ジョンとねえねの散歩道~さんぽみち~ Since 2006 そして!モカ&モモとの日々!!

フレブル☆故ジョンや文鳥♡グロスターカナリア♡メダカ♡多肉植物♡イカリグッズが大好きなねえねのおさんぽ日記

ありがとう!灰谷健次郎サン。さようなら。。。

2006-11-25 01:17:50 | ようちえん
 “きょゆーん ワンワン きょゆーん ワンワン

   ろくべえが あなにおちているのを 
 
    さいしょにみつけたのは えいじくんです”

ねえねが、小学校1年生のときに、この“ろくべえまってろよ”を何度も、何度も、声に出して読んだことを思い出します。

ねえねは、国語が(というか、本を読むのが苦手でした)嫌いで、ここにでてくる“ろくべえ”も、ずっ~と“くろべえ”と読んでいて、かあかに、

『また、間違えて。。。』

といわれ続けましたが、本読みのときの、

『ろくべえまってろよ。灰谷健次郎。』

というフレーズは、今も心に残っています。

その後、ねえねは、灰谷健次郎サンの本に、高校3年生のときに出逢いました。

高3の夏休み。
進学に向けての講習会におともだちと参加していました。
家に帰っても暑いし、ひとりで勉強する気にもならないし・・・というので、高校で唯一、クーラーが付いている場所→“図書館”に行くようになっていました。

図書館では、息抜きをしに行っているようなもんで、特に何をするでもなく、おともだちと一緒にいることで、現実逃避をしているような・・・受験生にとっては無駄な時間だったのかもしれませんが、ねえねたちにとっては、とっても大切な時間でした。

そんなとき、何気に手に取った本が“灰谷健次郎サン”の作品でした。

最初は、“懐かし~い”という感じでペラペラと本のページをめくっていたのですが、気が付けば、本の世界にのめり込み、毎日、毎日、講習後は図書館へ行き、灰谷健次郎サンの本を読みあさっていました。

そのころ、ねえねは“教師”という職業に憧れていました。

“数学の先生”“理科の先生”“家庭科の先生”“体育の先生”そして・・・“幼稚園の先生”と夢いっぱいの高3少女でした。

でも、現実的に受験を控えてくると、自信もなくなってくるし、不安でいっぱいになってきていました。。。

“自分の人生、これでいいのかな?”“どうなるのかな?”と。。。

そんなときに、灰谷健次郎サンの“兎の眼”を読んだとき、なぜか、泣けてきて、とても感動したのです!
(本を読んで感動したのは、きっと、生まれて初めてだったと思います!(恥ずかしながら))

そのとき、ねえねは、“どの教科の先生でもいいから、こんな風に子どもの気持ち(心)を理解し、大人のものさしで考えるのではなく、大切に心を育てていくことのできる先生になりたい!絶対に!”と強く決意したのであります。

しかし、幼稚園の先生を目指して短大に入学したものの、ピアノがどうしても弾けずに涙したり、実習でうまく保育ができず、先生にぼろかすにいわれ、辞めたいなと思ったり、実際に幼稚園の先生になっても、目先の行事にばかり目が向き、日々の保育を疎かにしていたり。。。と。。。。

今、思えば、あのころの“先生になりたい”と思っていたねえねとは・・・全く違った先生をしていたように思います。

11月23日。

灰谷健次郎サン。72歳。

亡くなられました。

ねえね、数年前、灰谷健次郎サンの講演会に足を運んだことがあります!
ずっと、“どんな方なんだろう?”と思っていただけに、期待大でいったんですが、飾らず、気取らず、それでいて・・・温かな先生でした。

いろいろな本に登場してくる先生たちのひとり!という感じで、出逢えたことがとてもうれしかったことを思い出しました。

私の保育の原点でもある“兎の眼”の作家、灰谷健次郎サンの死は、今、自ら命を絶っていく子どもたちへの何らかのメッセージであるかのようにも思えてしまうのです。

保育、教育の原点。
子どもの心に寄り添いながら・・・を大切にしてこられた灰谷健次郎サンに、一歩でも近づけるような、ねえねなりの保育をしていくことができればいいなぁ・・・と、少し立ち止まって考えるいい機会になりました。

灰谷健次郎サンのご冥福をお祈りいたします。