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実母の生首にはどんな意味があるのだろう?

2007年05月17日 19時03分00秒 | 学術・教育
会津若松市の母親殺害事件。情報が出る度に「追記」を重ねてきたが、長くなってきたので新エントリーにする。ていうか今回はニュースについてではなく、筆者の精神論が主だが。

よく日本人は宗教心が希薄といわれる。確かに知人の米国人が毎週日曜日には台風が来ようが大雪が降ろうが休むことなく教会へ行っている様子を見ると、全く違うと感じる。そもそも教義に基づいて戦争までするのが信じられない。
だが今回の事件は、日本人の多くが特有の信仰・崇拝を持っていることを証明したかと感じる。日本人の多くは既成の宗教を信仰していないだけで、古来から持ちあせている独特の宗教観は持ち続けている。

宗教と宗教団体は違う――というのは靖国問題で何度か書いた。「無宗教の追悼施設なんか存在しない」とも書いた。「追悼」は「宗教的行為」以外の何物でもない。(正しくは「特定の宗派に属さない追悼施設」とするべきなのだ)。

前置きが長くなったが、今回の事件である。大多数の人間が「母親の首を切り落としてバッグに詰めて持参」という行為に驚愕した。もちろん筆者もその1人だ。では、なぜ驚愕したのか冷静に考えてみる。すると、そこには死者に対する畏崇の念や追悼の感情などが込められているからだと感じる。もしも、そういう感情が完全になかったらどうかと考えてみる。すると、母親の首を持って自首という行為は、たとえばスーパーでサーロインステーキ300gのパックを万引きした犯人が、商品を持って自首するのと全く同じ行為ではないか? 単なる肉塊という見地で見れば、母親の生首とサーロインステーキ300gはなんか変わる物ではない。母親の生首が異様と感じてしまうのは、そこに死者に対する特別な(もちろん大多数にとっては自然な)感情が入り込むからだと思う。もちろん、さらに「母親」という部分で肉親の情も加味される。


さて日本の歴史上で神や仏を信じなかった人物と言えば、筆者は織田信長を思い出す。信長ブームで彼の行動は多くの人々が知ることだろう。彼が神仏を信じなかった象徴的行動として比叡山焼き討ちが挙げられる。聖域とされた比叡山に火を放ち、多くの伽藍や仏像を焼き払い、数万の僧侶を虐殺した行為。ただし、この行為は当時はともかく、現代の歴史好きにとってはそれほど理解できない物ではない。当時の仏教は一大政治勢力として大名のような存在となり、本願寺の顕如などは一向一揆を指揮して戦国大名のように信長と戦っていた。信長が延暦寺を攻撃したのは、姉川の合戦で浅井・朝倉を討ったり、長篠の合戦で武田を討ったのと同じ様に天下盗りの抵抗勢力の排除として理解できる。また信長は城を築く際に、工期短縮のため石垣に石仏を壊させて利用した。これも当時は神仏を恐れぬ魔王の所業とされたが、現代人は理解できる範囲ではないか?
ならば次のエピソードはどうか? 浅井・朝倉氏を滅ぼした信長は、新年の祝賀に訪れた武将達に祝い酒をふるまった。しかし、その盃が奇妙な形をしている。それもそのはず、その盃とは討ち取った浅井親子と朝倉氏の頭蓋骨で作られた物だった。おそらく現代人でも、この行動を理解できる人間は少数派ではあるまいか?現代でも人間の頭蓋骨で酒を飲むのは異常で猟奇的な行動である。
しかし筆者は信長の上記のエピソードは一貫していると感じる。彼は宗教団体や教義を信じないだけでなく、信仰や崇拝すら持ちあせていなかったのだろう。死体も生命が失われてしまえばただの「物」であり、つまりは人間の生首もサーロインステーキも同じ「物」に過ぎない感覚ではなかろうか?

高校生が母親の右腕も切断し、それを白色に塗装したうえで植木鉢に差した行為について、あれこれ分析されている。それは悪魔崇拝の様な儀式だと言う評論家もいるし、生贄に意味ではないかと推測する向きもある。いずれにしても強い宗教的観念が働いてという物だ。しかし、全く逆の考え方はできないか? 全く宗教的観念が欠落していたから、そのような行為をしたとも考えられる。生命への畏怖も、死者への哀悼も、まったく感じられなければ、そういう行為には何の抵抗も意味もない。なんらかの原因で、そういう感情が完全に欠落してしまったために、このような行動が引き起こされたと考えることも可能ではないか? そう考えると、少年が未だに母親について何も語っていないという行動もなんとなく理解できる。

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