西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

北校舎 13

2006年01月27日 23時37分01秒 | 小説
 クラス会は、担任であった大黒太司(おおぐろふとし)先生の当直の日に合わせて、東野中学校で催された。ただ夏休みで人のいない本校舎に大勢の人数が入るのはまずいとか何とかいうことで、どういうわけか三年八組とは全く関係のない、改築工事中の校舎の代わりに仮に建てられた、運動場の隅にあるプレハブ教室が、その会場となっていた。
 会場には既に、幹事役であろう何人かの女子がいて、教室の机の配置換えをしていた。
「あ、栗栖君、お久しぶり。元気? 早いね、もうちょっと待っててな」
「うん……」
懐かしいクラスメイトとの最初の会話は、それだけだった。そういえば彼女ら女子とは、去年も余りお喋りした記憶は、それほどなかったな、と、浩人は改めて思った。
 彼女らとよそよそしい挨拶を交わして、しばらくはプレハブ教室の外に突っ立ったまま、待っていた。そして一人二人と会場にやってきた連中との会話も、皆親しみのないものとなった。それはまたやがて、スポーツマンで武道家の割には、暑苦しそうな巨体を揺らしながら歩いてきた大黒先生にも、同じことが言えた。
「……確か、白川先生のクラスだったよね」
「はい、……事故があったみたいで……」
「そうらしいね。たいへんだったね、……ま、君も頑張って……」
 先生との会話は、それだけだった。もっとも、関西人の偏見かも知れないが、大黒先生の冷たい感じのする東京弁を、浩人はそう長くは聴きたくなかった。
 柔道・剣道・合気道、それに空手、合わせて十数段。それがこの武道家たる大黒先生のキャッチフレーズのようなものだった。元来武道家という人種は、皆これほどまでに無口なものなのか? いや、そんな定義づけはないはずである。だがこの先生ほど無口な担任は、浩人の小・中・高校生活を通じて、他にいなかった。前の年、浩人が学校を長く休んでいた時にも、この担任は電話一本かけてこなかった。浩人にしてみても、別にこの担任と親しく話をしたかったわけではない。ただ、この生徒と会話や対話のない国語教師は、浩人が求めていた担任のイメージではなかったのである。つまり、浩人とは相性の良くない、言い換えれば、浩人にとっては無意味な担任であった。無論、浩人の留年が、すべてこの担任の責任にあるとは言えない。しかし先生と生徒、その人間対人間の相性の善し悪しが、浩人という一人の人間の人生を左右させたことは、事実と言えよう。浩人は、去年一年の無意味さを改めて痛感していた。

(続く)


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