西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

近鉄藤井寺駅

2008年12月19日 23時32分00秒 | ステンショから
 近鉄南大阪線「藤井寺(ふじいでら)」駅。

 初めてこの駅の改札口を通ったのは、確か1980(昭和55)年4月27日(日)のことでなかったかと、記憶している。
 大学の授業が始まって最初の1週間を終え、同じ放送研究会の新入部員有志数名で、初めてのコンパなるものが催された。場所はこの藤井寺駅からほど近い、高鷲3丁目辺り。学生のくせに、贅沢にも一軒家を借りていた同級生がいて、そいつが場所を提供した。
 ほとんど夜通し飲んで、少々仮眠した後、朝またそいつに車で送ってもらったのがこの藤井寺駅だった。
 日曜日の朝、居眠りしながら京都の実家まで帰ったのを憶えている。

 その後この駅を利用したのは、やはり藤井寺球場へ行く際。主に2軍戦をよく観戦していた。
 2軍戦と言えども、さすがにプロはプロ。アマチュアとは全然違う技を、目の当たりに出来るのが醍醐味であった。特に観客の少ない2軍戦では、野球の生の音に迫力があって、好きだった。
 選手の皆さんの目つきも鋭かった。あれこそ勝負師の目というやつであろうか? まるで獣のような目が怖くて、試合後にサインを貰いにいくのも、ちょっと勇気が要った。
 初めてサインをして貰ったのが、阪神タイガースの中田良弘投手。その中田氏も、今では関西独立リーグ「神戸9クルーズ」の監督。

 40歳を過ぎて、高校野球の実況アナウンスの仕事をすることになった時も、藤井寺球場には足繁く通って、アナウンスの練習に励んだ。


 今では球場もなくなって、たまに買い物に出かける程度の藤井寺。それも自転車で行くことが多くなった今は、この駅で乗り降りする機会も、珍しくなってしまった。