時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

政治家と表現力

2007年01月31日 16時07分00秒 | 政治
柳沢厚労大臣の問題発言を取り上げ、「政治家に表現力は不可欠」と指摘した。

それを顕著に表わしているのは、東京都知事ではないだろうか?

現都知事は石原慎太郎氏が8年務めている。その前の4年間は先日、他界された故・青島幸男氏が務めていた。前者は芥川賞作家、後者は直木賞作家。つまり都知事は12年間も”物書き”が政務を執っているのである。(ついでにいえば、前長野県知事・田中康夫氏も芥川賞候補作家)

作家の商売道具は、第一に表現力だろう。例えば実際は10の事柄を表現力が乏しい人間は2か3しか伝えられない。しかし表現力が豊かだと10のことを20にも30にも見せかけて伝えられる(笑)。
選挙に強くて当然だ。

石原氏は問題発言の多い政治家として有名だ。しかし彼の問題発言は”暴言”であって”失言”ではない。これに対して問題発言があると謝罪して撤回する政治家は失言でしかない。

野球に例えれば、石原氏は最初からボール球を投げるつもりで外角高目にクソボールのつり球を投げて打者を空振りさせているのに対して、失言する政治家はストライクを狙って投げているのに外れてボールになってしまい、今回のようなデッドボールになってしまう。

まともなストライクが投げられないノーコンピッチャーは、やはりファームに落ちて、再調整してもらうしかない。


柳沢発言は完全アウトだね

2007年01月31日 06時02分00秒 | 政治
柳沢厚労大臣の「女は産む機械」発言が集中砲火を浴びている。本人は「女性を差別する意図は全くない」と弁明しているようだが、女性差別にしか聞こえない以上、完全にアウトだろう。
発言全体を通じて真意を理解してほしい――なんてことは、まったく問題と関係ない。不適切な表現を安直に用いる時点で、政治家として失格なのだ。

話を解り易くするために、あえて酷い例えを用いるが、
「バリア・フリーを推進しよう」というのは立派な考えだが、それを言い表すために、
「片輪でも住み良い社会を作ろう」
と言えば、完全な差別発言でアウトだよ。


人間には様々なタイプがいる。中には考え方は立派だが、口下手で、真意を正しく説明できないタイプの人間もいる。しかし、そういう人間は政治家になる資格はない。

なぜならば、政治家とは国民の代理人として政治を行う職業だ。全権委任の権力者ではなく、代理の為政者でしかない。当然、権力を委託した国民に対して、正確に説明する責任を負う。だから的確な説明能力がないのであれば、それは政治家の資質に欠けるといわれても仕方ない。それでも国のために尽くしたいという殊勝な心掛けがあるのなら、政治家の秘書とか内勤の公務員などになればいい。

適切に表現する能力がない人間は、政治家にはなれない。