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TSUNEAKI THE ADVENTURE Since 2009

龍馬伝

2010年10月05日 | 日誌

大河ドラマの龍馬伝を2週ほど観ていない。

録画したので、2週分を観ました。

「馬関の奇跡」と「清風亭の対決」の2本です。

高杉晋作がカッコよすぎる。三味線を弾きながら、弾があたらない晋作。「おまえと~、おれは~」なんて口ずさみながら・・・。戦場に着流し。すざましい殺陣の晋作。「お前は浮浪雲か!!」と思わせた。でも不思議とそれはそれでいいと感じた。

後藤象二郎がカッコいい悪役に成長している。申し訳ないけれど、教科書の太字になっている重要人物くらいの認識しかないので、僕の中の後藤象二郎は、大河の後藤象二郎である。

最後に岩崎弥太郎について。東京商工会議所が出している「ツインアーチ」という広報誌の中の「東京ゆかりの「人生」経営人」という出久根達郎さんのコラムで岩崎弥太郎の事が書いてあった。ちょうど先日の「清風亭の対決」の話と被る内容なんですけれど、それよりも出だしの筆者の奥さんが「岩崎弥太郎という人はあんなに汚らしい人だったんですか?」という問いかけから始まっている。

(貧乏を誇張しているのだろうが、貧乏というというのは清潔である。余分な物は無いし、着物は一張羅だから大事にして着る。不潔は貧のせいではなく、人間のズボラによる。)

(汚れより、筆者はドラマの弥太郎が書物を乱暴に扱う事が気になる。実際の弥太郎は読書家であり中国の歴史書「資治通鑑」約三百巻を再読三読したといわれている。昔の人だから書物を大事にした。貧しい人なら尚更そうだろう。ドラマのように本を泥だらけにしたり、叩いたりはしない)

大河の岩崎弥太郎は我が家でも評判が悪い。でも、逆に悪いからこそ、龍馬が引き立つ。汚ければ汚いほど、龍馬が澄んだ清流のように見えてくる。弥太郎がまわりまわってクネクネと流れる川ならば、龍馬は一直線に流れる大河に見えてくる。

脇役というのはそういうものなのか。

それにしても、香川さんは正岡子規しかり、血ばっか吐いている。

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週魔Ⅱ あれから

2010年10月03日 | 小ネタ

娘がコントや漫画のようなコケ方をする。

失礼ながらどうしたらこんなにうまくコケるのかと感じずにはいられない。

子供は体が柔らかい。なので転びかたは派手だが怪我はしない。でも、本当に面白いコケかたをする。思い当たる事と言ったら・・・・。

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彼女がほとんどというか、全部のんじゃったんですな。

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一応、彼女が生まれた時考えていたことは、ゆくゆくは「カバティ日本代表としてオリンピックに出場」ということなんですが・・・。  2ne


夢の共演 めぐりあい宇宙編

2010年10月02日 | 新6ブログ

昨日は青年部の組織委員会。

場所は、あの超人気番組「吉田類の酒場放浪記」でも紹介された小岩の「浅草バー」

10月6日に行われる新人研修会の最終打ち合わせ。

10月6日は17:50にグリーンパレスに組織委員会は集合です。時間厳守です。

昨日の委員会に190さんはいませんでした。なぜなら、江戸川区建設業協会50周年式典に出席されていたからだ。

委員会が終わり、さあ「葵」にでも行きますかとなるところが、葵の常連190さんがいない。190さんのいない「葵」はクリープのないコーヒーと一緒。でも心配は無用だった。ララア・スンの再来のニュータイプであると一部で噂される梶村さんのレーダーが190さんの電波を傍受する事に成功して、「寿賀多」に行けば会えると言うので、ついていったら190さんがいた。式典帰りらしい。人は解り合えるのだ。

そこで待ち構えていた光景に僕は驚きを隠せなかった。

190さんと、我らが6Bの不滅の帰還兵こと副ブロック長がからんでいたからだ。

僕が勝手に副B長をいじっているので、副B長はこのブログの存在を知らない。言い訳がましいですが、僕はいつも、いつも尊敬の念を抱きつついじっていることをこの場で弁解しておきます。

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不思議な出会いに意気投合(?)したのか、もう1件別のところで飲み直すことに。

僕的には、ハイな190さんが余計な事を帰還兵に言わないかヒヤヒヤしましたが、ハイテンショントークと上等兵トークが不思議なコラボレーションを生み出し、それが合い絡まって、それは、それは楽しいひとときでしたとさ。 

ララア・・・。僕にも見えるよ・・・。僕にはまだ帰れるところがあるんだ・・・。こんなにうれしいことはない。 2ne


都民の日

2010年10月01日 | 日誌

今日は子供らが、街にあふれている。

最近のお子様は、休みが多くてゆとりがあるので、特別めずらしさも感じなくなっている。

小生の幼き頃は、創立記念日やら県民の日やら、暦にでないイレギュラーな休日は、街に出るのも気を遣った。

近所の駄菓子やで、ショッピングやらゲーム機を独り占めしていると、店の人が「学校はどうしたんだい!!ズル休みしてるのかい!!」と尋問されたものだ。

「け、県民の日で休みなのです」などといったら、「貴様は非区民か!!なぜ千葉県民の日に休んでいるか!!」と言われ、憲兵にしょっ引かれたものです。

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熱心な読者なら今、疑問に感じている事があるやも知れぬ。

なぜ創立記念日や県民の日なのかと・・・。

創立記念日なら堂々と大手を振って駄菓子屋に行けば同じ仲間がいるし、江戸川生まれヒップホップ育ちを公言している筆者がなぜ「県民の日」が休みなのかと。

答えは小生が皆とは違う学校へ行ってたからだ。

先にも書いたが、千葉県と緊張状態にある江戸川区の葛西という県境に暮らしていた私は、ひょんなことから学校は千葉県は市川市にある昭和学院小学校という所に通っていた。市川市は小岩から市川橋を渡るとすぐである。比較的江戸川区とは良好な関係にあるようで、江戸川区に会社はあるが、住まいは市川という人も多い。

例えるなら、友好国へ留学をするようなものと思っていただけたら光栄です。そんな留学生であったので、千葉県民の日は行きたくても休まなければならない。当然創立記念日もそういうことになる。

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話はまどろこしくなりましたが、要するに今の子は休みが多くて、周りも何で休みなのか聞くのも億劫だということなのです。