしは親友を癌で亡くしていました。 彼女は胸部に肉腫がありました。
肉腫は手術で取り除かれ、続いて抗癌剤投与を受けました。
抗癌剤療法が始まると、彼女の体調はひどく悪化し、
そのままどんどん悪くなって彼女は亡くなりました。
彼女の家族は、「あれは癌で死んだのではない。抗癌剤で殺されたのだ」と憤りを感じていました。

わたしは彼女が病気の間中ずっと一緒にいて、 彼女が抗癌剤で苦しむ恐ろしい姿を見つめ、
彼女が死んでいく有様を見守りました。
彼女は小学校時代からの友だちで、わたしたちは一緒に大きくなったのです。

彼女が死んだその年に、わたしは癌と診断されて驚愕しました。
仲間の多くも、同じようにショックを受けていました。
わたしは抗癌剤療法が怖くてたまらず、処置を拒否して、
癌治療を専門とする自然療法医に診てもらうことにしました。

最初、リンパ節の腫れは縮んでいるようで、わたしたちはその療法が効いているのを感じました。
わたしは抗癌剤治療を受けなくていいので、大いに満足でした。
でも、癌は小さくはなりましたが、完全に消えはしませんでした。

その時わたしは恐怖心だらけで生きていました。癌への恐怖、抗癌剤への恐怖…。
わたしはダイエットを見直し、腸内洗浄をし、自然療法医がくれたすべての薬を飲みました。

けれども2年前ぐらいから、リンパ節はまた大きくなりだしたようでした。
自然療法医は治療法を変え、薬草の専門家にも紹介してくれました。
それでしばらくは安定したように見えましたが、1年前ぐらいから胸に水がたまりだし、
左腕がむくみだしました。

自然療法医は水を抜いてくれましたが、また水がたまり、
その後数回にわたって除水が行われました。
こうしている間にリンパ組織はますます腫れていき、2006年1月になると、
健康状態が2、3週間で劇的に悪化していきました。

呼吸がどんどん困難になり、いつも息を切らしているようになって、
携帯用酸素吸入器を持ち歩かなければならなくなり、体重は減っていき、
満腹感がいつもあるため食べられなくなり、筋肉が衰えて歩けなくなったため
車椅子を使うようになり、皮膚の腫れ物からは汁がにじみ出ていました。
そして2月2日には、とうとう動けなくなりました。

目を開けることができず、歩くことはおろか、ベッドから出ることさえできません。
「ああ、ついにその時がやって来た。わたしは死ぬのだ」 と観念し、
完全に自分を手放しました。

どんな痛みも不快感もなくなりました。
この時わたしは何の薬物の影響下にもなく、完全な明け渡しの意識状態でした。
夫は急いでわたしを病院に運びました。

わたしを診ることになった癌専門医は、診察後、
「手遅れです。わたしにできることは何もありません」 と言いました。
それでも夫が懇願すると、彼女は渋々ほかの医師をつけてくれました。

それはたぶん自分で 「時間の無駄づかい」 をしたくなかったからか、
または、自分の経歴にわたしの死亡事例を残したくなかったからでしょう。
彼女はわたしの自然療法医にとても気を悪くしていて、
彼はもっと早くわたしを病院にまわすべきだった、
わたしが今死にかけているのは 「彼のせい」 だ、とはっきり言いました。

スキャンはリンパ腫がわたしの体全体に広がっていることを示し、
臓器は不全におちいっていました。
そして、手足が風船のように膨れだし、顔も膨れ上がってきました。

癌専門医は、「臓器がもう働かなくなっています。
患者さんは臓器不全で死にかけています」 と言いました。
そして彼女は夫の嘆願を聞き入れて別の癌専門医を呼び、
その医師は夫に、「何もお約束はできませんが、できるかぎりのことをやってみます。
しかしこれから24時間が山です。 患者さんの状態はあまりにも不安定で、
どんな薬を注射するか決めるための生検をやることさえ難しそうですから。
臓器の機能のテストも今すぐ始めます。
臓器不全のあらゆる徴候が出てますからね」 と言いました。

これは、わたしが寝かされている部屋から約12m離れた所で交わされた会話です。
わたしにはそれが見え、聞こえたたのですから、
そのとき体外離脱をしていたことは明らかだと思います。

それはともかく、次に気づいたことは、何本もの針が体に刺され、
何種類かの抗癌剤らしきものが注入されていることでした。
その混合薬が正確にどういうものだったかはわかりません。

そして、酸素を取り込む機械や、食物を取り込むチューブ、
心臓や脈や血圧をモニターする機械など、様々なものが取り付けられていました。

その夜、2つの世界をただよい、「生」に戻るという選択をしたわたしは、
翌朝になると、目覚めた感じが増してきて、あちらの世界よりもこちらの世界に
根を下ろした感じがやや強くなってきました。

そこへ医師たちが入って来て、
わたしの臓器が正常な機能を示すようになったことを告げました。
わたしはまだ少し頭がボーッとしていたのですが、「あら、そのことはもうご存知だと思ってました」
というようなことを言いました。

機内で一夜を過ごした兄が、到着していました。
そしてわたしは、その日の夕方までにははっきりと目が覚め、起き上がれるようになっていました。
わたしの家族みんなが集まって、お祝いを始めました。

それから4日間の回復ぶりは目覚ましく、
わたしは集中治療室 から普通の個室へ移されました。
その4日間に、リンパ節の著しい縮小があったのです。

わたしがすっかり回復しそうになってきたので、癌専門医はわたしの皮膚の腫れ物を
診察するために皮膚科の医師を呼びました。
最初その医師は傷を見て、皮膚が 「むしばまれて」 いるから手術が必要だと言いましたが、
もっとわたしの体力がつくまで待つことにしました。
けれどもわたしの傷は、1、2週間の内に奇跡的に癒えてしまい、
その手術 (首の所と脇の下) は必要なくなりました。

集中治療室 から出て1週間ぐらい後、骨髄生検を受けましたが、
何も見つかりませんでした。
そしてそれから10日ぐらい後、リンパ節生検を受けました。


<この③の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、
引用元のゆうこさんの記事をお読みください。>

【転載終了】

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